2024年のノーベル化学賞受賞者として、米Alphabet傘下の英Google DeepMindのDemis Hassabis氏とJohn Jumper氏、米ワシントン大学のDavid Baker教授の3人を選出されました。
彼らの受賞理由は、Google DeepMindでタンパク質の立体構造を予測するAIである「AlphaFold」の開発を主導したことです。従来、タンパク質の立体構造を知るには、クライオ電子顕微鏡やX線結晶構造解析などを使用し、数年単位の期間や多額の費用をかけることが一般的でした。2021年に一般公開されたAlphaFold 2を使えば、これを短時間で予測できます。その結果、バイオサイエンスや創薬業界では、製品開発にかかる期間の短縮やコストの削減が一気に進んだと言われています。
一方で、「タンパク質の立体構造を知るための方法」を長年研究していた研究者たちや学会は、次のテーマを探さなくてはならなくなりました。しかも、AIという異なる分野からの「ちゃぶ台返し」であり、それが突然にもたらされたわけです。
「ひとつの翻訳が、終わった。1本の翻訳原稿を仕上げた、わけではない。この世界に存在していた翻訳のひとつがいま終焉を迎えたのだ。」
こんな書き出しで始まる「もうすぐ消滅するという人間の翻訳について」という記事の中で、翻訳者である著者は、機械翻訳の急速な進歩によって自身の仕事が失われつつある危機感を綴っています。
作者は、近年の経済状況の悪化、円安、そして、生成AI翻訳の台頭により、翻訳の質に対する要求水準が低下したこともあり、人間の翻訳者の需要が減少していることを指摘しています。たとえ一部の高度な翻訳需要が残ったとしても、機械翻訳の発展が進めば、翻訳者の育成が難しくなり、最終的には人間の翻訳者は駆逐されてしまうのではないかとの危惧を語っています。
この潮流を、システム開発に置き換えて眺めてみると、同様のことが起こりつつあることが分かります。GitHub Copilotを使用したシステム開発作業を例にとると、2024年10月時点の調査では、GitHub Copilotの導入により、開発者の生産性は次のような結果となっているようです。
- タスク完了数の増加:平均で26.08%増加(標準誤差:10.3%)
- コミット数の増加:13.55%増加(標準誤差:10.0%)
- コードコンパイル回数の増加:38.38%増加(標準誤差:12.55%)
ある開発者の報告によると、GitHub Copilotの導入により開発速度が体感で3倍になったとのことです。
また、富士通の事例では、2024年7月からのSI事業での利用開始以来、20%以上の作業時間短縮効果が得られていると報告しています。
また、コードの品質向上にも貢献しています。
- テスト合格率の向上:GitHub Copilotを使用した開発者のコードは、全ユニットテストに合格する割合が56%高くなっています。
- エラー数の減少:GitHub Copilot使用時のコードエラー数は4.63、不使用時は5.35と、使用時の方が少なくなっています。
- コード品質の向上:コードレビューにおいて、GitHub Copilot使用のコードは以下の項目で高く評価されています。
- 読みやすさ:3.62%向上
- 信頼性:2.94%向上
- 保守性:2.47%向上
- 簡潔さ:4.16%向上
- エラーのないコード行数の増加:GitHub Copilot使用時は18.2行、不使用時は16.0行と、13.6%多くのエラーのないコードが生成されています。
この数字は、コード生成に限定されていること、また、必ずしも劇的と言えるほどの改善でもありません。その意味では、「人間のエンジニアの仕事が直ちに不要になる」とは言えないでしょう。しかし、2022年11月にChatGPTが登場して、まだわずか2年ほどです。このスピード感を考えるならば、数字は短期間のうちに劇的に改善していくはずです。
また、GitHub Copilotと同様の作業領域をカバーするCursor、「システム開発全般をカバーする」Devineや BoltといったAIエージェントが登場しています。この分野での機能や性能の向上は、今後も確実に進んでいくと思われます。
DXへの関心の高まりや、これに伴うシステム開発需要の増大を考えれば、このようなツールを既存のシステム開発業務に取り入れていくことは避けられないと思います。IT人材の不足が叫ばれる中、それを補う手段として、現実的かつ有効な手段と考えられるからです。しかし、もう少し先を見通すならば、この状況は、大きく変わってしまうでしょう。
このチャートから読み取れることは、AIツールは現時点では黎明期ではあること、そして「AIエージェントによるプロセスの再定義」というフェーズに至る過程が、2つのシナリオに分かれるということです。
ひとつは、「既存の開発プロセスの改善」を目的にAIを利用するというシナリオ、一方は、AIを利用することを前提にシステム開発のあり方を再定義して「既存の開発プロセスを変革(=新しく作り変える)」するというシナリオです。
私の知る限りでは、多くのSI/ITベンダーのシナリオは、「既存の開発プロセスの改善」であるように見えます。アジャイル開発やDevOpsに十分に適応できていない企業にとっては、既存の顧客、既存のやり方を前提に改善を図ることで収益の道を探るしかありませんから、当然のことと言えるでしょう。
ただ、大手元請企業では、これでなんとかなるにしても、これまで下請け企業に任せていた仕事がAIに置き換わるでしょう。大手からの下請け業務に収益の多くを依存している企業は、短期的に急激な仕事量の減少を想定しなくてはなりません。
一方、既存のやり方にこだわらず、「既存の開発プロセスを変革」することに取り組む企業は、AIの効果を最大限に引き出し、成果をあげられるはずです。但し、クラウド、アジャイル開発、DevOps、コンテナ、マイクロサービスなどの「モダン開発」を当たり前にできる企業となります。当然、このような企業はシステム開発を生業にしている企業だけではなく、ユーザー企業の内製チームも含まれます。「AIエージェントによるプロセスの再定義」は、この延長線上にあります。
AIのもたらす変化の本質とは、「モダン開発」への移行を加速するということです。結果として、工数に頼るからこそ必要だった「外注」を減らし、内製化への動きを一層推し進めることになるでしょう。
この想定が正しいとすれば、「既存の開発プロセスの改善」を目的にAI利用に取り組んだ企業は、一旦、「既存の開発プロセスを変革」することへと舵を切り直さなくてはならず、数年間の遅れで最終ステージの入口に立つことになります。変化の速い世の中にあっては、これは致命的な格差となるかもしれません。
この状況下で、SI/ITベンダーはどのように生き残るべきでしょうか? 要点は、以下の2つです。
- エンジニアの仕事はなくならないが、仕事をこなす上でのタスクの構成が大きく変わる。
- 「人月ビジネス」はなくならないが、単金は大幅に下がり、実質的に崩壊する。
この2つについて、さらに掘り下げてみます。
エンジニアの仕事はなくならないが、仕事をこなす上でのタスクの構成が大きく変わる。
「コードを書く」タスクは、ほぼAIに置き換えられるでしょう。どのような機能を実装したいのかを定義すれば、コードの生成は、AIに任せられます。さらには、その上位のプロセスである、何のためにどのようなシステムを開発すべきか、それがビジネスにどのような影響を与えるのか、そのためには、どのようなインフラやプラットフォームを選定すべきか、既存システムとの連携や統合をどのように進めればいいのかと言ったより上流工程のタスクの需要が増加します。今でも、大手の元請企業はこのようなことを行い、それらが決まった上で、コード生成を下請けに任せていますが、まさにこのような「下請けの仕事」は、短期間のうちに消滅する可能性があります。
また、今元請が行っているタスクも、相当部分がクラウド・サービスやAIによって、仕事量は減少します。また、ユーザー企業が自分たちでやってしまいます。そうなるとさらに上流のデジタル技術を前提とした「新しいビジネス・モデルの提案」や「ビジネス・プロセスの変革」といった、業務や経営に立ち入った議論ができるようにならなくてはなりません。
また、システム開発全般についての包括的知識、それを活かしたビジネス提案といった領域へと知識やスキルをシフトしていく必要があります。コード生成しかできない、ましてや、「Javaは分かるけどPythonは無理」では仕事になりません。
また、この一連のトレンドは、先にも書いたとおり、内製化の流れを加速します。そうなると、アジャイル開発、DevOps、クラウドを前提とした内製チームとともに、ビジネスを生みだす共創領域に対応できなくてはなりません。そうなると、技術的な知識やスキルだけではなく、コミュニケーションやファシリテーション、アイデア創出と言ったスキルも重要となります。
このような状況を想定すると、これまでにも増して、「基礎的な知識やスキル」が、重要性を持ちます。それは、ソフトウェア工学です。ソフトウェア工学はソフトウェアの開発・運用・保守に関して体系的・定量的にその応用を考察する学問分野です。
システム開発は、ソフトウェア工学に基礎に置き、その本質が変わることはありません。AIツールは、この考え方を効率よく、かつ高品質に実践する手段であり、どのように使いこなせば、システムの機能や性能、品質や生産性を向上できるかは、この基礎の土台の上になり立っています。また、アジャイル開発やDevOpsも、ソフトウェア工学の基礎に従うものであり、体系的・定量的な改善を進めるにも、極めて重要です。
「要件を与えれば、コードを出力する」タスクは、もはや人間の仕事ではなくなります。より包括的にシステムの開発や運用といった全体を捉えられる能力が、求められるようになります。さらには、ITを前提としたビジネスを考える力も必要とされます。
「人月ビジネス」はなくならないが、単金は大幅に下がり、実質的に崩壊する。
上記のような移行が進んだとしても「人間がコードを書く」という仕事を続けるとしたら、「AIがコードを書く」場合よりも、コストパフォーマンスに秀でる必要があります。仮にAIによって生産性が、50%向上すると仮定すれば、単純に計算して単金は半額以下でなければ、AIを使いこなしてコードを書いているエンジニアとは対等ではありません。今でもそうですが、できるエンジニアと未熟なエンジニアでは、同じ機能を実装するにも生産性は何倍も違います。「未熟なエンジニア」がAIを使えば、生産性という観点だけ見れば、遜色がなくなる可能性はあります。そうなると、「ベテランだから単金は高く、若手は安い」という常識も成立しなくなります。
もちろん、エンジニアの能力は、コード生成の生産性だけはありませんから、このような単純な比較は成り立ちません。ただ、上位のタスクへ移行しなければ、このような知的力仕事の単金には、常に下げの圧力がかかり続けますから、利益は厳しいものとなります。
また、上位にシフトすることは、「工数への対価」ではなく、「価値への対価」に変わることになります。これまで同様の「単金:〇〇万円×労働時間」という単純な図式は成立せず、これまで同様の収益のあげ方はできなくなるでしょう。
これを、分かりやすく説明するなら、「その作業量なら〇〇人月で引き受けさせていただけます。これが私どもの精一杯の金額です。いかがでしょうか?」というやりとりから、「その仕事の内容であれば、〇〇万円かかります。この金額でよろしければ、お引き受け致しますが、どうされますか?」ということになるでしょう。
これをどのようにSIビジネスに反映するかを考えると、大きく分けて2つのステージで戦略を考える必要があります。
ステージ1:移行期における戦略
ユーザー企業は、すぐに外注を完全に停止することはできません。しかし、コスト削減圧力と開発テーマ増加に対応するため、元請企業は、AI開発ツールを導入し、下請けへの発注を減らす動きが加速するでしょう。
この段階では、SES事業は縮小し、下請け企業は、AIツールを活用した低コスト・高品質・高速開発を武器に、ユーザー企業へ直接サービスを提供するチャンスが生まれます。ただし、ユーザー企業のニーズを深く理解し、事業戦略に踏み込んだ提案を行うスキルが求められます。
ステージ2:ユーザー企業の内製化拡大に対応する戦略
生成AIツールは、「その時々に必要なシステムを作り、必要に応じて廃棄して、新しく作り直す」という、従来の常識を覆す可能性を秘めています。マイクロサービス・アーキテクチャーを基盤に、ユーザー企業が自らIssueを設定し、必要なITサービスを構築・廃棄・再構築する時代が到来しつつあります。
SI/ITベンダーは、「ITシステムを作る」ビジネスモデルから脱却し、以下の3つの領域に注力することで生き残りを図る必要があります。
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- ユーザー企業のデジタル戦略策定・業務変革支援: デジタル技術を駆使し、顧客の事業変革を支援するコンサルティングサービスを提供
- デジタルサービス事業への参入: 独自の強みを活かしたデジタルサービスを開発・提供し、新たな収益源を確保
- ユーザー企業のAI活用・内製化支援: AIツール導入、環境構築、マイクロサービス開発支援など、ユーザー企業の内製化をサポート
これらの事業は、先にも述べたように「工数」ではなく「価値」で収益を上げるビジネスモデルです。そのため、人材育成、技術力向上、マーケティング戦略の見直しなど、抜本的な改革が求められます。
生成AIは、IT業界の勢力図を塗り替える可能性を秘めています。SI/ITベンダーは、従来のビジネスモデルからの脱却を迫られ、新たな価値創造に挑戦することで、この変革期を乗り越えなければなりません。
AIは、これまで専門家でなければできなかったことを代替し、ユーザー企業は、ITサービスを自ら構築・運用できるようになりつつあります。SI/ITベンダーは、従来の「ITシステムを作り運用するためのスキルを有した要員を提供できる」という存在意義を失い、新たな役割を模索する必要に迫られます。
「今までもいろいろと言われてきたが、こうやって何とかなってきた。ならば、これからもまだしばらくはなんとかなるだろう。」
そんな思いで行動を先延ばししているうちに、冒頭に紹介した「タンパク質の立体構造の研究」や「人間による翻訳」が、突然なくなってしまったように、人月工数に依存したSIビジネスもまた、突然なくなってしまうかもしれません。
実践で使えるITの常識力を身につけるために!
次期・ITソリューション塾・第48期(2025年2月12日 開講)
次期・ITソリューション塾・第48期(2025年2月12日[水]開講)の募集を始めました。
次のような皆さんには、きっとお役に立つはずです。
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