ちょっとした身体の不調で、病院のお世話になりました。その時、「そうか、65歳なのか」と、カルテに書かれた自分の年齢を見て驚きました(笑)。
知らなかったわけでもなければ、考えることを避けていたわけではありません。忘れていたというか、いつの間にか気にならなくなったというか、考えることがなくなっていました。どうしてそうなってしまったのでしょうか。そんなことに、ふと興味が湧き、言葉にしてみることにしました。
年齢の節目
八ヶ岳南麓・標高1000mに、コワーキング施設「神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO(やまと)」をスタートさせたのは、昨年の1月、私が64歳の時でした。
神社に隣接する2700坪ほどの傾斜地の山林を購入しましたのは2022年です。購入したときは、手入れもされず、常緑針葉樹の赤松が茂る暗い森で、中に入るのも怖いほどでした。
そんな森の赤松のみを伐採し、小楢や山桜などの落葉広葉樹のみを残すようにして、明るい”さやさや”の森に変えました。伐採した赤松は、建屋の建材として使っています。
また、「神社に隣接する自然豊かな森なので、コンクリートは使いたくない!」との想いから、日本の伝統工法にこだわり建物を建てることにしました。
大きな自然石108個を礎石にして、ばらばらな石のカタチに合わせて柱の底を刻み、上にのせるだけの「石場建て」、金物を使わないで木々を繋ぎ固定する「木組み」、石灰の粉(消石灰)と海藻糊と麻の繊維で作られた漆喰など、日本で古くから使われている工法を使っています。また、傾斜地を活かし、清水寺の舞台のような高床の建物にしました。
森の中に浮かぶように、テラスが張り出しています。鳥の目線で森を眺めながら仕事ができる、そんなコワーキング施設になりました。
まだ利益を出せる状況ではありませんが、利用者はすこしずつ増えています。また、アジャイル開発チームのキックオフや事業戦略ミーティング、マネージャー会議など、日常を離れ、面と向かって徹底的に議論したいという皆さんの利用も増えています。
もっと使い勝手を良くするにはどうすればいいだろうと、いまも日々模索し、施設や機材の充実を図っています。最近では、テント以上ホテル未満のトレーラーハウスを2棟設置しました。
環境省・名水百選に選ばれた八ヶ岳南麓の水を飲んで頂くための井戸も整備しました。
無農薬、無肥料、自然の地力だけで育てられた八ヶ岳の野菜をふんだんに使ったランチも提供しています。これが、なかなか美味しいのです。
平日は講義や講演、著作に忙しく、週末は8MATOの仕事で忙しい「ひとりブラック企業」状態ですが、そんな毎日を私は、大いに楽しんでいます。
60歳を過ぎる頃から、年齢はどうでも良くなりました。気にすることがなくなったというのが、本当のところかも知れません。見栄を張っているわけではありません。意識の中から「年齢」という言葉が消えてしまったのです。だから、8MATOという新しい取り組みも“64歳で始めたこと”ではなく、これまでの日常のひとコマに過ぎません。
ふり返れば、若い頃は、50歳とか、60歳とか、年齢の節目を意識していたように思います。会社勤めだと、役職や定年があるので、どうしても「年齢の節目」を意識してしまうかもしれません。しかし、会社勤めではない私にとっては、そんなことを考える必要はなく、「年齢の節目」の意識は歳と共に希薄になっていきました。
一方で、常に何か新しいことを始めなければ、食い扶持は得られませんから、次は何をするかを常に考えています。生存のための欲求みたいなもので、そうしなければいられない「不安」あるいは「恐怖」がありました。だから「年齢の節目」など意識している余裕などなかったのかもしれません。何かしていなければ、新しいことに手を出さなければ不安だったのです。そんな意識が、いままで生き延びられた理由の1つかも知れません。
なにも、このような人生の選択をおすすめしようというのではありません。冷静に考えれば、しんどい生き方です。ただ、私には、サラリーマンは性に合わなかったので、こちらの道を選んだだけのことです。
そんな自分の半生を振り返り、気がついたことがあります。それは、「仕事が私を成長させてくれた」ことです。
成長の機会
先日、入社数ヶ月の新入社員が、研修を終えて、いよいよ現場に配属される間近というところで、退職代行会社を通じて、退職の意向を伝えてきたという会社社長のSNS投稿が話題になっていました。その投稿の中で、退職理由について、退職代行会社から、つぎのような説明があったと書かれていました。
「これまで経験のない職務で来月から本格的に成果を求められる立場になることを想像すると、現状のシビアに結果が求められる空気の中でやっていく自信がなかった」
社長はこの回答に、「・・・・・。え?それだけですか?」と反応しています。私もそう思います。
これが本当の理由なのかどうかはわかりませんが、もしそうだとしたら、成長の機会を自ら放棄してしまったわけで、なんともったいないことだと思いました。
私たちは、人生の三分の一の時間を仕事に費やしています。それを「成長の機会」として活かすことは、一生という時間軸を考えるととても重みのあることです。そんな時間をお金や生活のためだけに”頑張っている“だけだとすれば、本当に残念なことだと思います。
私のような自営業者であっても、会社勤めであっても、そこはおなじです。与えられた仕事であっても、自分から創り出した仕事でも同じです。それをやり続け、極めようとするからこそ、自分の限界を知ることができ、何が自分に足りないのかが見えてきます。足りないからこそ、そこを埋めようとする。だから学ぶことへの動機が生まれ、なんとかすることで成長の機会が与えられるのだと思います。しんどいことですが、限界を超えられる喜び、つまり「成長の実感」のほうが、楽しいと感じられるから、続けられるのです。
これを繰り返すことが、成長です。だからこそ意識して、あるいは積極的にこのような機会を作ることが、成長を加速させることになります。
年齢は無関係です。20代であっても、60代であっても、成長したければ、同じことをすればいいわけです。ただ、若い人には分があります。それは、体力です。体力がある分、成長の機会の「時間密度」を高めても、疲れることはありません。結果として、成長の加速度を早めることができます。これこそが、若者の特権です。
一方、年をとれば、体力が衰えますから、直ぐに疲れます(笑)。だから、年齢とともに積み上げた知恵を使って、何をするかを厳選し、無駄なく、要領良くこなして、体力を使わないようにすればいいのです。年相応に、成長の機会を活かせばいいわけです。
仕事と趣味の境目
「成長の機会」を難しく考えることもありません。いままでとは違う何かを始めればいいのです。例えば、これまで読むことのなかったジャンルの本を読むこと、行ったことのないところへ旅すること、あまり付き合いのなかった人と呑んでみること、ブログを書き始めること、料理を作ってみること、クルマを買い換えることなどなど、身近なきっかけはいくらでもあります。それを楽しめれば、「成長の機会」となるのだと思います。
料理でも、その作り方や材料、アレンジにこだわれば、その組合せは無数にあり、これは凄い学びの機会ですし、クルマもデザイン、性能、機能は日進月歩で、業界の動向など徹底して調べますから、その選択には相当骨が折れますし、新しいことを学ぶ絶好の機会になります。いずれにしてもそのプロセスはワクワクしています。このようなことが仕事に直ちに役立つかどうかは別として、視野を広げ、新しい洞察を得る機会になることは間違えありません。
私の場合、そういう日常の中に新規事業「神社の杜のワーキング・プレイス8MATO」があったわけです。
それは、ちょっと飛躍しすぎだろうと言われるかも知れませんが、何か新しいことを始めたいということにおいて、大きな差はありません。ただ、お金はかかったという点に於いては、それなりの違いではありました(笑)。
「こうなると、もうそれは仕事ではなく趣味ではないか」となりますが、私の中では両者の区別は曖昧です。8MATOに限ったことではありませんが、楽しいとか、ワクワクするとか、興味を持てないことは、気合いが入りません。気合いが入らないことは、本気になれないし、長続きしないし、お金を使おうという気になりません。つまり、極められないのです。だから、自分の限界にぶち当たることはなく、「成長の機会」も限定的です。だから、仕事と趣味を分けて考えることは、意味のないことだと思っています。
以前、プロゲーマーになりたい大学生と世界チャンピオンのプロゲーマーとのやり取りをSNSで見かけ、まったくその通りだと思ったことがあります。
大学生:私は、プロゲーマーになるために大学を辞めてゲームに専念したいと思いますが、どうでしょうか?
プロ:私はプロになろうと思ってなったわけではありません。ゲームが楽しくて、のめり込んでやり続けていたら、いつの間にかプロになっていました。それだけのことです。
好きだから楽しいから続けられるのが趣味であり、辛くて苦しくても頑張らなくちゃならないのが仕事という区別をしているようでは、「成長の機会」を活かせないように思います。例えば、ITエンジニアという肩書きで仕事をしている人が、家に帰ったらパソコンも開かずコードも書かないとすれば、一流のITエンジニアになることは難しいと思います。家に帰っても仕事をすべきだと言いたいのではありません。コードを書きたいという衝動が先ずあって、家に帰っても楽しいから「書いちゃう」わけで、これはもう仕事と趣味の境目がないわけです。だから、長続きし、新しいことを覚え、自分の限界を引き上げていくという成長軌道を描けるわけです。
先日、休暇で8MATOを訪れた20代のITエンジニアが、到着するなりパソコンを開いてコードを書き始めました。わたしは、「休みなのに仕事するの?」と問いかけたら、次のような返事が返ってきました。
「先週はつまらないコードをたくさん書いたので、今日はリハビリで好きなコードを書きたいと思ってここに来ました。」
この感覚こそ、成長を促すエネルギーだと思います。「64歳で始めた8MATO」と「リハビリでコードを書く」ことの根っ子は同じです。趣味と仕事の区別がなく、障害にぶつかってもこれをのり越えること楽しめるからこそ、長続きし、またのめり込んでしまう。そういうサイクルが成長を促すのだと思います。
仕事を成長の機会と捉える
面白そうだからとやってみても、思い通りにいかないこと、あるいは、想定外に遭遇するのは日常です。いや、その想定外を体験するために「やってみる」のだとおもいます。自分の限界であってあったり、知識や経験の未熟であったり、必要な人とつながっていなかったり、いろいろです。そんな障害に巡り会うために、いろいろと新しいことを「やってみる」ことが、「成長の機会」を生みだしてくれるのだと思います。
結局のところ、「成長することは、目的にはならない」と思います。「成長する過程を楽しむことが目的」であり、それが結果として、自分を成長させてくれるのです。先に紹介したプロゲーマーの話しは、その典型です。興味を持ち、やり始めて、気がつけばのめり込み、失敗を重ねつつも、これを克服する過程を楽しむことが目的となっている。そして、気がつけば、プロゲーマーという「成長の結果」を手に入れたわけです。
私は、新入社員研修で次のような話をします。
「会社は自分を成長させてくれる土俵です。やるべきことをやり続けて下さい。どんどんチャレンジして、失敗も沢山経験してください。そうやって、やり続け、チャレンジし続ければ、やれることが増えていきます。会社とはそのための機会をあなたに提供してくれます。そうやって、あなたが成長すれば、会社の成長にも貢献できるわけですし、あなたがやりたいことに巡り会える可能性が高まりますよ。」
新入社員だけではありません。会社に勤めるということは、こういうことなのだと思います。「会社は、自分に成長の機会を与えてくる土俵である」と捉え、自分のために利用すればいいのです。そうやって自分が成長できれば、会社の成長にも貢献できるわけで、会社と個人がWin-Winの関係になれるわけです。
「長年、会社に尽くしてきました」とか「会社のために必死で頑張っています」といった方もいらっしゃるかも知れません。若い頃は薄給でも、やがては報われると信じて生きてきた人たちも少なくないかも知れません。このような考え方は、高度経済成長時代の残影にすぎません。この現実を受け入れられず、いまどきの新入社員の初任給が高額であることや少ない昇給に思い悩んだところで意味はありません。自分の成長ために会社という場をうまく使い、自分の可能性を追い続ける方が、健全な生き方ではないかと思います。
いまの会社にいて、成長の機会を楽しめない、あるいは見つけられないとすれば、「辛くて苦しくても頑張らなくちゃならないのが仕事」と割り切って会社にご奉公するか、転職して新たな機会を引き寄せるしかありません。ただ、その前に考えるべきは、「仕事を楽しめない理由が、会社にあるのか自分にあるのか」を冷静に考えてみることだと思います。
「この会社は、あるいは経営者は、新しいことにチャレンジしないし、時代のトレンドにも遅れている。こんな会社にいたら自分の将来が不安だ!」
そう考える人がいるかも知れません。ただ、自分もまたそんな会社の当事者だということを思い出してください。会社とか、経営者とか、自分以外に責任を求めることは、楽だと思います。しかし、自分はこの現実をよりよいものに変えるために何かをしているのでしょうか。何かをしているのに、何も変わらないのなら、辞めた方がいいかもしれません。しかし、何もせず、声も上げずに、不満だけを募らせて会社を辞めても、また次の会社で同じことを繰り返す可能性は高いでしょう。だから、冷静に考えることが必要なのです。
一生に1度の人生です。その1/3が仕事です。ならばこの時間を楽しみ、成長の機会として利用するという考え方は、今風に言えば、コスパもタイパも悪くないように思います。
年齢というのは、自分の意志とは無関係に積み重なっていきます。その時間の1/3が仕事だとすれば、これを楽しみ、成長の機会として捉えていくことは、幸せな生き方じゃないかとおもいます。そう考えることに、年齢の制約はありません。ただ、若いときにこのような考え方を持つことができれば、人生は楽しく、成長も加速できるのではないかと思います。
このような考え方は、「きれいごと」かもしれません。ただ、そういう「きれいごと」に近づけるように意識し、行動することは、けっして「きれいごと」ではできません。地べたに足を付けた現実であり、なかなか大変なことです。かく言う私もまた、「きれいごと」通りの生き方なんてできていません。だからこそ、自分なりの「あるべき姿」=「きれいごと」を描き、紆余曲折を重ねながら、そうなりたいと思いながら、軌道修正ししつつ日々を過ごしているのです。
そんな毎日を送っていると、年齢というのは、いつのまにか、どうでも良くなってしまうようですね。
【募集開始】次期・ITソリューション塾・第47期(2024年10月9日 開講)
次期・ITソリューション塾・第47期(2024年10月9日[水]開講)の募集を始めました。
次のような皆さんには、きっとお役に立つはずです。
- SI事業者/ITベンダー企業にお勤めの皆さん
- ユーザー企業でIT活用やデジタル戦略に関わる皆さん
- デジタルを武器に事業の改革や新規開発に取り組もうとされている皆さん
- IT業界以外から、SI事業者/ITベンダー企業に転職された皆さん
- デジタル人材/DX人材の育成に関わられる皆さん
ITソリューション塾について:
いま、「生成AI」と「クラウド」が、ITとの係わり方を大きく変えつつあります。
「生成AI」について言えば、プログラム・コードの生成や仕様の作成、ドキュメンテーションといった領域で著しい生産性の向上が実現しています。昨今は、Devinなどのような「システム開発を専門とするAIエージェント」が、人間のエンジニアに代わって仕事をするようになりました。もはや「プログラマー支援ツール」の域を超えています。
「クラウド」については、そのサービスの範囲の拡大と機能の充実、APIの実装が進んでいます。要件に合わせプログラム・コードを書くことから、クラウド・サービスを目利きして、これらをうまく組み合わせてサービスを実現することへと需要の重心は移りつつあります。
このように「生成AI」や「クラウド」の普及と充実は、ユーザーの外注依存を減らし、内製化の範囲を拡大するでしょう。つまり、「生成AI」や「クラウド」が工数需要を呑み込むという構図が、確実に、そして急速に進むことになります。
ITベンダー/SI事業者の皆さんにとっては、これまでのビジネスの前提が失われてしまい、既存の延長線上で事業を継続することを難しくします。また、ユーザー企業の皆さんにとっては、ITを武器にして事業変革を加速させるチャンスが到来したとも言えます。
ITに関わる仕事をしている人たちは、この変化の背景にあるテクノロジーを正しく理解し、自分たちのビジネスに、あるいは、お客様への提案に、活かす方法を見つけなくてはなりません。
ITソリューション塾は、そんなITの最新トレンドを体系的に分かりやすくお伝えするとともに、ビジネスとの関係やこれからの戦略を解説し、どのように実践につなげればいいのかを考えます。
詳しくはこちらをご覧下さい。
※神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO(やまと)会員の皆さんは、参加費が無料となります。申し込みに際しましては、その旨、通信欄にご記入ください。
- 期間:2024年10月9日(水)〜最終回12月18日(水) 全10回+特別補講
- 時間:毎週(水曜日*原則*) 18:30〜20:30 の2時間
- 方法:オンライン(Zoom)
- 費用:90,000円(税込み 99,000円)
- 内容:
- デジタルがもたらす社会の変化とDXの本質
- IT利用のあり方を変えるクラウド・コンピューティング
- これからのビジネス基盤となるIoTと5G
- 人間との新たな役割分担を模索するAI
- おさえておきたい注目のテクノロジー
- 変化に俊敏に対処するための開発と運用
- アジャイルの実践とアジャイルワーク
- クラウド/DevOps戦略の実践
- 経営のためのセキュリティの基礎と本質
- 総括・これからのITビジネス戦略
- 特別補講 *講師選任中*
神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。
6月22日・販売開始!【図解】これ1枚でわかる最新ITトレンド・改訂第5版
生成AIを使えば、業務の効率爆上がり?
このソフトウェアを導入すれば、DXができる?
・・・そんな都合のいい「魔法の杖」はありません。
これからは、「ITリテラシーが必要だ!」と言われても、どうやって身につければいいのでしょうか。
「DXに取り組め!」と言われても、これまでだってデジタル化やIT化に取り組んできたのに、何が違うのかわからなければ、取り組みようがありません。
「生成AIで業務の効率化を進めよう!」と言われても、”生成AI”で何ですか、なにができるのかもよく分かりません。
こんな自分の憂いを何とかしなければと、焦っている方も多いはずです。