「いまこんなことをしています。これはDXといってもいいのでしょうか?」
「書類やハンコを残しながら、DXに取り組むにはどうすればいいでしょうか?」
「お客様のDXを支援するには、やっぱり自分たちもDXしないとだめですよね?」
このようなご質問を頂くたびに、ガッカリします。
先日のOpenAIが発表した動画生成AIサービス”Sora“をご覧になり、驚愕された方も多いのでないでしょうか。私もまた、そんな一人です。
2022年11月、ChatGPTの登場以降、生成AIの進化は凄まじく、キャッチアップする間もなく、新しい技術やサービスが、毎日のように登場しています。数年前までは、「AGI(汎用人工知能)なんて、実現するのだろうか?いや、実現するとしてもあと10年や20年はかかるだろう」との議論が大勢を占めていたように思います。それが、いまや「10年なんてかからないだろう、数年のうちにできるのではないか」という議論がまことしやかに語られています。進化のスピードが、確実に加速しています。
ちなみに、私たちがいまAIと言っているのは、画像認識や音声認識、文書生成など、特定の知的タスクのために作られた専用のプログラムです。他の目的で使うことはできません。AGIはひとつのプログラムであらゆる知的タスクをこなし、しかも未知のタスクに対しても、自己学習してその能力を獲得できるAIです。そんなものが、登場しつつある時代に、上記のようなことで心配しているというのは、時代錯誤というしかありません。
中国ではイラストレーターの報酬が1/10に下がったそうです。IBMは一部の職種が生成AIに置き換え可能であるとして採用を取りやめ、雇用の削減にも言及しています。カスタマーサポートも生成AIに置き換えられるとして解雇する動きも出始めています。アメリカでは、脚本をAIに作らせようという動きに反発してストライキが起き、俳優やモデルが、生成AIのキャラクターに置き換えられることを危惧してデモを起こしています。
先に紹介したSoraのデモを見れば、危機感を抱くのは当然だと思います。いまは、最長1分間の動画しか生成できませんが、そのリアルな描写を見ていると、生成AIで脚本を書き、入力すれば、ドラマや映画を自動生成してくれるのは時間の問題であることは、疑う余地がありません。
生成AIの進化はビジネスの現場も席巻し、既存の多くのタスクを置き換えることは、必然です。
例えば、昨年の11月に発表されたGitHub Copilot Workspaceは、人間が書いたIssueに対応し、仕様を書き、実装計画を作り、それに従ってコーディングや既存のコードを修正し、ビルドしてエラーがあれば修正することまでやってくれます。人間はその経過を確認し、必要とあれば指示や修正を行うだけです。
仕事の現場には、このようなパターン化されたタスクは少なくありません。そういうものが、ことごとく生成AIに置き換わる可能性があるのです。特にITビジネスの現場は、その影響をいち早くうけるでしょう。
そんな現実に直面しているのに、いまだ上記のような質問が出てくるのは、なんとも残念です。しかし、これを個人の問題に帰するのは、すこし違うような気がします。
背景にあるのは、会社の外のことに関心を持たなくても、会社から与えられた仕事を粛々とこなせば、評価され、出世もできるという時代が長く続き、企業の文化や風土として、根付いているからではないでしょうか。もちろん、だれもが、そうだというわけではないのですが、一定数そういう人たちがいるという現実は、否定できません。
しかし、そのような人たちが大多数を占め、上から振ってきたDXを、自分たちが長年築いてきた常識の範囲で再解釈し、「何をすればいいのか」を考えているからこそ、このような質問が出てくるのだろうと思います。
「疑う余地のないことを疑え」
昔から言われ続けている言葉です。しかし、上記のような日常に埋没し、粛々と仕事をしている人たちにしてみれば、まったく響かないでしょう。
また、その必要性に気づいた人でも、次のような質問をされる方がいらっしゃいます。
「うちの経営者はなにもわかっていません。彼らに気付かせるには、どうすればいいでしょうか?」
自分も会社の構成員であり、当事者ではないのでしょうか。それは会社がやることだ、経営者がやることだ、それをしてくれないから、我々は変われないのだと思っているのかも知れません。これもまた同じ発想です。
人は変わりたいと思っても、他人に変えられたくはありません。言葉を弄してもできることではありません。経営者も同じです。
気がついた本人が先ずは行動を変えることです。そうやって、自ら範を示して、まわりに気付かせ、自から変わろうとするきっかけを作ることです。それが正しいことであれば、共感者は増え、仲間が増えていきます。その人数が一定の数を超えたとき、組織や会社が変わるのだと思います。それまでは針のムシロであり、変人扱いされるかも知れません。人を変えるとは、そういう覚悟なくしてできることではありません。
言葉だけで拙速に人を変えることは、できません。だから自分から行動してはどうかと申し上げても、行動を起こす人は多くはありません。そこまでしたくはないのです。自分たちが長年築いてきた常識の範囲の中でなんとかしたいと思うのでしょう。残念ながら、そんな都合のいいはなしはありません。
結局のところ、DXとは、「自分たちが長年築いてきた常識」を新しい常識に上書きすることです。これまで常識だったことが、非常識となり、新しい常識もまた、ものすごい勢いで非常識になっていく社会にどう対処すればいいだろうと、考え、議論し、試してみることではないかと思います。
会社の論理の土台は、古き良き時代の常識の上に成り立っています。それを新しい時代の常識に上書きして、その視点から、自分たちのいま姿を見直すべきです。それをDXと呼ぶかどうかはどうでもいいことです。ただ、それができなければ、自分も会社もヤバいと言うことに気がつくことです。
「AIに仕事が奪う」のではなく、「AIを使いこなせる人が、使いこなせない人の仕事を奪う」のです。企業も同じです。AIを使いこなしている企業と、そうでない企業のパフォーマンスには、大きな格差が生まれます。仕事も速く、品質もよく、コストも安いとなれば、そちらを選択するのは当然のことで、それができない企業は、お客様から見放されてしまうことを覚悟しておくべきでしょう。
沢山の本を読むことです。生成AIや新しいテクノロー・サービスを使い倒すことです。社内外の人たちと議論することです。そして、気がついたら直ちに行動してみることです。そして、その結果から判断し、どうするかを考えることを高速に繰り返すことでしょう。
Try and Learn
このサイクルを高速に回し、知識と体験と議論と考察を繰り返すことしかありません。
生成AIの性能が凄い勢いで向上する時代だからこそ、私たちの人間の性能も負けずに向上させ続けなければなりません。リテラシーとは、この現実を受け入れ、人間性能の向上を当然のことと理解し、行動し続ける習慣を身につけることではないかと思います。