そろそろ来年度の予算や事業計画、あるいは、中期経営計画の策定に頭を悩ます時期ではないでしょうか。先日、あるSI事業者の方に伺ったところ、相変わらずの計画の立て方で、本当にそんなやり方で大丈夫ですか?と、つい本音を漏らしてしまいました。
生成AI時代で変わる大前提
「相変わらずの計画の立て方」とは、「事業予算=人数×単金」であり、業績を伸ばすには、この「人数」を増やす必要があります。そのため、キャリア採用を増やすための施策もまた、主要な事業戦略として位置付けられています。そんなことが、うまくいくのでしょうか。
この計画には、「即戦力で稼いでくれる人」を採用したいという前提があります。IT人材が取り合いになっている時代に、これはなかなか大変です。それなりの高給を提示できなければ、採用できません。仮に採用できても、単金の頭を抑えられている状況では、人数が増えれば売上は増えるかもしれませんが、利益を出せません。
また、先日紹介したとおり、生成AIを搭載した開発支援ツールの登場は、コーディングやドキュメンテーションといった「知的力仕事」つまり、「人数×単金」で稼ぐビジネス・モデルを破堤に追い込むことは、もはや避けられません。
この現実は、もうひとつの不確定要素を生みだします。それは、機能や性能の向上やサービスの充実が、劇的かつ急速であることが背景にあります。
ChatGPTの登場から1年しかたっていないのに、生成AIによりシステム開発のあり方が根本的に変わりました。MicrosoftのCopilot for Office 365やCopilotを搭載したPower Appsは、システム開発なしに、ユーザーが自分仕様のITサービスを実現できるものです。GitHub Copilot Workspaceは、Issueを入れれば、仕様の作成からテスト、不具合の訂正、コード生成、ビルドをほぼ自動でこなしてしまいます。同様(以上)のことをしてくれるGoogleのGeminiの登場やDuetの充実も急速に進んでいるようです。
「システム開発のための工数需要を集めて収益を拡大する」
そんな、ビジネスの前提が成り立たなくなる事態が起きています。ユーザー企業が、これを機に直ちに外注をやめて、内製化に舵を切るとは思えません。しかし、雪崩が起きるように、これまでの常識を転換してしまうことは確実です。それがいつかを予測できないことが、不確定要素なのです。少なくとも、3年先を考える中期計画には、織り込んでおくべきでしょう(蛇足ながら、未来が予測できないいまの時代に、不確実極まりない3年後の未来からいまを縛り付ける「中期経営計画」は意味がないし、変化に俊敏に対応するための足かせになると、私は思っています)。
人的資本経営と人的資源経営の違い
「事業予算=人的資源×人数」という考え方から、「事業予算=人的資本×人数」へと転換するための施策を早急に打つべきです。
資源とは、ヒト、モノ、カネを消費の対象と捉える考え方です。消費すればするほど減ってしまいます。つまり、「人的資源」とは、「コストとして消費する対象として、人材を捉える考え方」です。
一方、資本とは、価値を生みだす源泉です。この価値を高めることが、収益の拡大につながります。つまり、「人的資本」とは、「人材に投資して、ひとり一人の価値を高め、高い収益を上げようという考え方」です。
「事業予算=人数×単金」は、「人的資源経営」です。一方で、ひとり一人の価値、すなわち、お客様から「高くても構わないから、なんとしでも〇〇さんに仕事をお願いしたい」と言わせることができる「〇〇さん」増やすことが、「人的資本経営」です。
人材をひとかたまりの資源と捉え「ひと山いくら」で売るのではなく、ひとり一人を能力ある個人として、「このひとは、これだけの価値があるので、この金額でしか提供できません」という売り方に変えていくことです。わかりやすく言えば、コスパの魅力で工数を売るビジネスから、お客様がどうしても手に入れたい技術力の魅力で個人を売るビジネスへの転換です。
人数を増やして単金を変えずに工数を増やし、収益を拡大するのではなく、人数は少なくてもひとり一人の価値を高め高い値段でお買い求め頂いて、収益を拡大することを施策に盛り込むべきなのです。そのためには、プロの「〇〇さん」を増やさなくてはなりません。そのための取り組みが、「人的資本経営」です。
素人とプロの違い
素人は、自分の会社の仕事をきっちりとこなせる存在です。その能力が高ければ、自分が所属する会社では、役職は高く、権限を持ち、まわりが従ってくれます。一方、プロは、会社を越えて、名前で知られている存在です。その人個人の能力によって高く評価され、お客様が従ってくれます。
どちらも生き方の選択肢だと思います。そして、そのどちらも、努力を重ねなければ、自分の価値を高めることはできません。ただ、終身雇用が幻想となってしまったいま、前者の選択は、とても脆弱で、不確実です。
結局のところ、前者(会社で出世すること)を選択するにしても、それは、後者(社会での存在感を高めること)に取り組んだ結果であると考えるべきです。
私は、転職についてのご相談を請けることがあります。その方に、どんなキャリアをお持ちですか?と伺うと、何歳の時に係長になり、課長になり、部長になったと言うことを説明される方がいらっしゃいます。しかし、それはその会社にだけに通用するキャリアであり、転職先の会社では、何の意味も持ちません。
聞きたいことは、他の会社でも通用するプロとしてのキャリアです。例えば、どのような仕事を通じて、どのような知識やスキルを身につけ、誰とつながり、どのような成果に、いかなるカタチで貢献したかということです。つまり、社会に通用する価値を高めるために、どのような成長の機会を積み上げてきたかです。このような説明ができなければ、本人の価値を知ることはできません。
つまり、本人は、いかなる分野で「プロ=会社を越えて、社会的に高く評価される存在」なのかということです。プロとしてのキャリアを積むとは、こういう自分の人生の物語を綴ることです。
「人的資本経営」とは、このようなキャリア観を持つ人たちを増やしていく経営とも言えるでしょう。
人的資本経営の本丸
高度経済成長の時代のように、会社が示す方向に従って努力すれば、業績も向上し、待遇も良くなっていく時代ではありません。ひとりひとりのプロとしての能力を高め、その総合力を活かすことが、会社の業績につながる時代です。だから、従業員の個性を活かし、その能力を高めていける機会の提供や報酬体系、雇用制度といった環境を提供できる会社に優秀な人材が集まり、結果として、企業の成長を促します。
そんな会社から転職した人が、他社でも評価されるとすれば、それもまた優秀な人材を呼び込むきっかけにもなります。そういう会社は、その業界にあって、敬意を持ってみられるわけで、優秀な人材のハブとなって、その業界の価値を高める中心的な役割を果たすでしょう。これこそ、「人的資本経営」の成果です。
ただ、このような経営のあり方を自分のキャリアに活かすためには、従業員も、同じベクトルを持たなくてはなりません。自分に時間やお金を積極的に投資しなくては、この機会を活かせません。会社に与えられる機会だけではなく、これをきっかけに、自律的な成長の機会を自ら切り拓いてこそ、プロとしてのキャリアを綴ることができるのだと思います。この相互関係を築くことが、自分の社会的な価値の向上につながり、会社の業績にも貢献できるのです。
会社に期待するのではなく、会社に期待される存在になることです。さらに一歩進めて、社会に期待される存在を目指すことです。そういう考えを実践できるひとが、人生の選択肢を拡げていけるのでしょう。
もはや転職は当たり前の世の中です。だからこそ、企業が、優秀な人材をつなぎ止めるにはプロを育てるための投資や施策が必要であり、それは優秀な人材を集める切り札にもなります。一方で、個人としては、プロでなければ生きにくい世の中になりました。そのための成長の機会を与えてくれる企業は、魅力的であり、留まりたいと思うでしょう。そんな両者の相互関係を維持することが「人的資本経営」の本丸ではないかと思います。
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2022年10月3日紙版発売
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斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー