「うちの社員には危機感が足りません。ぜひ、危機感を持たせて頂きたい。」
このような講演のご依頼を頂くことがあります。社員が危機感を持てば、「このままではまずい、何とかしなければ」と自発的、自律的に、何らかの行動を起こしてくれるはずとの思惑があるからでしょう。しかし、そんなにうまくいくのでしょうか。
それ以前の話しとして、危機感を煽って欲しいと依頼する当事者に、何が「危機」であるかを具体的に教えて欲しいと申し上げると、「なんとなく」がほとんどです。
DXや生成AIなどという言葉が世間を飛び交い、「うちもなんとかしなければまずいのでは?」という根拠のない焦りや、世の中の先行きが見えないいま、これまで順調にやってきた事業が、どこかでうまくいかなくなるのではないかという漠然とした不安を「危機」という言葉で表現しているようです。
一方で、いまの事業が、それなりにうまくいっている現場に本心からの危機感などありません。現実に忙殺され、そんなことを言われても、「理屈では分かるが実感がない」というのが、本音ではないかと思います。
「危機感」を煽れば、「より一層の現場の頑張りを引き出せる」や「新しいことにチャレンジしたいという意欲を高められる」、「変革が進む」ということなのですが、そんなうまくいくとは思えません。
危機感を持たせることがダメだと言いたいわけではありません。ただ、「漠然とした危機感」では、人を動かすことはできないと言いたいのです。自分たちの直面する「危機」とは何か、これにどう向きあうべきかを議論して、「具体的なイメージ」つまり「このままでは自分の仕事がなくなってしまう、給料が下がる、会社がなくなる」といった自分事としての実感がなくては、行動を起こす動機付けにはなりません。
講演で、「危機感」を感じてもらえる話をしても、一般論に過ぎません。一般論を「自分事」に転換し、その後の取り組みを引き出すための施策をセットにしなければ、モヤモヤが募るばかりです。むしろ、いまの仕事への不安を感じモチベーションを下げてしまったり、会社への不信を募らせ転職動機を与えてしまったり、ということにもなりかねません。
「危機感を持たせれば、現場は自発的に行動する」
高度経済成長の時代、頑張って努力すれば、待遇や昇進で報われることが、当たり前だった時代ならば、「危機感」は、一層の頑張りを奨励するブースターとしての役割を果たせかかも知れません。しかし、成長の限界や予測できない将来を誰もが感じ、「このままではまずいのでは」という「漠然とした危機感」を誰もが共有しているいま、「危機感」を上塗りしても「やっぱりそうなんだ」という程度の話しであり、「よぉ〜し、頑張るぞ!」にはならないような気がします。
危機感を煽るために「他社事例」を沢山紹介してほしいと求められることがあります。これも、将来が予測のできない世の中では、ほとんど意味がありません。「将来が予測できない」のであれば、「他社でうまくいったこと=他社事例」は、自分たちの正解にはなりません。二番煎じであり、過去の成功事例でしかありません。自分たちの未来の正解を、そこに見出すことはできません。もし参考になるとすれば、「他社が成功したこのやり方は、まねしないようにしよう」という気付きを与えてくれることくらいでしょう。
そんな時代に、現場のやる気を引き出し、新しいことにも果敢に取り組む現場を作るにはどうすればいいのでしょうか。それは「高揚感」です。
一橋ビジネススクール客員教授 名和高司氏の著書「パーパス経営」には、次の一節があります。
「Purposeは「存在意義」と訳されることが多いですが、それでは少し理屈っぽいですし、よそよそしいものに感じます。わたしは「志(こころざし)」と読み替え、パーパス経営を「志本経営」とも呼んでいます。あくまでも企業の内部から湧き出てくる強い思いこそがパーパスであってほしいという願いからです。」
- 自分は世の中にこのような貢献を果たしたい
- お客様の事業の成功のためにはこういうことをしたい
- 私はこの知識やスキルで世の中の役に立ちたい
そんな内から湧き出る志、すなわち「わくわく感=高揚感」をモチベーションを引き出す原動力に据えることです。そのためには、「働き方改革」の前に、その前提となる「働くこと改革」に取り組むべきでしょう。
世間では、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が盛んに使われていますが、私はこの言葉にとても違和感を感じています。
2009年を頂点として、日本の人口が減少に転じ、少子化対策として仕事より生活の比重を高める重要性が注目されるようになった時期、この言葉は盛んに使われました。ただ、この言葉は、仕事と生活が、対立関係にあることを前提にしています。つまり、仕事のやり過ぎは会社の搾取につながり、身体やメンタルを蝕む「辛い」ものだから、個人や家族との「楽しい」生活を増やし、両者の帳尻を合わせるべきだという考えです。
かつて、均質な労働力を集め、組織全体の効率を高める労働集約型経営が求められていた1989年には、「24時間戦えますか」が、新語・流行語大賞にランクインしました。そんな時代を引きずっていたからこそ、「ワーク・ライフ・バランス」は、働き過ぎを戒めるメッセージとしての役割を果たしたとも言えます。
しかし、効率を追求すれば、業績が向上する。それらは全て数字で測られ、数字が伸びれば全ては報われる時代は終わりました。みんなが同じ場所に集まり、同じ方向を向いて、一丸となって突き進むことでは、企業の存続は難しくなりました。
これまでには無い新たな価値を生み出し、自分たちの存在を差別化することが、競争力の源泉となったのです。そのためには、多様な個人の才能を活かし、それらを組み合わせてイノベーションを生みだす知識集約型経営が求められています。
そんなひとり一人の多様な才能を活かすには、仕事と生活を対立関係に置くのではなく、生活あるいは人生(ともにライフ)の一部として、仕事を位置付けることが大切になったのです。
「ワーク・イン・ライフ」
様々な価値観や才能を持つ個人が、活き活きと働き、最高のパフォーマンスを発揮できる場を提供することが、いまの時代にはふさわしいと言えるでしょう。
リモートワークや副業・兼業が当たり前となり、職住接近という常識も薄れつつあります。もはや仕事と生活は対立する関係ではなく、相互に価値を高め合う「場」として、働くことの意味を会社としても、個人としても、問い直すべきです。
そんな「働くこと」についての価値観を共有し、自分たちの事業の「パーパス=志」を示し、その道筋を示すのが、経営者の役割です。経営者は、魅力あるパーパス支えに事業の構想(ビジョン)を示し、一緒になって、そのビジョンを実現しようとする社員の志を引き出すための取り組み、すなわち「働くこと改革」が必要であり、その手段としての「働き方改革」に取り組む必要があります。
私は、長年ITに関わる企業の人材育成や事業戦略の立案に関わる仕事をしてきましたが、いまこの業界は、事業の大転換を求められています。どれだけの労働力を提供できるかが、事業の規模、案件の大きさを決める「人月ビジネス」が、これまでの経営を支えていました。かつて、システムを構築するには、システムを作るための人材を組織力で集めることが必要であり、その人数が、事業の規模を決定する最も重要な要件とされてきました。
しかし、クラウドの普及やサービスの充実で、売上と人数の相関が、崩れてしまいました。また、生成AIが、プログラム・コードを生成してくれる時代になりました。これらを使えば、大幅な人月の減少となるわけで、利益相反となります。もはや、「人月ビジネス」は、時代遅れとなってしまったわけです。
いま必要なのは、「圧倒的な技術力」です。新しい技術を前提に、少ない人数で、高速に、顧客のニーズに対応するための知識やスキルです。そんな技術力が、これからの商品となるのです。
技術力は、個人に属しています。そんな個人が自分の技術力をチームで共有し、活かせてこそ、圧倒的な商品としての技術力が磨かれます。そんな、個人に属する技術力は、叱咤激励では、磨かれません。個人としての志があればこそ、学ぶことへの意欲が生まれ、技術力は磨かれます。商品としての技術力の価値が高められるのです。
イノベーションや創造性も、「やらなくちゃならない」という危機感からは生まれることはありません。高い志と多様な才能を持った人たちが、徹底して議論し、試行錯誤を繰り返しながら、壁にぶつかり、頭を悩まし、小さな解決を積み上げる。そんなプロセスから生みだされる高揚感が、イノベーションや創造性を生みだす原動力になるのです。
将来が予測できない時代には、計画通りものごとを進めることなどできません。それにもかかわらず、中期経営計画のように、数字で行動を縛り、この達成を絶対とする経営のあり方は、時代錯誤と言われるようになり久しいにもかかわらず、未だこの行動様式から抜け出せない企業が少なくはありません。
予測できない未来に対処するには、上から命令されるのではなく、自発的、自律的に俊敏に行動するしかありません。面倒な稟議や複雑な手続き、上司の顔色や暗黙の了解に縛られていては、そんなことはできません。
そんな自律を促すのが、高揚感です。「こういうことをやってみよう、チャレンジしてみよう、それが楽しくて仕方がない。やり甲斐を感じる」というわくわく感が、現場のモチベーションを高めます。それが許される場や機会を提供することが経営の役割です。
危機感を煽れば、「このままでは大変なことになる」との悲壮感を引き出す事はできるでしょう。しかし、それは守りであり、現状を大きく変えよという動機付けにはなりません。攻めることを楽しみ、新しい時代を切り拓くことへの動機付けは、高揚感なくして生みだされるものではありません。
危機感ではなく高揚感で人を動かす
そんな価値観を持つことが、これまでにも増して、求められているのではないでしょうか。
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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー