「私たちのこの取り組みは、DXに該当するでしょうか?」
トップの大号令で、DXの実践に向きあう事業部の方から、こんな質問を頂きました。
「私には分かりません。」
心の中では即答でしたが、さすがにそうは言えませんでした。
これまで取り組んできたデジタル化やIT化との違いは曖昧なままです。そもそも、いかなる課題を解決するかの議論も尽くされていません。それ以前に、明確な危機感や変革の必要性についての共通認識がありません。「このままではまずいかもしない」との個々人の漠然とした思惑が、なんとなく拡がっているだけです。
当然、「DX」とは、何のために何をすることなのかのコンセンサスはありません。一般論に照らし合わせて、自分たちの取り組みが「DX」であることを確認し、安心したいのかも知れません。しかし、一般論や他社の事例から、自分たちの取り組みが、「DXぽい」ものであったとして、どれほどの意味があるのでしょうか。
「与えられた枠組み」の中で仕事をこなすことができない時代
日本人は、与えられた枠組みの中で、誠実に仕事をこなすことを得意としてきました。かつて日本が、”Japan as No.1”と称されるほどに、経済成長を遂げたのも、そんな組織文化が、原動力となりました。
「与えられた枠組み」は、過去の経験から培われ、それまでの常識の延長線上にあります。かつては、これに従えば良かったのですが、いまはこれができません。
- これまでの成功のセオリーが通用しない
- 社会環境があっという間に変わってしまう
- 未来を予測できない
いま社会は、多様化がすすみ、変化のスピードは加速度を増しています。過去から学ぶことはできません。なによりも、先行きが予測できませんから、「与えられた枠組み」など、あてなりません。自分で「枠組み」を作っては壊しを繰りえ返えさなくてはなりません。
DXという言葉の呪縛を解き放て
「DX」の定義を知ることで、何が変わるのでしょう。「DX」とは、「Digital Transformation/デジタル変革」であるとか、「デジタルが当たり前の世の中に適応するために会社を作り変えること」だと知ったとしても、それで行動が起こせるでしょうか。言葉を知っても、意味が理解できても、自分たちの文脈で捉え直さないかぎり、行動には移せません。
言葉そのものの意味や定義を知って満足するのではなく、なぜこの言葉が注目されているのか、その背景を理解し、自分たちの事業にどのような課題を突きつけ、変化を強いるのかを考えることのほうが、はるかに大切です。自分たちの取り組みが、DXであるかどうかは、どうでもいい話です。
では、ここでいう「背景」とは、どのようなことでしょうか。
安定性から俊敏性への価値観の転換
社会の変化をふり返れば、2000年あたりを境にして、大きな価値観の転換が始まったように思います。それは、「安定性(Stability)」から「俊敏性(Agility)」へと、価値観の重心、すなわち何を優先するかの基準が変わったことです。
価値観の転換を象徴する出来事の1つが、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件です。社会の不確実性が高まり、予測困難な時代になったことを私たちは思い知らされました。VUCAは、このような時代背景の中で、注目されるようになりました。
VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べたもので、1990年代後半にアメリカ合衆国で軍事用語と使われ、それが、ビジネスの用語に転用されて、時代を象徴する言葉として、定着していきました。
VUCA時代の到来は、我々が、当然のこととして受け入れてきた「安定性」の価値観に再考を迫りました。「安定性」を実践するため作られた会社の仕組みを、「俊敏性」のそれへと作り変えることを強いるのです。それができなければ、事業の存続も企業の成長もありません。そのためには、お客様との係わり方、収益のあげ方、働き方、業務の手順、組織や意思決定のあり方など、広範にわたって、会社の仕組みを作り変えなくてはなりません。
デジタルは、そのための前提であると同時に、実践の手段です。これもまた、「背景」を理解する上で、欠かすことができません。
「前提としてのデジタル」と「手段としてのデジタル」
前提としてのデジタル
私たちの日常は、デジタル無しでは、不便で仕方がありません。例えば、旅行に行こうとなると、まずはネットで旅行先を探します。ここがいいとなれば、ネットでホテルを予約し、交通手段を手配します。その上で、リアルな旅行を体験するというのが、当たり前の時代になりました。もはやデジタルは、「リアルを支援する便利な道具」の域を超え、「リアルを包括する仕組み」へと変わりました。この前提に立って、ビジネスを作り変えなければ、事業を維持することはできません。
手段としてのデジタル
上記に対応するためにデジタルを駆使することが、不可避です。例えば、上記の例のように旅行客との接点は、ネットがきっかけとなります。ならば、ネットを介した集客や予約対応ができなければ、顧客を掴むことができません。人手不足やグローバルへの対応を迫られているのなら、クラウド・サービスやAIを使うのが、現実的でコスパのいい解決策です。デジタルを手段として使わなければ、デジタル前提の社会に適応することはできません。
そんなふたつのデジタルに向き合い変革に取り組む必要があります。
変革の3段階:「いま」を辞めることから始める
社会心理学の父と言われるクルト・レヴィン(Kurt Lewin 1890 -1947年)は、変革に取り組むには、次の3つの段階を踏まなくてはならないと述べています。
第1段階:解凍(unfreezing)
危機的状況についての現状認識と危機感を共有し、新しい考え方、やり方によって改善していくといった雰囲気を醸成。既存の価値観や先入観を捨てて、新たな企業の文化や風土を作っていこうとの考えに合意し、推進力を生みだす。
第2段階:変革(moving/移動)
目指すべき改革の方向性や全体像を共有し、誰が、何を、いつまでに実行するかなどの具体的な実行策を定める。変革の効果を検証し、試行錯誤を重ねながら、変革をすすめる。
第3段階:再凍結(freezing)
変革の成果を組織内に定着させ習慣化させる。変革後の状態を当たり前のものとして定着させて新しい企業の風土や文化を根付かせる。
時代にそぐわない「いま」の常識を辞めることが、変革の第一歩だというわけです。つまり、「安定性」を実践するための会社の仕組みのままでは、時代から弾き飛ばされてしまいます。そうならないためには、「俊敏性」のそれへと変えることを受け入れなくてはなりません。その上で、全社一丸となって、変革に取り組むことに合意するわけです。これが、「第1段階:解凍」であり、新しいことを始める「第2段階:変革」は、この次のステップです。
しかし、DXの文脈で語られることの多くは、デジタルを使って「新しいこと」を始めることに偏っているように見えます。新しいことに取り組むことがダメなのではありません。まずは自分たちの危機的状況を認識し、辞めなくてはならないことをはっきりさせ、その上で、これに代わる「新しいこと」に取り組むべきなのです。
「第1段階」の議論を尽くさないままに、新しいことを始める「第2段階」の議論ばかりしても、うまくはいきません。しかし、現実は、「第2段階」の議論に終始している企業が多いようです。
「私たちのこの取り組みは、DXに該当するでしょうか?」
このような質問が出てくるのは、まさにこんな現実を反映しているのかも知れません。つまり、「何のため=危機的状況の認識と辞めるべきこと」をはっきりさせないままに、「変革=新しいこと」をしようというわけです。
当然、そんな取り組みに意義や理由を見出すことはできません。「何のためにやるのか」が分からない、あるいは理由のないことをやるのは、とても不安で、意欲も生まれません。だから、外部の第三者に「これは変革です=DX認定」のお墨付きをもらい、これを理由にして、安心感を得ようというわけです。
これは、「理由の付け替え」です。内発的な動機を引き出す理由が見いだせないから、第三者の権威にすがり、理由を与えてもらおうというわけです。「本当の理由」がないままの取り組みがうまくいくはずもなく、成果は期待できません。
PDCAを回せない時代
DXという言葉の定義や他社の事例を知ることは、「参考」にはなります。しかし、それが、自分たちの正解ではありません。
DXと言う言葉が登場し、様々な「解釈」が示されました。また、何らかの課題を解決するために、各社の「事例」が生まれました。なぜ、このような解釈が生まれたのでしょうか。なぜ、各社は、これを課題としたのでしょうか。これらを知ることは、自分たちがいま置かれている状況を知る手かがりになります。しかし、自分たちが、何をすべきかを教えてはくれません。
また、過去の成功を紹介する「事例」は、いまの、あるいは、これからの正解ではありません。未来が予測できず、変化の速いVUCAの時代には、自分たちの正解は自分で作り、またこれを作り直すことを繰り返し、自分で作り続けるしかありません。
PDCAを回すこともできなくなりました。社会環境がめまぐるしく変わり、正確な未来予測は困難です。計画の妥当性が直ぐに失われてしまう時代に、計画を起点とするPDCAにこだわることは、リスクでしかありません。
味の素は、2023年2月28日に開催した経営説明会で、中期経営計画を廃止することを発表しました。狙いは、数値目標のみを追う“中計病”からの脱却だそうです。
「変化が激しい時代、変化に対応しながら価値を生み続ける組織文化をつくる必要がある」
“中計病”とは、数値目標のみに執着する経営のことです。目標達成のために数値管理は欠かせませんが、その一方で、既存事業の積み上げにこだわり、市場の変化に素早く対応できず、新たな製品やサービスが生まれないという弊害もあったとのことです。
3年後の未来を正確に予測することが、どれほど難しいかを、私たちは、コロナ禍やウクライナ戦争で実感しました。同様の不確実性は、今後も変わることはありません。そんな時代に、3年後の未来を予測して、その達成を絶対のものとしてPDCAを回していく中期経営計画は、その実効性がなくなってしまったという認識のようです。味の素以外にも同様の考えを持つ企業は、今後増えていくでしょう。
「安定性」の時代には、未来を予測してPDCAを回すことが、企業の成長には、有効でした。しかし、「俊敏性」の時代へと変わったいまでは、目前の変化を直ちに捉え、現時点での最適を選択し、改善を高速に回し続けなくてはなりません。
そんな圧倒的なスピードを手に入れるためには、組織や制度、業務の仕組みや働き方、顧客との関係や収益のあげ方などを作り変えなくてはなりません。デジタルはそのための欠かせない手段です。
DXの定義や言葉の意味を知るよりも、この現実を受け入れ、対処する決意を固め、行動することです。自分たちの取り組みが、「DX」であるかどうかは、ここに示したような現実に向き合い、自分たちが認識した課題を解決できるかどうかで、自分たち自身で判断すべきです。
Beyond DX/DXを越えて
私たちは、「DX」という言葉に囚われすぎてはいないでしょうか。DXであるかどうかなどどうでもよく、本質的な課題に対処しているかどうかを問うべきです。
他人の評価など気にする必要はありません。自分たちが、本質的課題に対処しているとの確信が持てれば、胸を張って「DX」と呼べばいいだけのことです。いや、「DX」などという言葉など使う必要もないでしょう。
「DX」という言葉に囚われず、まずは自分たちの現況を冷静に見つめ直し、何が自分たちの危機なのか、何を辞めるべきかを議論してはどうでしょう。
「人は変わりたくないわけではない。他者に変えられたくないだけだ。」
MITのピーター・センゲは、こう指摘しています。この現実に向きあわなくてはなりません。だからこそ、議論が必要なのです。誰かの指示や命令、あるいは、お仕着せの枠組みに従うのではなく、議論を重ね、ひとり一人が、変わらなければとの自発的意欲を持つことが、必要だからです。
Beyond DX/DXを越えて、私たちは本質的な課題に目を向けなくてはなりません。DXであるかどうかはどうでもいいのです。本質的な課題を共有し、全社一丸となって、「安定性」を志向する企業から「俊敏性」を志向する企業へと作り変えることが、これからの時代を生き抜くための前提です。
そのために真摯に努力しているのなら、自信を持って「DXを実践している」と言えばいいだけのことです。世間のDXと比べる必要はありません。やり方は、会社や組織、個人によっても違います。大切なことは、そのための行動を起こしているかどうかです。DXとは、その過程であり、成果であり、試行錯誤の模索です。世間が言う一般論の「与えられた枠組み」に従うことではありません。
「自分のやっていることは、DXに該当するのだろうか?」
もし自分の中に、このような問いがあるのなら、まずは、次のことを自分に問いかけてみてはどうでしょう。
「自分のやっていることは、やるべきことなのか?」
DXであるかどうかを問うよりも、遥かに大切な問いだと思います。
書籍案内 【図解】コレ一枚でわかる最新ITトレンド 改装新訂4版
ITのいまの常識がこの1冊で手に入る,ロングセラーの最新版
「クラウドとかAIとかだって説明できないのに,メタバースだとかWeb3.0だとか,もう意味がわからない」
「ITの常識力が必要だ! と言われても,どうやって身につければいいの?」
「DXに取り組めと言われても,これまでだってデジタル化やIT化に取り組んできたのに,何が違うのかわからない」
こんな自分を憂い,何とかしなければと,焦っている方も多いはず。
そんなあなたの不安を解消するために,ITの「時流」と「本質」を1冊にまとめました! 「そもそもデジタル化,DXってどういう意味?」といった基礎の基礎からはじめ,「クラウド」「5G」などもはや知らないでは済まされないトピック,さらには「NFT」「Web3.0」といった最先端の話題までをしっかり解説。また改訂4版では,サイバー攻撃の猛威やリモートワークの拡大に伴い関心が高まる「セキュリティ」について,新たな章を設けわかりやすく解説しています。技術の背景や価値,そのつながりまで,コレ1冊で総づかみ!
【特典1】掲載の図版はすべてPowerPointデータでダウンロード,ロイヤリティフリーで利用できます。社内の企画書やお客様への提案書,研修教材などにご活用ください!
【特典2】本書で扱うには少々専門的な,ITインフラやシステム開発に関わるキーワードについての解説も,PDFでダウンロードできます!
2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー
神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。