「DX白書2023」の調査によると、「自社で確保できているDX推進人材の量」について、「やや過剰である」、「過不足はない」と回答した日本企業の割合は合わせて10.9%であり、米国の73.4%と比べて著しく少なくなっています。また「不足している」と回答した企業の合計が83.5%となっています。なぜ、このようなことになっているのでしょうか。
私は、ITについての経営者の見識の低さが、「DX人材の不足」の本質的な理由であると考えています
「ITは、経営にとって重要だと考えていますか」と経営者に問えば、そのほとんどは、「その通り」と答えるはずです。では、「なぜ重要だと考えますか」と問えば、「コストの削減や利便性の向上」、あるいは、「デジタル・ビジネスの創出による事業機会の拡大」といった理由が返ってくるでしょう。つまり、ITを「便利な道具」と捉えているわけです。
事業活動の効率を高め、収益を増やすことは、経営の基本であり、ITを、そのための「便利な道具」として使うことは、価値のあることです。しかし、ここに留まっていることが、「見識不足」ではないかと考えているのです。
DXに取り組むことが、社会正義であるかのごとく、世間は大騒ぎです。そんな世の中の空気に押され、「積極的にDXを推進します」との宣言が、社長挨拶や経営方針に掲げられていいます。しかし、そのための取り組みが、上記のごとき「事業活動の効率を高め、収益を増やすためのIT活用」に留まるとすれば、ITがもたらす変化の本質を見誤っています。
既存事業を抱える企業の多くは、自分たちがいまやっていることをデジタルに適用させようと考えます。一方、デジタル・ネイティブ企業は、デジタルを前提に既存事業を再構築しようとしています。彼らは、既存事業が抱える様々な制約をデジタルによって解消し、産業構造や競争原理を作り変えることを狙っています。
彼らは、ITを便利な道具としてだけ捉えているのではありません。ITを前提に、ビジネスのあり方そのものを作り変えようとしているのです。そんな彼らと互角に勝負できなければ、やがては、既存の地位を奪われ、プレーヤーを置き換えられてしまいます。
もはやITは、「便利な道具」の域を超え、事業や経営のあり方についての見直しを迫る「新しいビジネスや社会の原理」とでも言うべき役割に拡がりつつあります。
また、ブロックチェーンやWeb3、メタバースや生成AIといったキーワードが、いま世間を賑わしていますが、これを、これまでの延長線上に登場した、新しい「便利な道具」程度にしか捉えられないとすれば、これもまた、「見識不足」の証左です。なぜなら、自分たちの存在を根底から否定する大きな力となる可能性があるからです。
ブロックチェーンは、取引や組織のあり方を根本的に変えようとしています。例えば、通貨は、信頼できる中央銀行が、その価値が保証するから、私たちは安心して使えます。しかし、ブロックチェーンを使う仮想通貨は、そういう信頼できる中央銀行に頼らずに価値を保証しています。このように、ブロックチェーンを使えば、特定の信頼できる管理監督者がいなくても、取引の正当性を保証することができます。
そんなブロックチェーンを使って、特定の管理監督者(=社長)のいない会社組織を実現しているのが、DAO(Decentralized Autonomous Organization/分散型自律組織)です。また、銀行のような金融機関を介することなく金融取引を実現するのがDeFi(Decentralized Finance/分散型金融)です。このような、ブロックチェーンを使って特定の管理監督者や運営者を置くことなく自律的に機能する様々なサービス群をWeb3と呼びます。
コロナ禍やウクライナ戦争による社会不安、世界の多極化による不確実性の高まりは、国家や政府機関に頼ることの危うさを露呈させました。テック企業のリストの拡大やそんなテック企業への融資で著名なシリコンバレーバンクの破綻といった既存の社会システムの変曲点となるような出来事が、立て続けに起きています。ブロックチェーンやWeb3が、既存の社会システムを直ちに置き換えることはないにしても、大きな影響力を持つようになることは、想像に難くありません。
メタバースが作り出す世界は、ネットゲームの世界とは異なり、予め用意されたシナリオがありません。我々が住む現実社会と同様に、誰もが自由に参加でき、社会活動や経済活動ができるインターネット上の世界です。
いまでこそ高性能のパソコンと大きなゴーグルを被らなければ、CGで作られた仮想世界であるメタバースに入ることはできませんが、近い将来、このような制約はなくなるでしょう。
軽量なメガネ型デバイスや携帯可能な高性能コンピューター、高速ネットワーク回線の普及により、4Kや8Kの高解像度で描かれた自分を現実世界と重ね合わせた仮想世界に置いて、様々な活動が可能になるはずです。現実世界と仮想世界の関係は、曖昧になるはずです。これを可能とする「ホロポーテーション」と呼ばれる技術は、既に実現しています。
つまり、メタバースは、現実世界と地続きな独自の世界、すなわち現実世界と並行して存在する「パラレル・ワールド」として、その存在感を高めていくはずです。これは、現実世界とは別の新しい社会や経済の基盤が、登場することを意味しています。
社会や経済は、これまで地理的なグロバリゼーションの波にさらされてきました。ここにメタバースという仮想世界が加わり、グローバリゼーションという概念の再定義が、求められるかもしれません。
生成AIもいまでこそ、平易な文章で質問に答えてくれる、あるいは、文章を入れれば画像増や動画を生成してくれるといった特定のデータ形式の組合せしか扱うことはできません。しかし、多様なデータ形式を自在に組合せ、様々な問いかけや依頼に対して、専門家として、アドハイスを与え、多様なカタチでアウトプットを生成してくれるようになるのは、時間の問題でしょう。
そのうち、タイトルとあらすじ、登場人物の特徴などを入力すれば、脚本を自動生成し、ヒット間違えなしの映画を作ってくれる時代もやってくるかも知れません。一気にそこまで行くかどうかは別として、このプロセスに関わる技術が、段階的に登場することは間違えないでしょう。
ITは人間にしかできないとされてきた仕事を代替し、人間とITの新たな役割分担が必要になります。それなれば、働き方や生き方、つまり、人間として生きることの意味さえ、再定義が求められることになるはずです。
ITの進化や発展が、社会やビジネスに及ぼす影響は、ここに上げたことに留まることはありません。この現実に対処してゆくことができなければ、企業は、成長以前に存続さえ危うくなります。もはやITは、「便利な道具実」の域を超えて、「新しいビジネスや社会の原理」へと、その位置づけを拡げつつあるのです。
確かに、いまのWeb3には、胡散臭さがただよっています。詐欺まがいの取引や仮想通貨の価値の投機的な乱高下など、話題となっています。しかし、この胡散臭さは、インターネットの黎明期にもあったことで、Web3もいま、そんな黎明期にあると考えることができるでしょう。
ブロックチェーンや、これを利用したサービス群であるWeb3は、既存常識から逸脱しています。それが理解できている人と理解できていない人がいるからこそ、そのギャップに山師達が入り込む余地を与えているのだと思います。
見方を変えれば、それたけ世の中を変える可能性を秘めているわけで、テクノロジーの本質を正しく理解して、その先にある未来の可能性を読みとり、いち早く備えておくことが、大切になるのだと思います。
メタバースや生成AIも、未だ黎明期であり、多くの課題を抱えていることは確かです。だからこそ、その課題を解決し、うまくいかせる企業が、新たなビジネスの可能性を手にすることができるのではないでしょうか。
当然ことですが、このようなこれからのITを支えるテクノロジーや、求められるスキルは、既存のものとは大きく変わります。これまで当たり前とされてきた情報システムの常識が通用しなくなるのです。
「DX推進人材」とは、こんな時代の変化を読みとる感性や知識を持っている人です。そして、これからのITの役割や価値を前提に、既存の事業や経営のありかたをどのように作り変えればいいのか考えることができなくてはなりません。そのための戦略や施策を策定し、自ら主導する、あるいは、経営者や事業部門のトップに伴走するリーダーシップを発揮することも求められます。
「これからのデジタル社会にふさわしい会社に作り変える」
ここに関わることができる人材が、「DX推進人材」です。もちろん、ひとりではできませんから、チームとして、役割を分担する必要があります。いま多くの企業で作られている「DX推進組織」は、そのためのチームであるべきでしょう。しかし、現実には、「ITを便利な道具」としてとらえ、その適用範囲を拡げることを役割としている組織が多いように見えます。
同調査で、DXを推進する人材像の設定・周知の状況についても尋ねています。日本企業の40.0%は、「設定していない」と回答し、米国の2.7%を大幅に上回っています。これは、「設定していない」ではなく、「設定できない」と読み替えるべきでしょう。つまり、ITがもたらす社会の変化と自分たちのビジネスへの影響を想像できず、そのための人材像も描けないと言うことです。
「これまでのIT人材とDX人材とは何が違うのか」
この問いに答えられず、「DXを推進する人材像」を設定できないということではないたでしょうか。
確かに、DXを実践するには、ITに詳しく、プログラムを書ける、クラウドが使える人材は、必要です。しかし、ITがもたらす社会や日常の変化を読み解き、自社の戦略や施策に落とし込むことができる人材もまた必要です。むしろ、DX人材とは、後者に重きを置くべきです。
ITは、コスト削減や収益の拡大のために役立つ「便利な道具」であり、多くの経営者は、その価値を十分に知っています。しかし、ITは、もはやその先の「新しいビジネスや社会の原理」へと変わりつつあります。そんな見識が、経営者になければ、未来に備えた経営課題や事業課題を描くことはできませんから、そのために必要な人材も定まりません。それにもかかわらず、世間に迎合して「積極的にDXを推進します」と宣言しているので、カタチは整えなければならず、システム開発の経験者をIT人材としてキャリア採用し、社員に向けては、ITリテラシー研修を実施しています。
このような取り組みに意味がないと言いたいわけではありません。その先に何を期待するかです。そのビジョンを示せないままに、IT人材の採用や育成をしても、これからのデジタル社会に適応するために、会社を作り変えることはできません。
経営者にその見識がなければ、まずはそれを認め、見識を持つ人材を配下に持つべきです。また、経営者自身が、見識を高めるための努力をすべきです。
私は、「DX人材の不足」は、そういう人が世の中にいないという理由に帰すべきではないと考えています。これは、当然のことで、来るべき未来に適応できる人材などいるはずがありません。だからこそ、経営者がITについての見識を高め、自らの未来を示し、そういう人材を育て、活かすことができる環境を整えることが大切なのだと思います。
DXとは、来るべき新たな常識に対応できる会社に作り変えることです。そのためには、デジタルの適用範囲を拡げ、デジタル・ビジネスで、収益機会を拡大することも必要です。しかし、そこに留まるのではなく、いまは、その先にある「来るべき世界」へ向かう過程であると捉え、人材を育て、変革を進めていくことが、必要ではないでしょうか。
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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー
神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。