「Armを知っている人は手を上げてください。」
あるSI事業者の4年次営業職のための研修でこんな質問を投げかけた。30名ほどの受講者がいたが、手を上げる人は皆無だった。コンテナ、サーバーレス、マイクロサービスといった言葉についても尋ねてみたが、手を上げる人は、わずかだった。ちなみにこの会社のホームページの事業内容には、「クラウド化支援」や「お客様のDXの実現に貢献する」という言葉が掲げられている。
「この程度のことも知らないなんて、勉強不足も甚だしい。」
かれらの自覚のなさや、自助努力の欠如を残念に想い、憤りさえ感じる人もいるかも知れない。しかし、ことの本質は、もっと根深いところにあるように思う。
会社の常識と世間の常識の乖離を埋める
入社4年目と言えば、仕事のやり方もわかり、忙しさの中にも達成感を感じられる時期だろう。同時に、会社の当たり前の日常に溶け込み、意識することなく、その会社のやり方を自然とこなせるようになっている頃でもある。
「世の中の動向に関心はなく、お客様から言われたことを粛々とやればいい」
そんな彼らの所属する会社の日常もまた、自然と身に付いていったのだろう。上司もまわりも関心がなければ、かれらが関心を持つことはない。
営業であれば、予算を達成することに専念するのは当然のことだ。そんな彼らのお客様の大半は情報システム部門である。ただ、情シスの仕事のほとんどは既存の業務の維持と機能追加でしかない。それら仕事の納期を守ることや、何とか予算に納めることに苦労し、事務処理や報告、説明のための業務に忙殺され、あっという間に時間が過ぎていく。気がつけば、世間の常識からは、浦島太郎となっているわけだが、そのことにさえ気付いていない。
このような現実があるにもかかわらず、「常識がない」や「もっと勉強すべきだ」と、彼ら個人の問題に帰してしまうのは筋違いではないかと思う。
AIやIoT、クラウドやサーバーレス、コンテナやマイクロサービスなど、デジタル・テクノロジーの急速な進化と、これに伴うITアーキテクチャーの非連続的な変化が起きている。この現実に対処するには、新しいテクノロジーに向きあうだけでは難しい。
求められるスキルが変わり、収益のあげ方も変わってしまう。組織力を動員してエンジニアを集め、その工数を売って稼ぐことから、できるだけ工数をかけずに、ユーザーの求めるサービスをいち早く実現するための圧倒的な技術力を高額で買ってもらうことへと変えてゆかなければならない。
そのためには、事業方針や達成目標を再定義し、考え方や組織の振る舞い、あるいは、働き方の常識をも変えてゆかなければ、ならないだろう。
この現実を受けとめることなく、これまでのやり方の延長線上で、何とかしようとしている経営者や管理者が、若い世代から、新しい常識に向きあう機会を奪っていると考えるのは、いささか考えすぎだろうか。
会社の常識と世間の常識との乖離をなくす必要がある。そのためには、経営者や管理者が、テクノロジーのトレンドやビジネス環境の変化を理解し、新しいテクノロジーを採用することだけではなく、収益モデルや達成目標、組織のあり方を作り変えることに取り組むことではないか。結果として、若い世代に新しいことへの関心を喚起し、新たな知識やスキルを獲得することへの動機付けが与えられるように思う。
効率的な営業組織に作り変える
営業にとって数字の達成は絶対だ。新しいことに取り組むことが、数字に結びつくのであれば、積極的に取り組むだろう。しかし、そんな見通しもなく、限られた時間の中で、確実に数字をあげるのであれば、数字が読める情シスに時間を割こうとするのは、自然なことだ。
「もっと、事業部門にアプローチせよ!」
情シスだけを相手にしていては、もはや数字を増やすことができない。だから次は事業部門へ行けという。そのための看板として、DXを掲げるわけだが、自分たちが時代の変化から取り残されているのに、その言葉に、どれほどの説得力があるというのか。
そもそもどこに行けばいいのだろう、どんな案件があるのだろう。そんな顧客を、自分で開拓しろという。実に効率が悪い。理屈は分かるが、モチベーションは高まらない。当然、彼らの語るべき言葉も磨かれず、数字の読めるこれまでの仕事、つまり「情シス案件」に埋没してしまう。
そもそも、営業にデマンド開拓を過度に依存するのは現実的ではない。営業の役割は、案件を刈り取り、数字にすることだ。既存の顧客の文脈から、新たな案件を創出することもあるが、まったく新しい顧客から案件を見つける、あるいは創り出すとなると、相当の覚悟と努力、何よりも時間が必要となる。これを根性論というか、精神論で、すべての営業に一律求めるというのは、極めて効率が悪い。
本来、このような仕事は、デマンド・センターが担う仕事だ。デマンド・センターの役割は、「見込み客データの収集(Lead Generation)」、「見込み客の啓蒙と育成(Lead Nurturing)」、「見込み客の絞り込み(Lead Qualification)」だ。これら一連の手順を行い、「案件創出(Demand Generation)」することが、デマンド・センターの目的だ。
「ここにおよそ〇〇〇円規模の確度の高い案件があります。具体的には、こんな状況であり、お客様はこんな期待を持っています。」
具体的な数字が見込める案件があれば、営業のモチベーションは上がる。案件を探さずとも既に案件があり、営業目標の達成にも貢献できるとなれば、営業は、積極的に案件獲得に向けて努力するだろう。当然、そこで数字を上げるために必要な知識や常識、そして言葉を磨くだろう。
外資系のITベンダーは、この仕組みを持っているところが多い。効率がいいから、営業に高い給料を払っても十分に利益が出せる。これは、国内のITベンダーやSI事業者から、優秀な営業が、外資へ転職してしまう理由のひとつにもなっている。
仕組みを作り、組織を自律的に機能させることが、経営者や管理者の役割のはずだ。その役割を棚上げし、精神論と現場の自助努力に期待するのは、いかがなものか。
かつては、情シスに頼り、その要望を誠実にこなしていれば、数字は達成できた時代もある。しかし、ITが社内業務の合理化や効率化の手段から、競合他社との差別化や顧客の創出、体験価値向上のために使われる時代となり、意志決定の重心は、情シスから事業部門へと移りはじめている。加えて、先に申し上げたテクノロジーの進化とITアーキテクチャーの変化に、伝統的な営業スタイルで対処するのは難しい。いま営業に求められているのは、顧客に新たな時代の到来を告げ、これにどう対処すべきかを提言し、顧客の未来を教える教師となることだ。これをきっかけに、顧客と対話をはじめ、一緒になって課題やテーマを見つけ出してゆくことだろう。そんなアプローチが、案件を生みだす。
案件を生みだす相手もメカニズムも変わりつつある。ならば、それにふさわしい営業プロセスに作り変えてゆかなければ、案件の獲得は難しくなり、優秀な営業人材もいなくなってしまうだろう。
経営者や管理者の役割は人が育つ仕組みを作ること
経営者や管理者が、テクノロジーの進化とITアーキテクチャーの変化を深く理解し、現場がこれにふさわしい動きができる仕組み作ることだ。そのための努力を怠り、事業部門の開拓を営業個人に丸投げし、そのための勉強の機会も自助努力に頼るというのは、おかしな話しであろう。新しいことを学ぶことに価値を見いだせず、そんな雰囲気さえない企業や組織で育つ若手が、「Armを知らない」は、仕方のないことなのかも知れない。
自助努力の大切さを否定するつもりは毛頭ない。しかし、それだけに頼っていては、組織は動かない。もちろん、DXというパラダイムシフトをビジネスのチャンスとして、引き寄せることはできない。
テクノロジーの進化とITアーキテクチャーの変化にもっと真摯に向き合うべきだ。そして、これにふさわしいビジネス・プロセスに定義し直すべきだろう。
「Armを知らない」は、経営の怠慢に他ならない。そう考え、いまの自分たちの現実に真摯に向き合うべきだ。なかなか事業部門へのアプローチがうまくいかないこと、営業の知識やスキルが不足していることを、彼らの自助努力にしてしまうSI事業者に、DXなど語る資格はない。もっと、本質的に、そして根本的に、自分たちの事業と経営の行く末を考えてみてはいかがだろうか。
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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー