これまでデジタル技術は、既存を改善することに貢献してきました。つまり、人間が働くことを前提に作られたビジネス・プロセスやビジネス・モデルの効率や利便性の向上を支援することに重点が置かれてきたわけです。つまり、価値を生みだすのは、人間の役割であり、その活動を支援することが目的とされてきました。つまり、デジタルは人間の道具、あるいは、人間の能力を高める手段として位置付けられてきたのです。
しかし、デジタル技術の進展により、人々の価値観や人間関係のあり方は大きく変わりました。また、情報の伝達は一瞬に行われ、顧客の期待やニーズはめまぐるしく変わります。これに対処し、産業構造や競争原理を変え続けなければ、事業継続や企業存続が難しくなりました。そのためには、デジタルにできることは徹底してデジタルに任せ、人間にしかできないことに人間は意識や時間を集中できるようにし、人間とデジタルが一体となって価値を生みだす必要があります。そんな、デジタルを前提としたビジネスに変革しなければなりません。
DXとはそそり立つエッジを乗り越えるための変革
デジタル技術の進展は、急速であり劇的です。あっという間に、これまでの常識が置き換わってしまいます。気づかないうちに両者の間には高い頂きが築かれてしまいます。
そのことを当然のこととして受け入れ、これまでとこれからのエッジ/境目を乗り越えることができる企業の文化や風土へと変革することがDXであると言うこともできるでしょう。
デジタルが前提とはどういうことか
デジタル技術の進展によって、私たちは「時間感覚の変化」と「価値観の変化」という2つの変化に向きあわなくてはなりません。
「時間感覚の変化」とは、市場のニーズや、顧客の興味や関心がめまぐるしく変わり、最適な手段もあっという間に入れ替わる社会への変化です。
「価値観の変化」とは、所有することで豊かさを追求する社会から、共有/シェア/共感によって満足を追求する社会への変化です。
この2つの変化が強力かつ急速であることが、乗り越えるべき常識のエッジ/境目を押し上げ続けているのです。
時間感覚の変化
これまでのように時間をかけて市場を見極め、完全な計画を立ててPDCAを確実にまわすといった時間感覚では、市場の変化に追従することも、先取りすることもできません。
情報の伝達は一瞬に行われ、顧客の期待やニーズはめまぐるしく変わります。これを直ちに理解し、現場が即応できることや、市場の変化に合わせて戦略をダイナミックに変え続けなければ、事業を継続することが難しい時代になったのです。
不確実性の常態化により「既存の改善」だけでは市場の変化に対処できない状況に、私たちは置かれています。予測できない未来に対処する能力が求められているのです。そのためには、次の取り組みが必要です。
- ビジネス・プロセスの徹底したデジタル化による現場の見える化
- オープンな情報共有と円滑なコミュニケーションによる相互信頼の醸成
- 自立したチームである現場への大胆な権限委譲
これまで、企業は階層的な組織構造を前提に、次のような時間軸で意思決定し、ビジネスを動かしてきました。
- 3年間の中長期計画
- 1年に一度の年度計画
- 半年に一度の設備投資
- 月例の定例役員会
- 週次の部門会議
もはや、このような時間感覚では、とうてい対処できません。計画通り物事が進まない、あるいは、計画の根拠となる変化を見通すことができない。そんな時代にあっては、変化に俊敏に対応しなくてはなりません。そのためには、上記の3つの取り組みを前提に、次のような時間感覚を持たなくてはなりません。
- 戦略を動かし続ける
- 現場に権限委譲する
- 現場での判断を重視
- 結果を迅速に事後報告
- 対話の頻度を増やす
それにともない、ビジネス・モデルやお客様との関係、働き方、これらを支える情報システムの開発や運用もまた、同じ時間感覚に同期させる必要があります。
また、このような時間感覚は、高速に試行錯誤を繰り返すためにも不可欠です。つまり、イノベーションを生みだす前提としても、このような時間感覚をもつことが必要となるのです。
価値観の変化
デジタルが前提の社会にあっては、価値観も大きく変わります。つながること、つながっていることが、当たり前の世の中になれば、それを前提に人々の行動様式が大きく変わるのは当然のことです。人々は、つながることから生まれる共感や共有に満足を見出し、それを追求することを価値と考えるようになります。
つながるとは、ヒトとヒトの関係だけではありません。ヒトとモノ、モノとモノもまたつながる時代になりました。ヒトとモノが相互につながり、お互いの状況を把握、共有できる時代へと変化したのです。
このようなつながることを前提とした社会では、次のような価値観の変化が起こります。
- 環境や再生可能への関心や価値の重心がシフト
- サービスで利用でき範囲が拡大し、所有することの価値が低減
- 常時接続・ソーシャルメディアの普及で共有や共感の価値が増大
ビジネスもまた、この変化に対応できなければなりません。それは、これまでのビジネスの前提が、モノを購入、所有することで満足を満たすことから、サービスを利用することで満足を満たすことへと大きく変わることを意味します。
これは、ソーシャルメディアやECサービス、オンライン研修などのサービス・ビジネスばかりではありません。モノを必要とするビジネスについても同様で、これを「モノのサービス化」と呼びます。モノを購入するのではなく、必要なときにモノをレンタルやサブスクリプションで貸し出すサービスや、メルカリやヤフオクのように、購入、所有しても、満足を満たせなくなれば、それを売却し新しいモノを手に入れるといったこともまた、モノのサービス化と同一の文脈と言えるでしょう。
モノのビジネスも含めて、様々なビジネスがサービスへと大きくシフトする時代となり、ソフトウェアの役割も大きく変わりつつあります。
オンラインのサービスでは、ソフトウェアの巧拙がビジネスの価値を左右することは当然のことです。モノに於いても、同様の状況になりつつあります。
作ったら変更できないハードウェアに機能や性能を固定的に作り込むのではなく、ハードウェアをできるだけ汎用的かつ柔軟性の高い標準的な部品あるいはモジュールの組合せにして、ソフトウェアで機能や性能を実装し、ネット介してアップデートできるようにしようというわけです。
そうすれば、ハードウェアの調達や製造が容易かつ低コストでできます。また、新しい製品を高速に開発でき、販売した後にも、ネットを介して頻繁に機能や性能を改善できます。加えて、属人性を廃してどこの地域でも作ることができ、複雑性を低減することで、開発や生産、保守のコストを下げることができます。
この考え方を推し進めれば、モノを販売して収益を得るビジネスではなく、モノを貸し出し、従量課金やサブスクリプションで、継続的に収益を得られるビジネスにしたほうが、合理的です。そうすれば、ニーズの変化や技術の進化に応じて、機能や性能を改善し続けるアップデート費用を継続的に確保でき、顧客のロイヤリティを維持し続けることもできるようになります。「モノのサービス化」が、普及する背景は、ここにあります。
「所有」で豊かさを追求する社会において、大量消費と所有の増大が価値の重心であり、価値は、モノの機能・性能・希少性に依存していました。ビジネスは、そんなモノの価値を生みだすことに重心を置いて行われてきたとも言えるでしょう。
そんな価値観が大勢を占める時代にあっては、製造業の企業価値は高く評価されていました。また、デジタルは、彼らが作るモノの付加価値を高める手段として使われてきたのです。
しかし、そんな価値の重心が、大きく変わってしまいました。つながることを前提に、共有/シェアすることに満足を求める時代へと変わったのです。また、つながることで社会問題が共有されるようになり、環境への意識も高まりました。そのことが、再生可能エネルギーや、レンタルやサブスクリプションでのシェアへの関心を高めています。
多くの人たちが、つながりを前提に、共有/シェアと再生可能に価値を求めるようになったことが、ビジネスの主役をモノからサービスへと、大きく転換することに拍車を掛けているのです。
DXとは何をすることか
DXとは、このような変化に対処できる企業の文化や風土へと変革することです。表現を変えれば、「デジタルが前提の社会になったのだから、それに適応して仕事のやり方、お客様との関係、働き方を変えましょう」ということです。そうしなければ、デジタル前提の社会で生き残ることができません。
先週の記事でも書きましたが、企業は、その本性として、売上や利益を成長させようとします。しかし、まずは、生き残らなければなりません。ビックテックやデジタル・ネイティブが勢いを増し、「時間感覚の変化」や「価値観の変化」を加速しているいまの社会に於いて、彼らに置き換えられ、淘汰される側に立つのではなく、彼らと対等に競合し、自らの存在感を確固たるものにして、これからの社会に生き残ることが、成長するための前提です。
そのためには、「人間OS」を最新版にバーションアップすること、つまり、デジタルを前提に物事を考え、行動できるように、従業員の思考様式や行動様式を変えなくてはなりません。これが、「文化や風土の変革」です。
自転車というテクノロジーが登場し、私たちの移動の自由度と移動距離が飛躍的に伸びました。しかし、そんな自転車を使いこなすスキルと、自転車をこぐ体力を磨かなければ、自転車を乗りこなし、自転車がもたらす価値を引き出すことはできません。
自転車を乗りこなすことができるようになり、その価値が実感できたからこそ、多くの人が気楽に利用できるようにと、「レンタサイクル」というビジネスが生まれました。さらに、自転車をもっと便利に使えるように「シェアバイク」というサービスが登場します。それを既存公共交通手段と一体化させて、移動範囲と利便性を大きく拡大しようというサービス「MaaS(Mobility as a Service)」が登場しました。
「自転車を使いこなすスキルと自転車をこぐ体力」が、「自転車リテラシー」です。「デジタルを使いこなすスキルとデジタルを活用できる能力」が「デジタル・リテラシー」です。そんなリテラシーを土台に、これまでの常識や「しきたり」に邪魔されることなく、新しいビジネス・プロセスやビジネス・モデルを構想し、行動に移せる企業に変わることが、「文化や風土の変革」といえるでしょう。
DXというと、デジタル技術を使い業務の効率を高めることや、新規事業を創出することだとの考えに留まっている人たちが多いのが現実です。なにもそれが、間違っているわけではありません。ただ、それがゴールではないのです。
時間感覚と価値観のめまぐるしい変化に対処し続けるためには、まずは、そんな時代にふさわしい最新版の「人間OS」にバーションアップすることです。それを使って業務の効率化と新規事業の創出を繰り返し、変わり続けることができる企業になることです。DXとは、そんな取り組みではないかと考えています。
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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー