「新規事業を始めるためにアイデアソンをやりたい。そのファシリテーションをお願いできないでしょうか。」
あるSI事業者の幹部の方から、このようなご相談をいただきました。
「AIについて大学院で勉強してきた人材がいるので、AIを活かした新規事業を立ち上げたい。ただ、社内で話し合ってもなかなかいいアイデアが浮かばない、ならばアイデアソンというのがあるらしいので、そういうことをファシリテーションできる人に頼めば、なにかいいアイデアが出てくるのではないか。」
そんなことで、ご相談を頂いたようです(ちなみに私は研修のツールとして、アイデアソンを希に使うことはあっても、使いこなしているわけではありません。なぜ、こんな話になったのか、不思議に思っています)。
ただ、アイデアソン以前の話しとして、このような話しは、筋が悪すぎます。私は、次のように尋ねました。
「新規事業を立ち上げることが目的なのでしょうか?それとも、何らかの事業課題、例えば、売上や利益が落ち込んでいる、優秀な人材がどんどん辞めていく、お客様からのご要望に応えられず商機を逸することが増えている、などの課題を解決することが目的でしょうか?」
「特に明確な課題があるわけではありません。業績も悪くありません。ただ、大手SI事業者の下請けとして、受託開発中心の仕事をしていますが、元請から、今後お願いできる受託開発案件は先細りする可能性がると聞かされ、不安に思い、新規事業に取り組まなければと考えています。また、元請に頼らない自社の商材を持ちたいとの想いもあります。」
漠然とした将来への不安、自社商材を持ちたいとの願望から、新規事業に取り組もうと言うことだったようです。また、ご相談者が「新規事業の担当責任者」を任ぜられたこともあって、その役割を果たさなくてはという気持ちもあったようです。
「明確な課題があるわけではないが、新規事業を立ち上げたいと言うことですね。つまり、新規事業をやることが目的と言うことなのでしょうか。AIに精通した優秀な人材もいる。ならば、それなりのカタチにはなるでしょう。ただ、それが投資に見合う収益を上げられるかどうかは別の話です。」
自分たちが何としてでも解決したい明確な課題はない、また、お客様の切実なニーズについても漠然としています。これでは、そこに関わる人たちの意欲を高めることはできないでしょうし、顧客もはっきりしないのですから、収益は期待できません。これでは、カタチはできても、成果につながらないことは、容易に想像できます。
また、「受託開発案件は先細りする可能性」というのも「なぜそうなるのか、具体的にはどういうことになるのか、どれほどの事業への影響があるのか」と言った具体的なイメージがなく、漠然とした危機感でしかありません。これでは、新規事業にどれほどの投資を振り向けるべきかを判断できないでしょう。
受託開発や準委任を手がけるSI事業者が、自社商材を持ちたいとの願望から、これまでも多くの企業で新規事業開発の取り組みが行われてきました。しかし、その多くが鳴かず飛ばずの中途半端で終わっています。その原因は、「本気ではないから」だと思っています。新しい商材は、それが市場に受け入れられるには、相応の時間とお金、人材が必要です。しかし、本業が優先され、中途半端にしか経営資源は提供されず、成功するまで続けられずに終わってしまうことが多いように見えます。「覚悟がなかったから」と言うこともできるでしょう。
こんなことにならないためには、危機感を漠然とした「感覚レベル」から事実に裏打ちされた「データ・レベル」に緻密化し、それにふさわしい経営資源を配分する経営判断が必要です。
「まずは、自分たちの足下のビジネスの土台が、いまどのような方向に向かっているのか、もっと具体的に学んでみてはどうでしょう。そして、自分たちの事業の将来をどういう方向に向けてゆくべきかを議論されてはいかがですか。」
「AIを使った新規事業については、”遊び”で取り組まれてはどうでしょう。ビジネスの成果など期待せず、”3年後に10億円”的な目標など定めずに、面白そうだからやってみる。多少の資金的、時間的なサポートはするとして、いろいろと試行錯誤を楽しむような取り組みをされてはどうでしょう。もしかしたら、そこから思わぬ事業のきっかけが生まれてくるかも知れません。」
社会心理学の父と言われるクルト・レヴィンは、変革を成功に導くには、従来のやり方や価値観を壊し(解凍)、それらを変化させ(変革)、新たな方法や価値観を構築する(再凍結)という3段階が必要だと述べています。
第1段階:解凍(unfreezing)
解凍とは、いままでのやり方では通用せず、変えていかなければ会社の経営は危機的状況に陥るという現状認識と危機感を共有し、新しい考え方、やり方によって改善していくといった雰囲気を醸成することです。既存の価値観や先入観を捨てて、新たな企業の文化や風土を作っていこうとの考えに従業員が合意し、新しい取り組みにむけた推進力を生みだすことです。
第2段階:変革(moving/移動)
変革の必要性が共有されたあとは、変革です。目指すべき改革の方向性や全体像を共有し、誰が、何を、いつまでに実行するかなどの具体的な実効策を定めます。さらに、変革の実行がどれだけの効果を生み出しているのかを検証し、試行錯誤を重ねながら、変革を進めてゆきます。
第3段階:再凍結(freezing)
変革を起こせても、元に戻ってしまっては意味がありません。そこで、変革の成果を検証できた段階で、それを組織内に定着させ習慣化させます。そうすることで、組織内では変革後の状態が当たり前のものとして定着する、つまり新しい企業の風土や文化が根付きます。
社会環境が複雑性を増し、将来の予測が困難な状況となり、何か新しいことを始めなければと、多くの企業がもがいているように見えます。DXが世間を賑わすのも、同様の背景があるからでしょう。
ただ、クルト・レビンの「変革の3段階」に従うならば、「新しいことを始めるためには、まずは『いま』を終わらせなくてはならない」ということになります。新規事業であれ、DXであれは、いずれもこれまでの常識を終わらせて、新しいことに置き換えなくてはなりません。
では、何を終わらせるのか。それを十分に議論し、置き換えることでもたらされる価値をあきらかにし、その上で新規事業や変革を実践しなくてはならないのです。
新規事業が生まれないのも、DXがうまく進まないのも、新しいことを始めることにばかり囚われているからではないでしょうか。まずは、「『いま』を終わらせる」ことから取り組んではどうでしょうか。
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2022年10月3日紙版発売
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斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー