100年前に大流行したスペイン風邪で亡くなったマックス・ウェーバーは、著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、勤勉に働くのを是とする倫理的な環境が西欧資本主義の原動力になったと説いた。
コロナ禍前の私たちは、同じ時間帯に満員電車で通勤し、オフィスに集まり、会議を重ね、遅くまで残業していた。まさにウェーバーの説く勤勉そのものであろう。そんなかつての勤勉の指標がコロナ禍により、いま大きく変貌を遂げている。
コロナ禍をきっかけに、仕方なく、あるいは半ば強引にテレワークを実施した企業は少なくない。しかし、そのことで、出社しなければ仕事ができない、直接対面しなければ商談はすすまないとの常識が、ただの思いこみであったことに、気付かされた人たちも多いはずだ。もちろん、その当初は戸惑いもあったが、いまとなっては、これになれてしまったとも言える。
一方で、テレワークの足かせとなるシステム環境や制度などの課題が浮き彫りとなった。これを克服して、テレワークを常態化する企業がある一方で、元の状態に戻す企業も出始めている。これは、企業の評価を大きく左右することになるだろう。特に新規採用や若手の転職においては、無視できない影響がでてくるはずだ。
例えば、新卒者はテレワークができるかどうかが応募の選択肢の1つになっている。また、テレワークができれば、地方の優秀な人材を採用できる機会が生まれる。人材の流動化も加速する。特に「どこででも通用する」優秀な人材にとっては、テレワークは、働き方の自由度を高めることであり、自分の成長ややり甲斐を与えてくれる。そんな彼らが、「できない会社」から「できる会社」へ転職しようと考えるのは、当然のことだ。
そう考えれば、テレワークに対応できるかどうかが、結果として企業の業績や成長力に影響を与える長期的な要因になる。ひいては企業の淘汰や産業構造の転換につながってゆくと考えるのは、突飛な発想ではないように思う。
もちろん、テレワークができるかどうかが重要なわけではない。テレワークも含むハイブリッドな働き方を前提に、雇用のあり方や価値創出の仕組み作りに向きあうことこそが重要であろう。「テレワーク」と「あえて集まる」を組み合わせて、従業員の幸せな働き方と事業価値の向上を図ってゆくことが求められている。
勤勉の前提が変わってしまった
リモートワークを単に表向きの現象、つまり働き方の形態や方法として捉えるべきではない。企業の社会的適応力の問題だ。すなわち社会の変化に対しての感度であり、それは、やがては、製品やサービスへと反映される。結果として、時代の感性に取り残された企業が、社会の変化に適応できず、顧客や従業員に見放され、淘汰されてゆくことになるのは、しかたがないことだ。
「労働時間の管理」は、「モノが主役」の社会だった時代の考え方だ。たくさんのモノを作り、それを売りさばくことで、企業は収益を上げていた。個々人の個別最適ではなく、汎用的な標準品を効率よく作り、広く市場に売りさばくためには、労働力が最も大切な経営資源であり、その効率や規模を維持することが、経営者には求められていた。そのために、従業員は、働く時間を管理され、長時間働くことが美徳されていた。
「24時間、戦えますか?」
1988年に健康ドリンクのCMに使われたこの言葉は、流行語大賞にも選ばれるほどに、世の中の共感を得たのを記憶されている方も多いはずだ。まさに働くとは、労働力の提供であり、できる限り多くの時間を仕事に費やすことが、求められてきた。そうやって働けば、個々人の才覚にかかわらず役職が上がり給与も上がるという「年功序列」も従業員の時間を管理することと同根の思想が前提にある。定時での出社や退社を管理するという考え方は、そんな時代の行き過ぎを、何とかしようとの施策である。
もはや「モノが主役」の時代は終焉を迎え「サービスが主役」の時代を迎えた。時間ではなく、個々人の知恵や工夫であり、それを実現するソフトウェアが、価値を産み出す時代になった。労働生産性ではなく、知的生産性が、求められる時代になった。
そんな時代にもかかわらず、「モノが主役」の時代の思想を引きずっていては、優秀な人材は集まらないし、そのことに気付いた人材は去ってしまうだろう。例えば、リモートワークで使っている社員のPCに「監視ソフトを入れる」や「始業時と終業時に上司にメールを送る」、「就労時間外はメールのやり取り禁止」といったことは、時代の価値観とは、もはや相容れない。
そこには、「放置しておけば、仕事をさぼる従業員」なので、しっかり監視、管理しなければならいと考える会社と、「仕事を与えてくれるのが会社。給料分はしっかり働くが、それ以外はプライベート」と考える従業員との間の、前時代的な暗黙の了解が存在する。
そんな関係を当然のこととして割り切りうまくやっていこうとする社員しか、その会社には、残らないだろう。そんな会社から、イノベーションが生まれることはないだろうし、知的生産性が高まるはずもない。
人脈とは「名指しで知られる」人間になること
こんな時代の変化に気づき、会社を変えていこうと決意し、取り組む経営者も増えている。ならば、そういう企業と出逢うにふさわしい感性と能力を磨いてゆくことが、個人として、ひとり一人には、求められるのだろうと思う。
「まずは、会社がかわるべきだ!」なんて、考え方も前時代的だ。100年人生が当然の時代となり、もはや会社や組織に頼って、自分の人生を全うすることなどできるはずがない。変われない会社など辞めてしまえばいい。そのためには、自分の社会的価値を高め、どこに行っても選ばれる存在となり、人生の選択肢を増やすしかない。
自分が、その会社を選んでも、受け入れてもらえないでは、そこに行くことができない。そうならないためには、自分の「個人的資産」と「社会的資産」を積み上げる努力を怠らないことだ。
「個人的資産」とは、自分が労働市場で高く評価されるためのスキルや知識を言う。ITに関わる仕事であれば、いまのテクノロジーの常識や業務を理解し整理できる能力、提案できる能力、システムのアーキテクチャーを設計できる能力、コードを駆使できる能力などだ。もちろん、語学力も個人的資産として不可欠なものだ。
「社会的資産」とは、「人脈」のことだ。ただ、「人脈」とは、多くの人を知っていることではない。多くの人に「知られる」ことだ。これなら、あの人に聞けばいい、これならあの人が適任だと、名指しで世間に知られる存在になることが、「人脈を拡げる」ことである。
そんな、名指しで知られる人たちに共通するのは、社外に沢山の人のつながりを持っていること、アウトプットの頻度が高くその量も多いこと、直接の仕事以外についても幅広く勉強していること、などであろう。
そんなことは、簡単なことじゃないというひともいるだろう。だからこそ、それができる人が、名指しで呼ばれる存在になる。
新しい時代の勤勉の指標
システム・インテグレーターは、将来に於いて、深刻な2つの課題を抱えている。ひとつは、クラウドや自動化による工数需要の伸び代がなくなりつつあること、さらには、ユーザー企業の内製化の拡大により、どのような契約を結ぶべきかが非常に難しくなってきたことだろう。内製化は、クラウドやアジャイルが前提であるため、従来の契約形態と同じにはいかない。それは、売り物が「工数」から「技術力」へと変わるためだ。人材の育成のあり方も、対価の受け取り方も変わってしまう。
こうした課題は、今後システム・インテグレーターはどうやって生き残るかという論点を含む、根の深いものだ。このユーザー企業の内製範囲の拡大に適切に対処できなければ、優秀な人材ほど早く見切りを付け、離職していくだろう。
コロナ禍をきっかけに、この状況を見越して、事業戦略の見直し、変革に取り組んでいる企業もある。ITもまた、これを機会に新しい常識へと舵を切るだろう。例えば、アジャイル開発やDevOps、コンテナやサーバーレス、ゼロトラストやサイバーレジリエンス、ローコード開発や内製化が、ITビジネスの前提として求められる。DXは、こんな前提の上で展開されてゆく。
そんな時代にふさわしい「個人的資産」と「社会的資産」を積み上げているだろうか。「新しい時代の勤勉」の指標は、まさにこの資産の大きさであり、それを積み上げる加速度となるのだろう。
【最終回】9月7日・新入社員のための「1日研修/一万円」
最終回・9月7日(水)募集中
社会人として必要なデジタル・リテラシーを学ぶ
ビジネスの現場では、当たり前に、デジタルやDXといった言葉が、飛び交っています。クラウドやAIなどは、ビジネスの前提として、使われるようになりました。アジャイル開発やDevOps、ゼロトラストや5Gといった言葉も、語られる機会が増えました。
そんな、当たり前を知らないままに、現場に放り出され、会話についていけず、自信を無くして、不安をいだいている新入社員も少なくないと聞いています。
そんな彼らに、いまのITやデジタルの常識を、体系的にわかりやすく解説し、これから取り組む自分の仕事に自信とやり甲斐を持ってもらおうというものです。
【前提知識は不要】
ITについての前提知識は不要です。ITベンダー/SI事業者であるかどうかにかかわらず、ユーザー企業の皆様にもご参加頂けます。