AIを使った新規事業を立ち上げれば、それはDXになるのだろうか。リモートワークを実践し、そのためにワークフローを電子化して捺印や紙の書類を廃止すれば、それはDXといえるのだろうか。業務システムをオンプレミスからクラウドへ移行すれば、それはDXなのだろうか。
ここに示したように、デジタル技術を使い業務を効率化したり、新しいビジネス・モデルを生みだしたりすることは、企業の存続と成長にとって、必要なことだ。しかし、このような取り組みは、「DX」という言葉が使われる以前から行われてきた。それらを私たちは、「デジタル化」あるいは「IT化」と呼んでいた。
もちろん言葉の解釈など恣意的なものである。「デジタル化」や「IT化」を「DX」と読み替えることが、ダメだとか、間違っていると言うつもりはない。事実、これまでも言葉を置き換え目新しく見せるだけのバズワードは、この業界ではさかんに使われてきた。
例えば、仮想化されたサーバーをデータセンターに於いて、ネットワーク越しに使うことを「クラウド・コンピューティング」であるとか、自動化の仕組みを「AI」と読み替えることなどは、だれもが知るところだろう。
しかし、DXについての歴史的な経緯をたどってみると、ただの置き換えのバスワードではないことが分かる。ならば、DXとは何者なのか。「デジタル化」との違いを示しながら、考えてみよう。
DXとは何か
まずは、DXとは何かについて、歴史的系譜を抑えながら整理する。また、DXという言葉をはじめて使った2004年のストルターマンの解釈と、いま私たちが使っている解釈が、異なっていることについても解説する。
ストルターマンが提唱したDXの定義
「デジタル技術(IT)の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」
DXとは、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授らが提唱した概念だ。
この定義が書かれた論文では、DXを「デジタルは大衆の生活を変える」といった概念的な説明に留まっている。また、ビジネスとITについても言及し、企業がITを使って、「事業の業績や対象範囲を根底から変化させる」、次に「技術と現実が徐々に融合して結びついていく変化が起こる」、そして「人々の生活をよりよい方向に変化させる」という段階があるとも述べている。
デジタル・ビジネス・トランスフォーメーションの登場
「デジタル・テクノロジーの進展により産業構造や競争原理が変化し、これに対処できなければ、事業継続や企業存続が難しくなる」
2010年以降、ガートナーやIDC、IMD教授であるマイケル・ウエィドらの解釈だ。ストルターマンらの解釈とは違い、より経営や事業に踏み込んで解釈したものと言えるだろう。
彼らの解釈は、デジタル・テクノロジーに主体的かつ積極的に取り組むことの必要性を訴えるもので、これに対処できない事業の継続は難しいとの警鈴を含んでいる。つまり、デジタル技術の進展を前提に、競争環境 、ビジネス・モデル、組織や体制の再定義を行い、企業の文化や体質を変革する必要があると促しているわけだ。
ガートナーは、これをストルターマンらの定義とあえて区別するために、「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」と呼ぶことを提唱している。
この「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」については、マイケル・ウェイドらが、その著書『DX実行戦略/デジタルで稼ぐ組織を作る(日経新聞出版社)/2019年8月』で、次のような解釈を述べている。
「デジタル技術とデジタル・ビジネスモデルを用いて組織を変化させ、業績を改善すること」
2018年に経済産業省が発表した「DXガイド」もこの「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」の解釈を踏襲し、次の定義を掲載している。
「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」
この定義は、ストルターマンらの解釈ではなく、ガートナーやマイケル・ウエイドらの提唱する「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」の解釈に基づいている。そして、これを「DX/デジタル・トランスフォーメーション」と呼んでいるわけで、この点は注意しなくてはならないだろう。
つまり、私たちが、普段ビジネスの現場で使っている「DX」とは、「デジタル・ビジネス・トランスフォーメーション」のことであり、これを前提に、私たちは、DXについて、解釈する必要があるということになる。
私たちが「いま使っている」DXの定義
改めて、いま私たちがいま使っているDXについての解釈を整理すると、次のようになるだろう。
「デジタル・テクノロジーの進展により産業構造や競争原理が変化し、これに対処できなければ、事業継続や企業存続が難しくなる。そのためには、自分たちの競争環境 、ビジネス・モデル、組織や体制を再定義し、企業の文化や体質を変革すること」
ところで、なぜ「Digital Transformation」 を”DT”ではなく”DX”と表記するのだろう。実は、ここにDXの本質が示されているといってもいい。本来、”Trans-“には上下を入れ替えるや、ものごとひっくり返す、交差させるという意味がある。既存を「入れ替える」ことや「ひっくり返す」こと、すなわち「変革すること」のイメージを”X”で表現しているわけだ。「デジタルで変革する」ことを「DX」という二文字でうまく表現している。
デジタル化とは何か
次に、デジタルあるいはデジタル化とは何かについて、整理しておこう。また、デジタルとITの関係についても説明する。
デジタルとフィジカル
「デジタル(digital)」とは、本来「離散量(とびとびの値しかない量)」を意味する言葉で、連続量(区切りなく続く値をもつ量)を表すアナログと対をなす概念だ。ラテン語の「指 (digitus)」を表す言葉が語源で、「指でかぞえる」といった意味から派生して、離散的な数、あるいは数字という意味で使われている。
一方、現実世界(フィジカル世界/Physical Worldとも言う)の「ものごと」や「できごと」は、全て「アナログ」だ。例えば、時間や温度、明るさや音の大きさなどの物理現象、モノを運ぶ、誰かと会話するなどの人間の行為もまたアナログだ。しかし、アナログのままではコンピュータで扱うことはできない。そこで、コンピュータで扱えるデジタル、すなわち0と1の数字の組み合わせに変換する必要がある。
現実世界のアナログな「ものごと」や「できごと」は、デジタルに変換することで、コンピュータで処理できるカタチに変わる。つまり、センサー、あるいはWebやモバイル・デバイスなどを介して、現実世界の「ものごと」や「できごと」が、デジタル・データに変換され、コンピュータに受け渡される。
こうして、コンピュータの中に、「アナログな現実世界のデジタル・コピー」が作られる。これを「デジタルな双子の兄弟」、すなわち「デジタル・ツイン(Digital Twin)」と呼んでいる。
つまり、「デジタル」とは、現実世界の「ものごと」や「できごと」を「コンピュータで扱えるカタチ」に置き換えた姿と言い換えることができる。
デジタルとIT
「デジタル」とは、「コンピューターで扱えるカタチ」を意味する言葉だ。そんなコンピューターを実現するための技術、例えば、半導体やストレージ、通信回線や通信手順、ソフトウェアやプログラミング言語などの技術を総称して「Information Technology(IT):情報技術」と呼ぶ。
ITにはCommunication:通信 の意味も含まれているが、これをあえて強調する表現として、ICT=Information & Communication Technology」と言う表現も使われている。
ICTとITは、基本的には同じ意味だが、何を重視するかによって、次のように使い分けられている。
- IT:半導体やストレージなどのバードウェア、プログラミングや開発技法などのソフトウェア、ネットワークなどのコンピュータ関連の技術全般を説明する場合
- ICT:上記を含み、特に通信技術の活用方法やそれを実現するハードウェアやソフトウェア、すなわち情報伝達を重視した技術を説明する場合
また、省庁によってもIT とICTは使い分けられている。例えば、経済産業省では、コンピューター製品やその技術を扱うことが多いので「IT」を使い、総務省では情報通信産業を担当するので「ICT」を使っている。ただし、両者は一般的には、明確な区別があるわけではない。
また、歴史的に見れば、2000年に日本政府が「e-Japan」構想を打ち出し、「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」(通称「IT基本法」)を成立させた。当時は、ITを使っていたが、2004年に「e-Japan」構想を「u-Japan」構想に改正した頃から、ICTを使っている。なお、国際的にはICTという言葉が広まっており、そのため日本でもITに代わってICTが広まりつつあるようだ。
デジタル化
アナログな現実世界の「ものごと」や「できごと」を「コンピュータで扱えるカタチ」すなわち、デジタルで表現し直すことが、「デジタル化」だ。
では、なぜ「デジタル化」するのだろう。
「人間のやっていたことをコンピュータでできるようにする」ため
このように説明するとわかりやすいかも知れない。
デジタル化により、例えば次のようなことができるようになる。
これまで1週間かかっていた申し込み手続きを5分で終わらせる
- 顧客の行動(いま、どこで、何をしているのか)が分かる
- 他のデジタル・サービスと一瞬にして連係できる
- 膨大なデータの中にビジネスに役立つ規則や関係を見つけることができる
- 業務の進捗、人の動き、ビジネスの状態が、リアルタイムに「見える化」される など
では、なぜ、こうすることが必要なのか。それは、アナログな現実世界における次のような価値を手に入れるためだ。
- 顧客満足が向上する
- 業績が改善する
- 社員が幸せになる など
いかなる価値の実現をもたらすのかを見据えて、「デジタル化」にとりくむことが、大切であろう。
「これまで1週間かかっていた申し込み手続きを5分で終わらせる」ことができれば、顧客はその便利さに感動するだろう。そのうわさは瞬く間に拡がり、さらにお客様が増え、業績も向上する。
「顧客の行動(いま、どこで、何をしているのか)」が分かれば、その状況にふさわしい、サービスを提供できる。例えば、スタジアムでサッカーを観戦していて、お気に入りのチームが勝ったなら、そのチームのログの入った「いまだけ限定」のプレミアム・グッズをスマホで紹介すれば、喜んで勝ってくれるかも知れない。そうすれば、売上も向上する。
アナログな現実世界で生みだされる価値を定めないままに、デジタル化に取り組んでも、それはただの自己満足であり、ビジネスに貢献することはない。この関係については、対応付けて考えておくべきだろう。
2つのデジタル化:デジタイゼーションとデジタライゼション
「デジタル化」という日本語に対応する2つの英単語がある。
ひとつは、「デジタイゼーション(digitization)」だ。デジタル技術を利用してビジネス・プロセスを変換し、効率化やコストの削減、あるいは付加価値を向上させる場合に使われる。例えば、アナログ放送をデジタル放送に変換すれば、少ない周波数帯域で、たくさんの放送が送出できる。紙の書籍を電子書籍に変換すれば、いつでも好きなときに書籍を購入でき、かさばらず沢山の書籍を鞄に入れておくことができる。手作業で行っていたWeb画面からExcelへのコピペ作業をRPAに置き換えれば、作業工数の大幅な削減と人手不足の解消に役立つ。
このように効率化や合理化のためにデジタル技術を使う場合に使われる言葉だ。
もうひとつは、「デジタライゼーション(digitalization)」だ。デジタル技術を利用してビジネス・モデルを変革し、新たな利益や価値を生みだす機会を生みだす場合に使われる。例えば、自動車をインターネットにつなぎ稼働状況を公開すれば、必要な時に空いている自動車をスマートフォンから選び利用できるカーシェアリングになる。それが自動運転のクルマであれば、クルマが自ら迎えに来てくれるので、自動車を所有する必要がなくなる。また、好きな曲を聴くためには、CDを購入する、ネットからダウンロードして購入する必要があったが、ストリーミングであれば、いつでも好きなときに、そしてどんな曲でも聞くことができ、月額定額(サブスクリプション)制で聴き放題にすれば、音楽や動画の楽しみ方が、大きく変わってしまう。
このように、ビジネス・モデルを変革し、これまでに無い競争原理を実現して、新しい価値を生みだすためにデジタル技術を使う場合に使われる言葉だ。
これら2つのデジタル化を、どちらが優れているかとか、どちらが先進的かなどで、比較すべきではない。どちらも、必要な「デジタル化」だ。
しかし、これらを区別することなく、あるいは、両者を曖昧なままに、その取り組みを進めるべきではない。前者は、既存の改善であり、企業活動の効率を高め、持続的な成長を支えるためのデジタル化だ。一方後者は、既存の破壊であり、新たな顧客価値や破壊的競争力を創出するためのデジタル化だ。
前者であれば、既存あるいは現状を基準に、「現状のコストを30パーセント削減する」や「いま10日間かかっている納期を5日間へ短縮する」といったKPIを設定し、そのための手段を考えることになるだろう。一方後者は、「やってみなければ分からない」取り組みだ。つまり、試行錯誤を繰り返しながら、正解を探す取り組みだ。
前者は、既存を前提に目標を設定して、取り組むことができるが、後者は、既存を逸脱し、新しいやり方を発見しなくてはならない。目標の立て方や関わる人たちの文化はまるで違う。両者の違いを区別することなく、あるいは曖昧なままに、取り組んでもうまくいかないだろう。それぞれに応じた適切な戦略や施策、組織や体制で取り組む必要がある。
デジタル化とDXの違い
DXとは、次のような解釈になる。
「デジタル・テクノロジーの進展により産業構造や競争原理が変化し、これに対処できなければ、事業継続や企業存続が難しくなる。これに対処するには、自分たちの競争環境 、ビジネス・モデル、組織や体制を再定義し、企業の文化や体質を変革すること」
デジタル化とは、次のような解釈になる。
「アナログな現実世界の現実世界のものごとやできごとをコンピュータで扱えるカタチに置き換え、人間のやっていたことをコンピュータでできるようにすること」
また、デジタル化には、「デジタイゼーション:効率化のためのデジタル技術の活用」と「デジタライゼーション:変革を伴うデジタル技術の活用」との2つがあり、前者は「既存の改善」であり、後者は、「既存の破壊」であると説明した。
「DX」は、企業の目指すべき「あるべき姿」を示している。一方、「デジタル化」は、ビジネスを改善、あるいは変革する手段である。
DXが示す「あるべき姿」への変革を実現するには、デジタル化は有効な手段となる。しかし、それだけは、「あるべき姿」にはならない。事業の目的や経営のあり方を再定義し、「いまの社会」に適応するための取り組みも必要になる。
「いまの社会」とは、「変化が早く、予測困難な社会」である。このような「いまの社会」を支えているのは、インターネットやクラウド、スマートフォンやIoTなどのデジタルである。そんなデジタルが前提の社会に対処するには、自らもデジタルを駆使して、圧倒的なビジネス・スピードを獲得*し変化に俊敏に対応できる企業、すなわち「アジャイルな企業」に変わる必要がある。
当然、そこで働く人たちや組織の仕組みも、変化に俊敏に対応できなくてはならない。すなわち、自律したチームへの大幅な権限委譲やそれを支えるオープンな情報共有、従業員ひとり一人が最高のパフォーマンスを発揮するためのワークスタイルの多様化などだ。つまり、アジャイルな企業の文化や風土への変革が必要になる。
DXとは、既存のビジネス・プロセスやビジネス・モデルを「デジタル化」することに留まらず、企業の文化や風土への変革を目指す取り組みと言えるだろう。
*デジタル化すれば、圧倒的なビジネス・スピードを獲得することができる理由については、こちらの記事を参考にしてほしい。
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デジタル化とDXの違いをご理解頂けたであろうか。冒頭で申し上げた「デジタル技術を使い業務を効率化したり、新しいビジネス・モデルを生みだしたりすること」だけでは、「デジタル化」に留まることになるだろう。それらのことを当たり前に繰り返し変化し続ける企業、すなわち「アジャイル企業」に変わることが、「DX」である。
強いて両者の違いをまとめれば、次のようになる。
「DXは、アジャイル企業へ変革すること、デジタル化は、そのための手段の一部である。」
両者は不可分の関係にはあるが、異なる位置付けだ。この違いを理解した上で、DXへの取り組みを検討されてはいかがだろうか。
【まもなく締め切り・特別補講の講師決定】次期・ITソリューション塾・第38期(10月6日〜)
次期・ITソリューション塾・第38期(10月6日 開講)の募集を始めました。
ITソリューション塾は、ITのトレンドを体系的に分かりやすくお伝えすることに留まらず、そんなITに関わるカルチャーが、いまどのように変わろうとしているのか、そして、ビジネスとの関係が、どう変わるのか、それにどう向きあえばいいのかを、考えるきっかけになるはずです。
また、何よりも大切だと考えているのでは、「本質」です。なぜ、このような変化が起きているのか、なぜ、このような取り組みが必要かの理由についても深く掘り下げます。それが理解できれば、実践は、自律的に進むでしょう。
- IT企業にお勤めの皆さん
- ユーザー企業でIT活用やデジタル戦略に関わる皆さん
- デジタルを武器に事業の改革や新規開発に取り組もうとされている皆さん
そんな皆さんには、きっとお役に立つはずです。
特別補講の講師決定:
成迫 剛志氏/株式会社デンソー デジタルイノベーション室 室長
「なぜデンソーは、ソフトウエア・ファーストに取り組むのか」
デジタル技術の発展は、企業の競争原理を大きく変えつつある。自動車業界は、その最前線だ。まさにその最前線で、変革の先頭に立つ成迫さんに、彼らの戦略や苦労の数々を伺う。ITベンダー/SI事業者の皆さんにとっては、お客様の戦略の核心を知ることになるはずだ。そして、DXとは何かの本質についても、現場目線で改めて知ることになるだろう。
特別講師の皆さん:
実務・実践のノウハウを活き活きとお伝えするために、現場の最前線で活躍する方に、講師をお願いしています。
戸田孝一郎氏/お客様のDXの実践の支援やSI事業者のDX実践のプロフェッショナルを育成する戦略スタッフサービスの代表
吉田雄哉氏/日本マイクロソフトで、お客様のDXの実践を支援するテクノロジーセンター長
河野省二氏/日本マイクロソフトで、セキュリティの次世代化をリードするCSO(チーフ・セキュリティ・オフィサー)
最終日の特別補講の講師についても、これからのITあるいはDXの実践者に、お話し頂く予定です。
- 日程 :初回2021年10月6日(水)~最終回12月15日(水) 毎週18:30~20:30
- 回数 :全10回+特別補講
- 定員 :120名
- 会場 :オンライン(ライブと録画)
- 料金 :¥90,000- (税込み¥99,000) 全期間の参加費と資料・教材を含む
詳細なスケジュールは、こちらに掲載しております。