欧米の経営者と従業員の関係は、羊飼いと羊の関係に似ている。彼らは、伝統的に、膨大な数の人的資産を効率よく統制し、自分たちの事業目的の達成に向けて、確実に動かす仕組を構築してきた。当然、経営者は、現場の末端に至るまで、迅速正確に情報を収集する術を必要としていた。ERPパッケージとは、そのための道具である。
一方、日本は農耕文化である。同じ集落であっても、場所によって水利や地勢は様々だ。集落全体として、情報を共有し、知恵を出し合い、助け合うことはあっても、最終的には、その田畑を任された者の判断に委ねるのが一番良いということになる。
時代が変わり、いまの企業の経営者も従業員の関係も、そんな伝統を引き継いでいるように見える。経営者は、「現場の判断にまかせる」ことを大切にする。現場を信頼し、現場最適で改善を積み上げることで、日本は世界に誇る効率や品質を実現してきた。
しかし、ビジネスが、グローバル化し、様々な国や地域で、文化や思想の異なる人たちが働く現場に対応しなければならなくなった。そのためには、「現場の判断にまかせる」のではなく、ビジネス・プロセスを徹底して標準化し、様々な地域での展開を迅速に行う必要がある。また、政治や経済的なリスクの予測が難しい中、迅速な撤収や地域の統廃合を進めなくてはならない。欧米では、ERPパッケージを導入することで、この状況に対処しようとしていた。
1990年代、グローバル化や一層の効率が求められるなか、我が国でも、各社がこぞってERPパッケージの導入を推し進めた。ERPブームの到来だ。
しかし、パッケージが提供する業務を標準化するためのテンプレートを使おうとすると、「このままでは、現場のやり方に合わない」との反発に遭う。経営者は、ならば現場のやり方に対応させるべく、カスタマイズやアドオンを許容した。
本来、”ERP”とは、経営思想や手法を表す言葉だ。会社全体のヒト、モノ、カネといった経営資源を的確に把握し、計画的な配分を迅速に行うことで、経営効率を高めようというわけだ。”ERPシステム”とは、そんなERP経営を実現するための手段である。言うまでもないが、「経営効率を高める」とは、人員の削減や最適配分も含まれる。すなわちリストラである。
そんな”ERP”を実現するには、まずはその前提となるビジネス・プロセス、すなわち仕事の手順や組織・体制をERP経営にふさわしいカタチに変革しなければならない。BPRである。それに合わせて”ERPシステム”を構築する。しかし、ビジネスは生き物であり、ビジネス環境の変化も早い。だから、ビジネス・プロセスの変革を先行させていては、いつまで経ってもERP経営は実現できない。
そこに”ERPパッケージ”が登場した。予め用意されたERP経営を実現するビジネス・プロセスを整理したテンプレートが用意され、それに合わせて既存のビジネス・プロセスを変革し、ERP経営の実現を加速しようというわけだ。つまり、テンプレートに合わせて、仕事のやり方を変えてこそ、その価値を最大限に引き出すことができる。
ところが、現場の判断に大きく依存する日本では、いまのやり方に合わないからとカスタマイズが頻繁に行われ、アドオンが膨大に作られた。もちろん、リストラなどは現場の発想から生まれない。その結果、ERPパッケージは、その本来の設計思想からはかけ離れてしまった。
ITベンダーやSI事業者にとっては、これに対応する工数需要がもたらされる。ERPやERPパッケージの本質を置き去りに、日本ならではのERPパッケージの導入が繰り広げられることになった。
カストマイズやアドオンがあれば、バージョンアップのたびに検証を行い、不具合を直さなければならない。その数が膨大であれば、その手間やコストもまた膨大なものになる。そんな状況の中、大手企業で圧倒的なシェアを有するSAPがソフトウェア・パッケージを刷新すると発表し、旧バージョンのサポート期限が2027年に迫っている。その対応に迫られている企業は、これまで作り込んだ膨大なカストマイズやアドオンが大きな足かせとなり、その対応に頭を痛めている。
既存のカスタマイズやアドオンをそのままにデータを移行するやり方(Brownfield)にするのか、新しいソフトウェア・パッケージに合わせて、業務プロセスを刷新し、データを移行するやり方(Greenfield)にするのかが、いま問われている。
正論に立てば、これを機会にGreenfieldを選択すべきは言うまでもない。しかし、現実には、既に作り込んだ膨大なカスタマイズやアドオンを廃棄し、新たに作り替えるには、膨大なコストがかかる。加えて、先にも述べた通り、ERPパッケージの使命は、ERP経営の実現を加速することだ。つまり、既存のビジネス・プロセスをERPパッケージに組み込まれた新しい時代の経営思想に対応して変革することが前提となる。これは、お金だけで解決できるものではなく、企業の文化や風土の変革を強いる。その覚悟ができるかどうか、経営者の胆力が問われている。
1990年代とは違い、日本企業の勢いはなくなってしまったいま、この選択は、容易なことではないだろう。
さて、なぜいまさらERPについて申し上げたのかというと、デジタル・トランスフォーメーション(DX)にもまた、同じような物語が見えるからだ。残念なことだが、DXブームに翻弄され、その本質を議論することなく、DXに取り組むことが、目的化しているように見える。
DXの難しさは、ERPパッケージのような具体的な手段がないことだろう。デジタルが前提の時代になり、人々の価値観やライフスタイル、ワークスタイルが大きく変わってしまった。また、社会の不確実性が高まり、予測できない未来に対応して事業を継続するには、圧倒的なビジネス・スピードが必要だ。そんな時代の変化に適応するために、ビジネス・モデルやビジネス・モデルを変革し、変化に俊敏に対応できる企業の文化や風土を創ろうというのがDXである。
DXとは、デジタル技術を駆使して、リモートワークを実現することやハンコをなくすことではなく、業務を効率化することでもない。新しいデジタル技術を駆使して、新規事業を立ち上げることでもない。
DXは、デジタルを使うことではなく、新しい時代の常識に適応することが目的だ。自ずと既存のビジネス・プロセス、すなわち業務手順や働き方、組織体制や経営のあり方の変革を強いられることになる。そのためには、業務の効率化や働き方の変革が必要となり、リモートワークもハンコの撤廃も必然であろう。また、めまぐるしく変化する時代に対応するには、新規事業の立ち上げも繰り返してゆかなければならない。
しかし、これは、企業の文化や風土を変革する結果であって、それが目的ではない。そのような本質に向きあうことなく、現状をそのままに手段を上書きしたところで、DXに取り組むことにはならないだろう。
ERPパッケージについて申し上げれば、デジタルが前提の時代になり、その役割は、ますます重要になった。つまり、企業が圧倒的なビジネス・スピードを手に入れるには、企業活動をリアルタイムに見える化する仕組みが不可欠だからだ。すなわち、企業活動のいまのデジタルコピー、すなわちデジタル・ツインを持つことができなければ、DXの実践は難しい。
ERPパッケージ自身が変革もたらすわけではない。変革をもたらすための統合データ活用基盤としての役割である。つまり、トランザクション処理に同期して、リアルタイムに意志決定を下す、あるいはビジネスプロセスを自動化するための基盤がERPパッケージである。SAPのパッケージがバージョンアップしたのは、これを容易にするための機能拡張であり、再構築だ。
SAPユーザーの中には、アプリケーションやデータベースを同時にバージョンアップして、ユーザーの負担を強いるなどけしからんという声もある。しかし、それは、手段を目的にしてきたツケであり、天に唾を吐くの例えであろう。
SI事業者やITベンダーは、「お客様のDXの実現に貢献する」や「お客様のDXパートナーとして選ばれるようになる」との意気込みを喧伝する。しかし、このような本質をお客様に伝えているだろうか。ERPパッケージの導入で、カスタマイズやアドオンの需要を増やすために、本質を正しく伝えることを棚上げしてきた過去をふり返るべきだろう。
ただ、この責をSI事業者やITベンダーに負わせるのは酷かも知れない。むしろ、ERPパッケージの本質を理解しようとせず、ERPパッケージという手段を導入すれば、様々な問題が解決できると考え、それを推し進めた当事者はユーザー企業であり、情報システム部門であったかも知れない。
DXブームでERPブームのときの二の舞を踏まないことだ。本質に向きあい、本質を極める努力を怠らないことだ。このままでは、またいつか来た道である。ますます我が国はグローバルから取り残されることになるだろう。
そうならないためには、DXブームに翻弄されないことだ。DXかどうかはともかくとして、デジタルが前提の時代に、何をなすべきかに謙虚に向きあうべきだ。
「DXを導入する」とか「DXを採用する」などという、本質とはかけ離れた訳の分からない言葉を聞くに付けて、本当に大丈夫かと心配し、言葉を荒げてしまうのは、余計なお世話であろうか。
【募集開始】第36期 ITソリューション塾 2月10日・開講
2月から始まる第36期では、DXの実践にフォーカスし、さらに内容をブラッシュアップします。実践の当事者たちを講師に招き、そのノウハウを教えて頂こうと思います。
そんな特別講師は、次の皆さんです。
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戸田孝一郎氏/お客様のDXの実践の支援やSI事業者のDX実践
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また、特別補講の講師には、事業現場の最前線でDXの実践を主導
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