「DX人材育成研修」をお願いしたいというご相談を頂く機会が増えている。その全てが、商社、保険、製造業などの事業会社からだ。しかも、情報システム部門が関与することは、まずない。経営企画部門、あるいは、「DX」や「デジタル」を冠に頂いた組織が、依頼主だ。事業部門が、あるいは経営者が、デジタルを自分たちの武器にしようとの本気度が感じられる。
DXが何かについては、これまでも、このブログで述べているので、詳述は割愛がするが、ひと言で申し上げれば、「デジタル技術を前提に、ビジネス・プロセスやビジネス・モデルを変革し、業績を改善すること」であろう。「デジタル技術を前提に」とは、デジタル技術を使って業務を効率化することや、新しい事業を立ち上げることと、同じではない。デジタルが当たり前の世の中になり、ビジネスの仕組みばかりではなく、人々の価値観や社会の仕組みが、大きく変わりつつある現実を前提に、ビジネスを再定義することを意味している。
そんな、DXを自ら実践する、あるいは、事業の現場の伴走者として、変革を支援、あるいは主導するのが「DX人材」であろう。そんな、人材にどのような能力が求められるのであろうか。
ほとんどのご依頼は、DXとは何か、あるいはITの最新トレンドを教えて欲しいというものだ。さらには、プログラミングやシステム開発、クラウドの利用方法などを学ばせたいという話しが続く。どれも、ITに関わる知識やスキルに関わるものだ。
しかし、ITの最新動向を知り、ITスキルを身につければ、「DX人材」になれるのかと問うと、多くの人が、首をかしげる。しかし、それ以外に思いつかないというのが、本音のようだ。
ITについて詳しいから、プログラムが書けるから、DXという事業や企業文化の変革を自ら実践、主導できるかと考えれば、それは難しい。DX人材には、もっと大切な能力が求められる。それは、事業課題を明確に定義でき、それを解決するプロセスをデザインし、実践を主導できる能力であろう。ITやデジタル技術についてのスキルや知識は、事業課題やビジネスを考える時の前提、あるいは常識であり、解決手段である。
ならば、DX人材とはどういう人材かと考えれば、次のようなコンピテンシーがふさわしいのではないかと思っている。
DX人材とは、デジタルを前提にビジネスを発想、企画でき、実現に向けてみずから実践するとともに、それに取り組もうという人たちに助言でき、伴走できる人。求められるコンピテンシーは、次の通り。
- 自社だけではなく、客先や他社のビジネス・プロセス、商流、物流を見て事業のネタとなる課題を発見できる。
- 発見した課題から「デジタル技術を前提に」した改革や改善、新たな仕組み作りを考えることができ、戦略を描き、事業計画を立案できる。
- 計画を率先し、客先・社内・パートナーを巻き込んで、実行できる。
ITの知識やスキルが不要なわけではない。しかし、それらは、後からいくらでも補えるし、必要とあれば、外部に協力を求めることもできる。むしろ大切なのは、自分たちの事業課題をビジネスにできる能力であろう。
ては、どのような人材がDX人材にふさわしいのだろうか。たぶん、次のような行動特性を持った人だろう。
- あらゆることに好奇心が旺盛で、情報収集力に長けている。
- 社内外に広く人脈を持ち、自らも人脈を拡げるための情報発信やコミュニティ作りに取りくんでいる。
- 人の話しを素直に聞き、自分の意見を率直に語り、対話や議論を好む。
このような人材であれば、DXに取り組むことの意義を理解させ、ITやデジタルについての最新トレンドやビジネスとの関係、その意味や価値に関心を持たせることができれば、DX人材にふさわしいコンピテンシーを自ら取得してゆくだろう。
そんな人材など、我が社にはいないという声も聞こえてきそうだが、それは違うと思う。このような視点で、人材を見てこなかっただけであり、当然、そんな人材の存在に気がつくことはなかっただろう。また、それにふさわしいミッションを与えてこなかっただけだ。機会さえ与えれば、そんな人材が見つかるし、育ってゆく。
DXが何かの視点も持たず、その機会を与えなければ、人材は見つからないし、育つこともない。また、DXを実践しようにもビジョンも戦略も示されなければ、やりようがない。その意味で、まずは経営者や管理者が「DX人材」になるべきだ。
日本人は総じて教育水準は高く、手際がいい。それにもかかわらず、日本の時間当たり労働生産性は46.8ドルで、OECD加盟36カ国中21位に甘んじている。また、欧米諸国のような成熟国家と比較しても、経済成長率は低く地を這っている。
その背景にあるのは、過去の成功体験に裏打ちされた思考のフレームワークから、経営者が抜け出せないことにあるのだろう。つまり、どれほど優秀な人材がいたとしても、それを古き良き時代のフレームワークに当てはめ、働かせようとしていることだ。
コロナ禍に直面して、いまさら大慌てで、デジタル化だとかDXだとか、言い出している企業がなんと多いことかと残念に思う。グローバル化に取り組む欧米企業は、コロナ禍以前からデジタルを前提としたビジネス・プロセスの変革に取り組み、そこから得られたデータを活かした事業展開を積極的にすすめてきた。
例えば、SAPがS/4HANAにバージョンアップすることになって、日本では、2025年問題として大騒ぎになっている。それは、既存の業務を新しいSAPのアプリケーションやデータベースに移行することが、とてつもなく大変な作業であり、旧バージョンのソフトウェア・サポートが切れる2025年(後に2027年に延長された)に間に合わないのではないかという懸念からだ。
しかし、問題の本質は、そこではない。新しいSAPのデータベースであるHANAは、オペレーショナルな業務処理と、そこから得られたデータをリアルタイムに分析し、迅速な意志決定を可能にするため、つまり、「リアルタイム経営」のために、データベースやアプリケーションを作り直さなければ、顧客のニーズに応えることができないという判断があったからだ。それだけ、欧米企業のデジタルに対する意識は、日本の遥か先にあるということだ。
ちなみに、2015年2月に発表されたSAP S/4 HANAは販売開始から1年で3,200社が採用し、その後も採用企業数は増加し、2019年7月のプレスリリースでは11,500社に達したと発表された。過去にはないペースで移行が進んだのは、このような背景があるからだ。
デジタルの意味や価値を理解できない(あるいは、しようとしない)経営者が、過去の成功体験の延長で、デジタル技術を使って、ビジネス・プロセスを効率化することや、新しいデジタル技術を使った新規事業の開発を現場に求めたりしていることが、本質的な誤りであろう。
情勢の判断を誤り、過去の成功体験のフレームワークで思考し、誤った、あるいは曖昧な戦略を提示して、多くの犠牲者を出して撤退を余儀なくされたかつてのインパール作戦のごとき過ちを犯してはいないだろうか。近代化された武器や確実な兵站を与えることなく、個々人の能力と精神力にだけに頼った戦いが、いかに惨めな結末に終わったのかは、誰もが知っている話しであろう。まさに、デジタルが前提の社会にあって、戦略目的を曖昧なままに、デジタル技術という武器とデータという兵站を与えず、多くの優秀な人材を消耗する現状は、なんとも悲惨である。
何も、効率化や新規事業の開発に意味がないと言いたいわけではない。不確実性が高まる世の中にあって、効率化や新規事業は、将来にわたって継続的に繰り返さなくてはならない。だから、効率化や新規事業をゴールとするのではなく、当たり前の日常として、それらが繰り返される企業の文化や風土を築くことが大切なのだ。DX人材とは、それに資する能力を持つ人材のことである。
では、DX人材育成のための研修とは、どのようなものであろうか。もちろん、研修をすれば、DX人材ができあがるほど甘くはない。それを活かす組織や体制、人事の仕組みなくしては難しいが、きっかけは提供できるであろう。
私は、DX人材育成研修に、次のような成果目標を設定している。
- 「デジタル技術を使う」ではなく、「デジタル技術を前提にする」という考え方とその意義を理解する。
- デジタル技術の全体像について、体系的かつ網羅的に把握し、デジタル技術に関わるキーワードが、抵抗感なく正しく使えるようになる。
- デジタル技術と自分たちの仕事の関係、あるいは、自分たちの仕事にデジタル技術をどのように活かせばいいのかを、自分たちで考え、議論できるようになる。
- 人にも指導できるレベルで、改革実践のノウハウを修得する。
- 研修の過程で学んだ知識や実践スキルを使って、自分の事業プランを策定できる。
以上を踏まえて、次のような研修プログラムを提案している。
- デジタル技術の最新動向を俯瞰的・体系的に理解する。
- 本セクションは、デジタル技術の本質と、それが社会やビジネスに及ぼす変化について、理解することを目的とする。また、様々なITに関わるキーワードを体系的に把握することで、情報収集のためのインデックスを築くことも重要で、そのことにより、 ITやデジタル技術、あるいは、それらを前提とした様々な取り組みについての情報収集能力を高めることができる。
- データから意味を見出し、洞察に結びつける実践手法を習得する。
- 本セクションは、データを、意図を持って取得/計測し、活用しやすい形で格納し、それを目利きができる能力を育成することを目的とする。そのために、データ収集から、データ活用までのプロセスを、具体例を挙げながら紹介し、活用の現場ではどのような業務や役割が必要となるのかを理解する。
- 複雑な課題や挑戦しがいのある問題を解決する実践手法を習得する。
- 本セクションは、自ら問題を発見し解決する能力を養うことを目的とする。具体的には、Project Based Learning (PBL, 課題解決型学習)を用いる。学んだ知識や手法をもとに受講者自身の自発性、関心、能動性を引き出し、メンター(助言者)が受講者をサポートしつつアウトプットを出すことを本セクションのゴールとする。
- 研修で学んだことを実践に活かす。
- 上記セクション1〜3で学んだことを、実際の事業案件に適用し、実践的なノウハウやスキルを育成することを目的とする。ワークショップを3回実施し、アドバイスを受け、ディスカッションを重ねて、完成度を上げてゆく。
DX人材の育成は、大いにけっこうなことだが、そもそも、DXとは何かをまずは明確にする議論から始めてはどうだろう。その実現に向けて、必要な人材がDX人材である。
ITを知っている、プログラムが書ける、アジャイル開発ができることが、DX人材の十分条件ではない。もちろん、全てを一人の人材で賄うことはできないにしても、全員が全体を理解できる常識を持つことは絶対に必要だ。その上で、それぞれの専門性や得意を発揮できるチームになればいい。
なによりも、経営者が、DXやデジタルの意味や価値を理解し、DX人材となることだろう。それがなければ、多くの優秀な人材を玉砕させてしまうことになることに気付いて欲しい。それができなければ、いつまで経っても、我が国は低迷の淵から抜け出すことはできない。