「デジタル・ボルテックス」は市場に起きる破壊現象であり、「デジタル化できるものはすべてデジタル化される」という一点に向かって、企業を否応なしに引き寄せる性質を持っている。
『DX実行戦略・マイケル・ウェイド著(日本経済新聞出版社)/16ページ』に、こんな一節があります。スイス・ローザンヌに本拠があるビジネススクール”IMD”のマイケル・ウェイド(Michael Wade)は、「ボルテックス(Vortex)」すなわち、何もかもを吸い込んでしまう「渦巻き」として、デジタル化のトレンドを説明しています。まさに、いま私たちが直面している、デジタル化の強引さを見事に表現していると言えるでしょう。
ジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)は、彼の著書『限界費用ゼロ社会』の中で、デジタル化の進展、具体的には、IoTによって、コミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”が形成され、効率性や生産性が極限まで高まり、それによりモノやサービスを1つ追加することで生じるコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づくこと。そして、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないと述べています。
デジタル化とは、そういう社会や経済の大規模なパラダイム転換であり、もはやそれは、ボルテックスのごとき強引さで、世界を引きずり込んでしまうのでしょう。
私たちは、この現実から逃れようがありません。ならば、そこにどのようなビジネスの機会があるのかを考えておく必要があります。
「デジタル・ボルテックス」を前提に、これからのビジネスを考えるならば、そこには「デジタル化領域の拡大」と「体験/共感価値の提供」の2つの可能性が考えられます。
デジタル化領域の拡大
自動化は、あらゆる業種や業務に及ぶでしょうし、オンライン化も広範な業務や日常生活に拡がっています。故障の予測や診断、意志決定も、機械学習を駆使することで人間を介在させることなくできることも増えてきました。オンライン会議やペーパーレスのトレンドは、コロナ禍によって、一気に動き始めています。
体験/共感価値の提供
「デジタル化できないもの」の価値が高まってゆくでしょう。アートやクリエイティブの領域は、その代表と言えます。音楽や絵画、文学、デザイン、アニメーション、ゲームなどは、それを表現する手段がデジタルであっても、その源泉は人間同士の体験や共感から生みだされます。また、介護や看護、キャバクラやガールズバー、寄席やライブ・パフォーマンス、競馬やパチンコなど、ホスピタリティやエンターテインメント、ギャンブルもまた体験や共感がもたらす価値であり、これらがなくなることはありません。むしろ、その存在がこれまでにも増して、際立ってくるはずです。
さらに、Spotifyで音楽を聞いても、好きなアーティストの音楽は、ライブで楽しみたいと思う人は多いはずです。Google Arts & Cultureで世界中の美術館のアートを鑑賞できるようになれば、ルーブル美術館に行って、本物をこの目で見たいと思う人もいるでしょう。デジタル化は、結果として、体験や共感の価値を際立たせ、その特別な行為や存在に新たな価値を付与することになります。
デジタル・ボルテックスは、「デジタル化領域の拡大」と「体験/共感価値の提供」を同時に強いることになるのです。
デジタル化によってもたらされる3つの顧客価値
デジタル化は、「コスト・バリュー」、「エクスペンス・バリュー」、「プラットフォーム・バリュー」の3つの顧客価値をもたらします。
コスト・バリュー:
ビジネスにおける競争において強力な影響力を持つのが「価格」です。デジタル技術を駆使することで、価格を劇的に下げることができます。
例えば、かつては、楽曲を聴くためにレコードやCDを購入するのに数千円を支払うのが当たり前でした。それでも、数曲しか聴くことはできません。しかし、SpotifyやApple Musicを使えば、数千万の楽曲を月額980円で聴き放題です。
また、米GEや英Rolls-Royceは、ジェット・エンジンを販売するのではなく、推進力と利用時間に基づいて課金(従量課金)やり方に変えようとしています。これによって、航空会社は、1基数十億円のジェット・エンジンを購入する必要がなくなり、料金収入のなかから必要経費として支払うことができるようになり、初期投資リスクを大幅に抑えることができるようになりました。
このようなことが可能になったのは、スマートフォンやWeb、IoTなど、顧客のデジタル接点が大幅に増えたことや、ネットワークやセンサー、AIやクラウドなど、大量のデータを効率よく処理し、最適なやり方を見つけ、的確かつ迅速な判断と実行を高速・自動でできるようになったことが、背景にあります。
このように、デジタル技術を使うことで、これまでにはできなかったコストに関わる顧客価値を産み出すことができるようになりました。
そんなコスト・バリューを生み出すビジネス・モデルは、次のようなものです。
- 無料・超低価格:従来は正規の価格や市場価格で購入しなければならなかった製品やサービスを無料か超低価格で提供する
- 購入者の集約:規模の経済、共同購入などにより割引を提供する
- 価格透明性:価格の可視化と多様な価格比較を提供し、より有利な条件で取引可能にする
- リバースオークション:戦略的調達により、供給業者に値下げ圧力をかける
- 従量課金制:売り手側が財務上のリスクを負い、使った分に対してのみ買い手側に課金する
エクスペリエンス・バリュー:
顧客の利便性向上や、コンテクストに応じたサービスやコントロール能力を提供する。デジタル化によって顧客が求めているサービスや機能をいつでもどこでも直ちに届けることができるようになりました。
例えば、zoomやTeamsを使った会議やイベントの開催、Amazon.comなどのオンライン・ショッピングサイトでの買い物など、これまでは人の移動を伴うことが、オンラインでもできるようになり、利便性が大きく向上しました。
そんなエクスペリエンス・バリューは、コストバリューと組み合わせることで、さらにその魅力を発揮しています。
そんなエクスペリエンス・バリューを生み出すビジネス・モデルは、次のようなものです。
- カスタマー・エンパワメント:十分な価値を付与していない仲介業者を排除し、独立性、コントロール力、利便性を高める
- カスタマイズ:製品やサービスをカスタマイズ/パーソナル化する
- 即時的な満足感:カスタマーが求めているものを待ち時間なく提供する
- 摩擦軽減:物理的なビジネスプロセスをデジタル化し、製品やサービス提供時に生じる摩擦やボトルネックを除去する
- 自動化:プロセスやタスクを自動化する、低コストの労働力を利用する
プラットフォーム・バリュー:
ライド・シェア・サービスのUberは、気象情報サービスからデータを受け取り、それを料金に反映させています。例えば、雨が降ることが分かれば、その地域の料金を値上げし、雨が止むことが分かれば、料金を引き下げます。もちろん、これは天気のデータだけではなく、その地域における流動人口や大きなイベントの開催予定、季節や曜日、これまでの乗降客数など、乗降客の変動に関わる様々なデータを加味して、最適な料金を自動的に割り出して、料金に反映しているのです。
このように、1つのサービスだけでは、生み出せない価値を複数のサービスと組み合わせることで産み出せるようになるのがプラットフォーム・バリューです。
そんなプラットフォーム・バリューは、関わるサービスガ増えることで、その組合せが、指数関数的に増大し、ネットワーク効果(ネットワークの価値はユーザー数の二乗に比例するという法則)を発揮することになります。
ひと度、ネットワーク効果が生みだされると、勝者総取りとなり、プラットフォームの所有者に圧倒的に利益がもたらされることになります。Uberもそうですが、米FAANGM(Facebook、Amazon、Apple、Netflix、Alphabet [Googleの親会社]、 Microsoft)が、時価総額を押し上げたのは、まさにこのプラットフォーム・バリューを最大限に活かし結果と言えるでしょう。
そんなプラットフォーム・バリューを生み出すビジネス・モデルは、次のようなものです。
- エコシステム:APIの公開や開発環境といった基盤を提供し、基盤上で第三者が独自のバリューを創出することで共存共栄する仕組み
- クラウドソーシング:参画者がもたらす多様な貢献(大量で多様性に富んだアイデア、貴重な情報など)を競争力の源として活用し、利用者へ様々な形の恩恵をもたらす
- コミュニティ:情報の流布、口コミによる情報などでネットワーク効果により、ポジティブな商業的インパクトや、評判、連帯感など無形の価値をもたらす
- デジタルマーケットプレイス:シェアリングエコノミーなど、相互利益のために個人と集団を結びつけ、売買や取引から利益を得る
- データオーケストレーター:センサーデータ、IoT、ビッグデータ、アナリティクス、AIなどを利用してイノベーションと新しい価値の創出機会をもたらす
ビジネスの主役がモノからサービスへシフトする
「デジタル化領域の拡大」によって、ビジネスの主役は、モノからサービスへと、大きくシフトします。前節で紹介した「コスト・バリュー」、「エクスペンス・バリュー」、「プラットフォーム・バリュー」の3つの顧客価値は、この変化を前提にもたらされます。
かつて、モノが主役の時代には、モノの機能や性能、品質や意匠が、どれほど魅力的かが、収益を左右していました。しかし、サービスが主役の時代になると、顧客の体験や共感の価値、すなわちUX(User Experience/顧客体験)の魅力が、収益を左右します。UXとは、まさにいま必要だった、使うことが楽しい、心地よい、もっと使い続けたいといった体験のことです。
サービスは、いつでも使い始めることができるし、辞めることもできます。モノのように「買ってしまったから」や「既に持っているから」と、簡単に買い換えることができないという制約がありません。
また、サービスは、モノに比べて参入障壁は低く、魅力的なアイデアさえあれば、容易に参入できることから、様々な企業が、業界の枠を越え、さらには、既存の業界の常識にとらわれずに、予期せぬ競争を仕掛けてきます。そんな彼らのスピードは、圧倒的です。
この競争に勝たなければなりません。そのためには、サービスの内容や機能を差別することは当然のことですが、同時に考えなければならないのが、魅力的なUXを提供することです。サービスを利用する顧客の状況の変化にきめ細かく対応し、常に魅力的であり、顧客の日常に必要であり続けることが求められます。
それは、決して「使い勝手が悪い」や「操作が煩雑でわかりにくい」といったことだけではありません。サービスの内容や機能にも関わる話しです。
他社が、魅力的なサービスをはじめたら、その評判はあっという間に拡がり、しがらみなく乗り換えられてしまうでしょう。そうならないためには、顧客の状況やニーズの変化をいち早く掴み、デジタル技術の発展に合わせて、競合他社を超えるスピードで高速に改善を繰り返すことができなくては顧客をつなぎ止めることができないのです。
FAANGMやその他の様々なサービスが、顧客に使われ続けるのは、デジタル技術を基盤に、高速に現場や顧客の状況を掴み、高速に改善を繰り返すことができる圧倒的なビジネス・スピードが、企業や組織の文化や風土になっているからです。
デジタル・トランスフォーメーション、すなわち「デジタル変革」とは、そんな文化や風土へ変革することを意味する言葉です。
DXの2つのビジネス領域
多くの企業がDXへの取り組みに関心を持っていますが、その多くが、「デジタル化領域の拡大」に留まっているように思います。しかし、ここで述べたようにデジタル化は、「体験/共感価値の提供」の重要性を高めてゆきます。
「デジタル化領域の拡大」でデジタルにできることは徹底してデジタルに任せ、人間にしかできないことへと人間の役割をシフトさせれば、人間の意識と時間を、「体験/共感価値の提供」に注ぐことができます。例えば、次のようなことです。
- 顧客に共感し、顧客に応じた丁寧な応対をすること
- 顧客価値や事業価値を高めるために何をすべきかを考え、テーマや目的を見つけること
- 信頼と共感でチームをまとめ、彼らのパフォーマンスを最大に引き出すこと
- 顧客のニーズや期待を先取りし、これまでにはないビジネスや顧客体験を生みだすこと
- 企業の文化や風土を変革し、そこに働くひとたちの意識や行動を変えさせること
このようなことを実践する手段として、デジタル技術は、大いに助けになるでしょう。しかし、それを実行することは、人間にしかできないことです。
「デジタル化領域の拡大」と「体験/共感価値の提供」は、一対であり、相互依存的です。DXの実践もまた、両者は一対であり、先客や施策に組み入れてゆかなければなりません。