「御社の場合、まずは、PCデータの暗号化を優先すべきです。そのために、この暗号化ソリューションを導入してはどうでしょうか。」
10年近く前の話だが、ある建設会社がVDIについて、出入りのSI事業者に提案を求めたところ、彼らは、いま自分たちが売り出し中の新しい商材である「〇〇暗号化ソリューション」と称する「製品」の提案を持ってきた。それは、次のような理由からだった。
「数百箇所の工事現場の事務所には、日々社外の人も含めて、たくさんの人が出入りしています。機密情報もあるわけですから、まずはPCデータの安全を守るべきです。」
なるほど理屈ではある。しかし、この企業が求めていたのはそこではなかった。工事現場の事務所は、工事が始まるときに開設され、終われば閉鎖される。工事期間中にも進捗に合わせて、度々移転することもある。そのような状況で、そのたびにルーターや端末の設定は煩わしく、工事が終われば、そこで使ったPCも、どこの現場に持って行くかわからない。保存しておくべきデータの整理や不要なデータの削除、端末の初期化など、いろいろとやらなければならないことがある。だから、現場の人たちのそんな負担を軽減するために、VDIとリモートから設定可能なネットワーク環境の提案を求めたのだった。
「暗号化の大切さは分かりました。ところで、現場の運用負担の軽減については、どうなりますか?」
そのSI事業者の営業責任者と称する役員は、「まずは、暗号化を優先すべきだ」の一点張りで、現場の運用負担のことには、優先度が低いと主張した。
「ところで、御社はVDIについては、どのようなソリューションをお持ちですか?どのような実績をお持ちですか?」
そう尋ねてみると、まだ検討中で実績もないという。だから、このようなトンチンカンな提案を持ってきたのかと、合点がいった。ならば、最初からそう言ってくれれば、VDIの提案など求めなかったし、こんな無駄な時間を過ごすこともなかったのだ。しかし、普段出入りしている気心の知れたSI事業者であること、相談した営業が自分たちの提供できる製品やサービスについて十分に知らないままに、勢いだけで、元気に「お任せ下さい!」と言ってしまった手前、引っ込みがつかなかったのかもしれない。
いまとなってはVDIなど時代遅れの提案と思われる方も多いだろうが、10年前の当時は、まだまだ新しいテクノロジーであり提供できるITベンダーも少なかった。それは仕方がないことだが、論点をすり替えて、自分たちにできること、言わば、売上に結びつくことだけを平気で持ってくる厚顔無恥に、ほとほと呆れてしまった記憶がある。
12店舗を展開する地方の中堅スーパーマーケット・チェーン。毎日各店舗からFAXで送られてくる手描きの伝票を本社購買部の10名の担当者が読み取りEXCELに入力して、各店舗のフォルダーに仕訳してファイルしている。これを週次で行い、毎週木曜日に締めてWebベースの発注システムにコピー・ペーストで入力している。この一連の人手による作業に延べ400時間かかっている。
これを手書き文字を高精度で認識できるAI-OCRとRPAを組み合わせて使えば、作業時間を短縮できるかもしれない。そうすれば、伝票入力に専従している要員を削減できる。そこで、営業は実証実験をお客様の購買部長に提案した。部長の了解を得て実証実験を行った結果、いま400時間かかっている人手による作業を30分程度に短縮できることが分かった。
営業は喜び勇んで、この結果を部長に説明した。いまの10名体制をバックアップも含めて2人に削減できること、そうすればコスト削減、そして、残った8名を人手不足の店舗の売場に移動させられると、このシステムの採用を迫った。
さて、購買部長はどのように答えただろう。
そもそも、このシステムの「価値」は何だろう。購買部長がお金を支払ってでも採用したいと思う理由だ。担当営業は「作業時間が短縮できて人員削減ができること」を、お客様の「価値」だと考え、実証実験の成果を訴えた。
しかし、購買部長は、「採用は難しい」と答えた。その理由を尋ねると、担当者10人中8人は、他の仕事に移りたくないと思っていた。経営層の本音としては、売場への配置転換をしたいが、購買部長は、現場の反発が強い状況では採用は難しいとのことだった。つまり、「作業時間が短縮できて人員削減ができること」は、お客様の「価値」ではなかったのだ。担当営業は、そんなことなどまるで、思いもよらなかった。
さて、あなたがこの担当営業なら、この回答にどう対処するだろう。諦めてそのまま手を引いてしまうだろうか。それとも、「人員を削減すること」こそが、経営者から部長に課せられたミッションなのだから、それを実行すべきだと強気で迫るだろうか。
担当営業は別のアプローチを探った。これだけの成果が期待できるのであれば、きっと何かの役に立つはずだ。人員削減以外に使えるに違い。そう考えて、いろいろと話しを聞いてみると、このスーパーマーケットは、ある大きな課題を抱えていることが分かった。それは、欠品率が高いことだった。お客様が買いたいと思って店に行っても、買いたい商品がなくては、売上も利益も上がらない。しかも、品揃えが悪いお店はお客様からも敬遠される。これを何とかしたいというのだ。
担当営業は、その原因は週次でしか発注できないことにあるのではないかと考えた。お客様が欲しいと思って店に行っても、その商品が揃うには1週間以上かかる。特に朝のワイドショーで「きなこがダイエットに効く」という放送が流れると一気にきなこの需要が増え、売り切れになってしまう。きなこへの熱狂が冷めてしまってから商品が揃っても、いつも通りしか売れず、せっかくの販売機会を逸してしまうことになる。これを何とかしたいというのだ。現在、欠品率は8%あるのだそうだが、数パーセント下がるだけでも十分に効果が出せるはずだという。
そこで、担当営業は、現在の週次の発注を、このシステムを使って日次に変更すれば、発注精度を上げられるので欠品率を下げられるはずだと考え、追加の実証実験を申し出た。結果、その効果が十分に期待できるとなって、めでたく採用されることになった。
本格的な運用に至り、欠品率は以前の8%から2%程度に下げることができた。品揃えが良くなりお客様の満足度も向上したという。また、購買部の担当者が削減されることなく、迅速な品揃えができるようになったことで、店舗からも経営者からも高く評価され、担当者のモチベーションも上がり、さらに欠品率を下げるためにはどうすればいいかということを考え、売り場に逆提案するようになったという。以前は日々の伝票入力作業に忙殺され、それどころではなかったのだ。
結果として、会社の売上と利益は確実に向上し、地元の人たちを惹き付けるスーパーマーケットとしての地位を確かなものにしている。
私たちは、往々にして「利点」をお客様に訴えてしまう。担当営業が最初に訴えた「購買発注伝票を処理する作業時間を400時間から30分に短縮できること」が「利点」に当たる。その結果として、人員削減できることが「価値」だと考えて採用を迫ったのだ。
しかし、それはお客様にとって、それは「価値」ではなかった。そこで視点を変えて、お客様の「価値」を定義し直した。その過程で、購買発注のサイクルを週次から日次へ変更すれば「欠品率を減らせること」が可能であることが分かった。結果として、顧客満足度を高め、機会損失もなくなるので「売上と利益を大きく改善できること」という「価値」にたどり着き、お客様もこのシステムを採用したいと考えたのだ。
この物語は実際にあった事例を参考に作ったフィクションだが、お客様にとっての「価値」を考える参考にはなるだろう。
私たちは「利点」と「価値」を区別することなく考えてしまうことがある。そして、「利点」があるから買ってくれと迫ることがあるが、それがお客様の求める「価値」ではない。
「利点」とは、「良い方向に変わること」、「価値」とは、「お客様が期待していることを充足すること」だ。お客様が、お金を払ってでも買いたいと考えるのは、あなたの提案に「価値」があると判断したときである。だから、お客様は何を期待しているのか、その期待を満たすことができれば採用してくれるのかを、しっかりと追求しておくべきだろう。
お客様にとっての「価値」は、次のような状況になることだ。
- お金を払ってでも是非とも手に入れたい!
- 手間はかかるが何としてでも実現したい!
- 「お願いですから早くください」と言わせられる!
いくら言葉を弄し、数字を示して訴えても、このような状況に持ち込めないとすれば、それは、お客様の求める「価値」に結びついていないからだ。
冒頭のVDIの事例は、お客様の求める「価値」など、そっちのけで、自分たちの「価値」を押しつけようとしたケースである。ここまで、極端ではないにしても、似たような経験をした人たちは、いるのではないだろうか。
「これならばお客様も採用したいと思うはずだ」と、あなたは心から信じることができるだろうか。そうでなければ、あなたの提案に迫力は生まれない。そして、この「価値」を分かりやすく的確に説明し、説得できてこそ、受注につなげることができる。
あなたの提案は、お客様の「価値」を正しく反映しているだろうか?もし、「利点」を主張することに留まっているのであれば、提案を採用してもらうことは難しい。
お客様が、自分たちの「価値」をはっきりと伝えてくれないことは多い。
「いま使っているメインフレームをなくしたいのだが、出入りのSI事業者に相談したところ、膨大なプログラムの書き換えやテストをしなくてはならず、20億円は下らないという。どうすればいいだろうか。」
情報システム部長から、こんなご相談を頂いたことがある。社長からメインフレームのコストが高すぎるので、なくせないかとの相談があったという。メインフーレームをなくしたところで、新たな機能が追加されるわけではない。現状の機能をそのままに、移行するだけの話しだ。しかも、メインフレームの可用性は圧倒的で、変わりうるものはない。しかも、運用の仕方も大きく変わる。何も変わらない、付加価値も生まれない、リスクも高まる、それでいて、20億円というコストがかかる。どうすればいいのかと頭を抱えるのも当然の話だ。
「メインフレームをなくすことが目的ですか?それともコストを削減することが目的ですか?」
そんな質問をすると、もちろんコストの削減が目的だという。
「ならば、最新のメインフレームに置き換えてはどうですか?5年前とは、比べものにならないほどコストパフォーマンスが改善しています。それに変えれば、リース料金は大幅に減額できるし、現状を何も変える必要はありません。自動化のためのツールも機能が向上していますから、いままで人手に頼っていた作業も置き換えられるでしょう。メインフレームの上位互換はほぼ完璧ですから、移行にかかる費用はわずかで済みます。継続的なコスト削減により移行費用は直ぐにでも捻出できます。これであれば、社長も納得されるのではありませんか。」
結局はこのやり方が採用された。出入りのSI事業者は、「20億円の工数」を提案しただけで、このような提案は、しなかったという。
この場合の、お客様が期待する「価値」は、「コストの削減」だった。しかし、お客様は、時にして、価値を実現するという「目的」ではなく、そのための「手段」を求めてくることがある。しかし、大切なことは「目的」である価値の実現だ。ならば、その「目的」に立ち返って、最適な「手段」を提供することが、SI事業者の仕事ではないのか。
メインフレームをなくすという「手段」の背景にある「目的」が、「現状の基幹システムでは、新しいビジネスに対応できないので、これを刷新すること」であるとすれば、やり方も変わるだろう。いずれにしろ、「目的」すなわち、「お客様の期待する価値」を確認し、合意することが、まずは最初にやらなければならないことだ。
冒頭のVDIの話しに戻れば、いまであれば、VDIなど、よほどのことがない限り選択肢には上がらないだろう。つまり、時代とともに最適な「手段」は、変わるわけで、「目的」にふさわしい、その時代の、いやその先の時代の最適な「手段」を提供するのが、SI事業者の矜持である。そんなことは、どこかに置き去りにして、お客さまの価値を毀損することを平気で、提案するようでは、やがてお客様から見透かされ、新しいことなど、相談されなくなってしまうだろう。
事業会社の方には、次のことを申し上げたい。いまだメールの添付ファイルを「暗号化+zip圧縮+平文でパスワード(PPAP方式)」で送ってくるような企業に、新しい取り組みについて、相談してはいけない。時代遅れの、しかも、セキュリティリスクの高いとの常識も知らず、平気でそんなメールを送ってくるSI事業者は、自分たちの感性の低さに自覚がない。そんなところに相談しても時代遅れの提案をされるだけである。あるいは、こちらの求める「価値」を実現することではなく、時代遅れの自分たちの「価値」を押しつけられるだけかもしれない。
提案をうける側も、提案をする側も、自分たちの「価値」に真摯に向き合い、その実現に向けて、ぶれない信念を貫くことだ。そして、時代にふさわしい「手段」をアップデートし続けることだ。それができないにもかかわらず、DXなどと大言壮語を語るべきではない。
DXの「価値」はデジタルを使うことではない。その先にあるもっと大切な「目的」を実現することだ。そんな理解もないままに、「お客様のDX実現に貢献する」などと、いっているSI事業者がいるとすれば、そういうところとつき合うことは、やめたほうがいいだろう。
SI事業者の方には、次のことを申し上げたい。コロナ禍で、お客様は実行予算の削減と見直しを迫られることになる。いまは、これまでの仕事の継続でなんとかなってはいるが、半年も経てば状況は一変する。予算は、徹底して絞り込まれ、不要不急は後回しにされる。そのとき、「手段」を求められ、「手段」を提供することしかできなかった企業は、仕事の機会を減らしてしまうだろう。お客さまの求めるべき「価値」は、「これだ!」とお客様に提言し、価値実現のための良き相談相手として、これからのテクノロジーを踏まえた最適なやり方を提供できる企業が、仕事を増やしてゆく。
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- 【新規】DXの実現を支える3つの取り組み p.50
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