「どうでしょう。これをクラウド・サービスとして提供しようと思うんです。」
ある大手SI事業者の新規事業プロジェクトの方から、自分達の検討している新しいクラウド事業についてアドバイスが欲しいとのことで、話を伺いました。プロジェクターに映し出されたサービスのメニューは、彼らの得意とする業務領域を網羅的に、そして緻密にカバーするもので、流石にこの分野のトップ企業だけのことはあると感心しました。
そして、私は、即座に答えました。
「うまくゆかないと思います。」
私は、この業務の専門家ではありませんが、それぐらいのことは分かります。
「だれが、使うんですか?」
お客様の顔が見えません。新規事業プロジェクトの方も、「実は、そこがよく分からないところなんです。」とのこと、これでは誰もつかってくれません。
自分達にできること、そして、頭の中で考えた理想型を描いただけに過ぎません。使う人が不在のサービスなどうまくゆくはずがないのです。
「このサービスを使う人は誰でしょうか?何という会社の、どの部門の、どんな業務をしている、誰々さんの顔を思い浮かべることができますか。確かに必要そうな機能は徹底して網羅されているようにも思います。しかし、これを使うのは、特定の仕事に携わっている現場の「ひとり」です。その「ひとり」がどういう仕事をしているのか。どんなことに困っているのか、どうしたいのかを考えましたか?その人にとって、何が必要なんですか。その人にこれだけの機能が必要なんでしょうか?」
まさに、長年の経験に培われたウォーターフォールの発想でした。「使うかもしれない」も想像して、漏れがあってはいけないという強迫観念がこのようなサービス構成を描かせたのかもしれません。
ではどうすれば良いのでしょうか。私は、3つの「常識を変える」ことが必要だろうと思っています。
開発と運用の常識を変える
クラウド・サービスが、SIやパッケージと大きく異なるのは、開発と運用が同時に進行することです。開発が終わってから運用するという従来型のやり方とは根本的に異なります。だから、本当に使われ、利用者に実感として価値を享受できるものは何かに絞り込んで、それだけを開発します。まずはそこでのナンバーワンをめざすことです。それを橋頭堡に「本当に使われ、ビジネス価値を実感してもらえる」機能を順次追加拡張し、利用者のロイヤリティを高め、その裾野を拡げてゆくことが現実的なアプローチです。リーン・スタートアップの発想です。
大風呂敷を描くことは、「たぶんこんな機能が必要だろう」を洗い出し、どこから手をつけるかを考える地図にはなりますが、だからといって、全てを満たさなくてはいけないということではありません。むしろ、使う人を絞り込み、その人に「本当に使われ、ビジネス価値を実感してもらえる」ことだけに機能を絞り込むことです。そして、スピードと変更への柔軟性を武器に、そのお客様の満足を追求することです。最初から全員に65点のサービスを提供するのではなく、まずは一人に95点を提供するという価値観を持つべきです。
そのためには、「全部作らない、その代わりに変更への柔軟性を担保し、品質を徹底して作り込む」やり方が必要です。これはアジャイル開発の思想です。
また、「変更すれば即座に本番に反映し、ユーザーにメリットを直ちに提供する」開発と運用の関係、すなわちDevOpsの実践が必要になります。
どんなサービスを提供するかといった視点だけではなく、どのように開発し運用するかも含めた全体に取り組まなければ、彼らの言う「新しいクラウド・サービス」を実現できません。
売り方の常識を変える
例え機能が少なくても、従来のように営業がひとつひとつ交渉して、案件をまとめあげて来るやり方では、このような限られた顧客層では、ビジネスのボリュームを稼ぎ出せません。しかし、クラウドは、「売り方」の考え方をも変える仕組みです。例えそれが市場の5%であったとしても、相手にするお客様の母集団が膨大です。そのため対象となるお客様の絶対数が桁違いです。そう考えれば、例え「特定の利用者」であってもビジネスのボリュームを稼ぐことができます。
このように「売り方を変える」という視点も必要です。SI事業者が頼りにしていたPMや営業が個別に売ってくることを前提にするのではなく、マーケティングを重視し、「仕組みで売る」という視点が必要です。当然、開発者は、「売り方」をも想定したシステムの実装が必要です。
評価基準の常識を変える
新規事業は、何を成功と見做すかを予め決めることができません。「これはいける」とはじめても、うまくいかないことばかりです。特にそれがこれまでに無い新しいビジネス・モデルであるとすればなおさらです。
SI事業者が、これまで手がけてきたビジネスの多くは、既存の業務の改善です。コストを何割削減する、あるいは、できなかったことをできるようにするというように、前提となる基準が有るのでKPIを設定できます。しかし、これまでにない新しいビジネスはそれがないのでKPIを定めることはできません。試行錯誤を繰り返し、そのKPIそのものを探しながらすすめてゆくようなものです。
「3年後に10億円のビジネスをめざして欲しい。」
新規事業プロジェクトへの社長のこのような言葉は、現場の発想を硬直化しかねません。多くの発想がこの基準でフィルタリングされ排除されてしまいます。それよりも、「将来、数千億円のビジネスになり、今の仕事を全て辞めてもいいくらいなビジネスをめざして欲しい。」と言って欲しいものです。大きな視野に立ち、世の中を変えることをめざして何かを取り組めば、例え失敗しても、規模はそこそこであっても次につながる新しい何かが残るはずです。
ビジネスにとって成功は、売上や利益の向上です。しかし、新規事業は、時にしてそれを実現するために、まず新しい市場やユーザーの価値観を創造しなければなりません。それは何かを見つけることと「3年後に10億円のビジネス」をはじめから結びつけて考えることには、無理があるのです。「何か」を見つけ、収益が確実に上がる見通しが立てば、「3年後に10億円のビジネス」というKPIは、機能します。
「新規事業プロジェクト」というボランティア・サークルで、「3年後に10億円のビジネス」という目標を与えられ、リソースも与えられずに自助努力を強いられるだけでは、成果をあげることはできません。これまでの自分達の常識とは大きく違うという自覚を持ち、覚悟して取りかからなければ、100年を費やしても何も生まれないでしょう。ならば、「新規事業」などというお題目は取り下げ、お客様のご要望に愚直に応え、粛々と生き残る道を模索することが賢明です。その方が、現場に余計な負担を強いることもなく、精神衛生上健全です。
しかし、それでは「まずい」と考えるのであるのなら、3つの「常識を変える」覚悟が必要なのです。
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目次
- 第0章 最新ITトレンドの全体像を把握する
- 第1章 クラウドコンピューティング
- 第2章 モバイルとウェアラブル
- 第3章 ITインフラ
- 第4章 IoTとビッグデータ
- 第5章 スマートマシン