「どうやってITについての知識を学べばいいのでしょうか。なにかいい本はありませんか?」
社会人にもなれば残業など当たり前ですし、夜の付き合いも仕事のうちです。また、趣味や家族のためにも時間を使わなくてはなりません。当然、昼間は仕事に忙殺される毎日ですから、勉強する暇などありません。そうなると残された時間は朝しかないのです。
私の場合は、歳のせいか最近は毎朝5時前に起床しオフィスには6時過ぎに着くようにしています。これは最近はじめたわけではなく、新入社員の頃からできるだけ早くオフィスに出て自分の仕事を片付けるようにしていました。
当時の私の上司は、平気で夜の十時にミーティングを招集するような人でした。そのミーティング終わって「明日の朝、お客さんに持って行くから、それまでに資料、作っといて!」など、普通でした。また、仕事仲間とのカラオケやお客様との会食もあります。必然的に夜の時間はありません。そうなると、仕事を片付けるためには朝しか時間がありません。朝早くオフィスに出て行く習慣は、そんなやむにやまれぬ事情があったからです。
しかし、今改めて考えてみると、これは私にとって大変価値ある習慣になりました。だれもいないオフィスでお客様からの電話もありません。当時は、電子メールもなかったので、自分の時間に没頭できました。
新聞や雑誌を読む、営業資料や製品のマニュアルに目を通す、資料をまとめる、前日の仕事のレポートをまとめるなど、自分でコントロールできる時間がありました。こき使われる身でしたから「自分でコントロールできる」は貴重な時間でした。これもまた、そんな時間を作ろうという意欲の源泉であったと思います。
サラリーマンをやめてもこの習慣は変わることはありませんでした。なんといっても、仕事がはかどるという、一度手にした快感は捨てがたいものがありました。また、貧乏性なので、目が覚めたのに何もしていない時間がもったいないと思ってしまい、結局は三十年近く続けています。
朝に自分のためのゴールデンタイムを持ってくるという習慣。仮に1時間いつもより早く目覚め、この時間を持てば、10年間で1.5年間分(1日8時間換算)自分のためだけに時間を費やしたことになります。考えて見れば、これは凄い時間です。
勉強のために時間を作るという努力。まずは、その決心が必要ですが、その決心があるなら、朝しかありません。コーヒーの一杯でも飲みながら冴えた頭で脳みその体操を行う。脳みそは、一生付き合う相棒ですから、まあそれぐらいのことをしてやってもいいのではありませんか。
これは最近の習慣ですが、TwitterやFacebookという大変優秀な教師のお世話になっています。
「キュレーター」。もともとは、博物館や図書館で収集資料の研究に携わり、専門知識をもって展示の企画や収集物の管理業務にあたる人をさす言葉です。日本語の学芸員に相当する人です。
実は、ネットの世界にも数多くのキュレーターが活躍しています。電子出版、クラウド、ネットワークなどのITの世界に留まらず、美術や生活、雑学も含め、様々な分野で、自分の趣味や価値観を基準に情報を収集し、それをブログにまとめること、TwitterやFacebookで紹介している人が少なくありません。
これぞという人に出会うと「フォロー」や「購読」をするわけです。そうすると、彼等は私の教師となり、自分が探さなくても、自分の専門分野で毎日貴重な情報のありかを教えてくれます。
「偏りがあるんじゃありませんか?」、そんな質問を受けることがあります。全くその通りで、実に偏りがあります。だからこそ、そこには自分には気付かない視点があり、新しい気付きをあたえてくれるのです。
また、「同じような話ばかりでは?」、そんな疑問もあるかもしれませんが、多くの人が話題にしているということは、それだけ社会的関心が高いと言うことになります。また、その人なりの解釈や意見も付記されていて、自分の狭量に気付かせてくれることもしばしばです。
キュレーターが紹介してくれている情報を、散歩するように見てゆきます。そして、これぞと思う書き込みがあれば、そのリンク先をクリックしさらにその情報について、深く読み込むことにしています。
「TwitterやFacebookなんかしている暇ありませんよ」、そんなご意見もあるでしょう。確かに私も「遊びすぎ」です。しかし、得られる情報の多さと幅の広さは、自分ひとりでできる量を遥かに超えています。おかけで、情報収集の能力が飛躍的に拡大できた思っています。
だらだらと散歩をするというよりも、覚悟を決めて楽しい遠足に行く、そんな感じでしょうか。個人的には、「逍遙」と洒落てみたいですね。
3. アウトプット思考
「他の人に説明するためには、どうすればわかりやすいだろうか」と考えながら、情報を読みます。気付いたことをFacebookで説明してみます。説明しようとすると、分かっていないなぁ、とがっかりします。また、Evernoteにそのリンク情報と共に、説明するときのセリフを書き込んでゆきます。
「わかりやすく伝えるには、どうすればいいだろうか」。そんなことを考えながら、ひとつのテーマでいろいろな資料を読み込んでゆくと、次第に枝葉と幹が見えてきます。そして、それを最後に自分の説明資料として書き出しています。
ただ読むだけではなく、「だれかに説明するために読む」。説明するとなると、うかつなことは言えませんから、物事の本質を見極めようという態度になります。また、何よりも、人が関心を持ち、話題になりそうなテーマは何かを探すようにもなります。そんなことが、トレンドを追いかける眼を養ってくれているのかもしれません。
「伝えるために学び考える」が、「アウトプット思考」です。時々、思いついたようにポストしている「コレ一枚シリーズ」は、そんな私の逍遙のスナップ写真のようなものです。