最近、多くの製品やサービスが、「クラウド」という冠をかぶっている。よく見れば、どうして「クラウドなんですか?」と首をかしげたくなるようなものもある。
このようなソリューション・ベンダー各社の「クラウド製品、クラウド戦略」なるものを改めて静観してみると、まだまだ、クラウドというものの本質が、正しく理解されていないことを痛感する。
クラウドの定義については、米国商務省の配下にある国立標準技術研究所(NIST:National Institute of Standards and Technology)の定義が有名だが、この定義に照らし合わせてみると、この条件を満たす「クラウド」サービスは、我国では、決して多くないように思う。
もちろん、NISTの定義が、絶対と言うつもりもないし、その条件が満たされなければ、クラウドというべきではないという偏狭な主張を振りかざすつもりはない。しかし、なぜ、NISTがあのような定義をしているのか。その背景を理解せずして、NISTの定義がおかしいとか、あれは日本には合っていないなどと主張するのも、情けない。それ以上に、クラウドの本質を見誤ることになる。
NISTの定義には、ひとつの明確な思想がある。それは、「クラウド・コンピューティング=無人コンピューティング」である。
NISTの資料をもとに、クラウドの定義をまとめてみたのが、下の図だ。
この図の左側に記載の「重要な特徴(Essential Characteristics)」をご覧頂きたい。ひとつひとつの解説は、省かせていだくが、この意味するところは、「広範なネットワーク接続」を除けば、「コンピューティング・リソースを調達するに当たって、調達する側も提供する側も、人手を介さないためのに何が必要か」という目的にひもづけられている。
米国は、日本に比べて、技能ある人材の人件費は、極めて高い。当然、低コストでシステムを調達/提供するためには、徹底的な人件費の削減、特に、高い技能を持つ人材を削減することが、課題となっている。クラウド・サービスは、そういう人材の使用を極力少なくして、運用やサービス提供の自動化を図り、コストの削減を目指している。
日本の場合は、米国と異なり、社内で人を育て、人材を育成する。当然、育った人間は、やめさせたくはない。また、制度的にも人の解雇は難しい。そのため、技能のある人材の流動性は、かなり低い。従って、米国のようなやりかたで、人件費を削減することは、なかなか難しい。そのようなこともあって、人件費は、固定費として扱われ、なかなか削減を言い出しにくいという社会的背景がある。
このような違いを踏まえて、考えてみるべきだろう。
クラウドとは何かと問われ、「所有から使用へ」という特徴を挙げる人は多い。もちろん間違いではないのだが、それは手段であり、目的ではない。目的は、「スキルある人材の人件費を減らし、TCOを削減すること」である。これを実現するためには、先にも挙げたように、運用やサービスの自動化を図る必要がある。となると、結果として「変更、変化への迅速な対応」も可能になる。
いろいろな「クラウド・サービス」なるものが、毎日のように発表されている。それが、クラウドの定義に当てはまらないから、そのサービスに価値はないなどと言うつもりはない。ただ、ソリューションという言葉そうであるように、その言葉の持つ本来の意味や思想を理解しないままに、かっこよく、時流に乗っているかのようにみせるための修飾語としての「クラウド」の使用は、いかがなものかと思う。もっと、堂々と、クラウドとは、関係ありませんが、こんなにすごいんです・・・と言えばいいのにと思う。
その出自も理解せぬままに使っている「クラウドXXX」。これは、「産地偽装クラウド」というべきではないか。そうしなければ、本来のクラウドまでも、風評被害にあいかねない。
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クラウドで利用者が受けたい恩恵は「所有資産の削減」「必要なときに必要なだけ」にあるかと。その意味では変更に迅速に対応できるのであれば「サービス提供が自動化されているか否か」は問わなくてもよいのでは?
ま、それでなくても「なんちゃってクラウド」の多さにはやれやれという感じであることに変わりはないのですが。。。
おばなじゅん さん
コメントありがとうございます。まさにご指摘の通りです。人件費の削減に加えて、広い意味でTCOの削減につながる話しであると考えます。