「いくら、営業の育成をしても、中堅管理職がこのままでは、営業力強化といっても、無理ですよ。」
あるSI事業者の役員が、ため息混じりに話してくれた。
がんばっても、なかなか受注を伸ばせない。だから、営業力を何とか強化しなくてはという思いは、この会社だけではない。営業研修にも熱心だ。しかし、数字に現れてくれない。そんな、焦燥感を募らせている。
経営者からみれば、彼ら中堅管理者の努力不足を問題と考える。一方、管理者は、経営の無策が原因だと考えている。デリバリーに責任を持つエンジニア部門は、営業が新規顧客や案件をとってこないのが悪いという。営業は、既存のお客様の深掘りに不熱心なプロマネやリーダーたちに原因があるという。
なぜ、こんなことになってしまうのだろうか。
「危機感が足りない。意識改革が必要だ!」というが、本当にそうだろうか?私は必ずしもそうは思わない。危機感が強まれば、意識が変われば、状況は改善されるのだろうか。そんな簡単なものではないだろう。
少なくとも、この会社では、「このままでは、だめだ・・・何とかしなくては!」という思いは、みんなが持っている。
では、どうすればいいのだろう。
私は、「危機感を持つ」ということを否定するつもりはない。しかし、その持ち方が問題だと思う。感情的に、感覚的に危機感というものをとらえても、それだけでは、解決の方策が見いだせない。大切なことは、この危機の本質や業績に及ぼす影響を丁寧に分析し、論理的、数値的に危機の事実を明らかにすることだろうと思う。
前回のブログで紹介のとおり、SI事業は、大きなパラダイム変化の波にさらされている。この変化の行き着く先は、単金の低下、競合の拡大、低コスト・システムへの転換である。
かつては、お客様の景気がよければ、仕事は、お客様の業績の伸びとともに、ついてきた。その頃の営業の役割は、お客様との人間関係の維持と迅速で適正な価格での人や物の調達である。デリバリー部門は、そんな営業のオーダーに応え、QCDを確実にこなし、その実績を武器に次の仕事をとってくることで、仕事を継続的に得ることができた。
製造業の仕事にたとえるなら、デリバりー部門は、工場である。営業は、さしずめ生産管理部長といったところだろうか。
しかし、継続的成長が期待できない今、お客様は、かつてのような「体力強化型」のシステムを求めていない。低コストでも確実にこなせる「体質強化型」のシステムを今まで以上に模索している。クラウドやオフショアは、そんなお客様の期待をかさ上げしているともいえる。
このような「体質強化型」への対応は、単純にモノやヒトといったリソースの調達だけで対応できるものではない。お客様も、何がほしいのかがわからない。営業も最適な答えを持ち合わせていない。言い換えれば、何を売ればいいのかが、わからないのだ。
いや、そんなことはないという人もいるだろう。ERPがある、仮想化がある、低コスト・サーバーもある。しかし、競合が当たり前の時代だ。それぞれに機能や特徴の違いはあるだろうが、お客様からみれば、一長一短。製品とて、同じモノを売っていることもある。そうなると、価格勝負、体力勝負しかない。
お客様が求めているのは、「体質強化のための設計図」だ。お客様と一緒になって、お客様の必要とされているモノの図面を描き、その最適な組み合わせを創造しなければならない。お客様は、営業にその役割を期待している。
製造業にたとえれば、従来の生産管理部長ではなく、研究開発部門のプロデューサー役を営業に期待している。
このような役割を担う営業に、アメとムチ、叱咤激励、「こんなところで何やってるんだ!机に向かっている時間があったら、さっさとお客様のところに行く!それが営業ってもんだ!」という精神訓話は、役には立たない。「そう言われても、どうすればいいのですか?」の答えが見いだせないビジネスに、このようなやり方は、害にこそあれ、モチベーションを高めることにはつながらない。
お客様と一緒になって、これからの設計図を描く。これを営業だけにやらせることは難しい。マネージャーも、エンジニアも、一緒になって知恵を出し、その役割を営業と分担し、チームとして作り上げてゆく。エンジニアにプログラミングやプロマネの能力も必要だが、お客様の業務を分析し、体系化し、テクノロジーと結びつけてゆく。そんな、広範な知識と能力が求められている。ここは、まだまだ、オフショアやクラウドのサービスに勝ち目がある領域だ。
営業という仕事が、営業職の仕事である限り、このような、取り組みはできないはずだ。もはや、営業の概念が、大きく変わってしまったということを受け入れることだ。かつての常識が非常識となってしまった事実を受け入れることが、起点である。
危機感とは、「従来」と「現在」とが、どう変わったかを対比することである。そして、あるべき姿の「現在」と今そこにある「現在」のギャップを冷静に捉え、受け入れることである。
感覚の問題ではなく、論理の問題ととらえること。それを共有すること。危機感とは、そうやって意志づけられるのだろうと思う。
感覚的言葉だけで、危機感をあおってみても、混乱を招くだけである。また、それぞれの都合のいい解釈により、自分たちの組織や仕事の変化を最小限に食い止めようとする。それが、先ほどのような混乱を招く原因となっている。
危機感を論理的、合理的にとらえれば、あるべき姿は何か、何を目指すべきかは、共有しやすくなるだろう。また、手段をどうするかについての利害の対立は、なくなることはないにしても、あるべき姿を実現するためには、どうすればいいかを合理的に判断できるだろう。気に入るか、気に入らないかの感情論は、その地位を下げることになる。
精神論、宗教論として、危機感を醸成するだけでは、危機の本質を見誤ることになりかねない。また、営業力も、従来当たり前とされていた営業職の力としての営業力ではなくなってしまったことを真摯に受け止めること。会社、組織としての新たな営業力を定義しなおし、その上で、営業やエンジニアを含め、役割や能力をどうするか、考えてゆくべきなのだろう。
かつての営業としての成功体験を持つ人たちが、いま営業の中堅管理者となっている人は多い。そういう人にはおしかりを受けるかもしれないが、あえて申し上げたい。
「世の中、変わったんです。滅私奉公、お客様は神様といった気持ちで成し遂げたあなたの成功体験。そこで身につけた方法論は、今の若者たちにとって、役にも立たないんです。同じことをやらせると失敗します。むしろ害です。
“滅私奉公、お客様は神様です”は、今の若者たちには、カッコワルイの象徴です。そのことを受け入れましょう。
過去の栄光は、お客様のお役に立てた喜びがいかにすばらしいものかを伝えるたとえ話としては役に立ちます。それまでです。“何でできないんだ!こうすればいいんだよ”というような方法論まで指図しない。やり方は任せ、それをサポートする。それが、今マネージメントに求められていることなのです。」