わが国でも「2015年の強制適用」の方針が固まり、国際会計基準(IFRS)が、にぎやかになってきた。そんなこともあって、先日のソリューション営業塾では、これをテーマに話をした。
言葉は、知っていたが、改めて、その内容や歴史的背景を勉強しなおしてみると、なんだかとても全うな話であることに気がついた。改めて、日本基準が、世界のローカル・ルールであり、なぜ世界の趨勢が、IFRSへと向かうのか、その必然が良く理解できた。
その心は、「経営者の理念と正直さを明らかにする」会計基準ということなのだろう。
IFRSの特徴のひとつが、「原則主義」。これは、財務諸表を作る際の原理原則だけを示し、詳細なルールは、業種、業態、地域や企業の実態に即し、経営者にその判断にゆだねるというもの。ただし、なぜそのルールにしたのか、経営者による合理的な説明が求められる。
これに対し、日本や米国の会計基準は、「規則主義」。お上のお定めになった規則どおりに行えばいいわけで、細目にわたり事細かに規則が規定されている。経営者が判断する余地は、あまり無い。そもそも、規則そのものが細かすぎで、専門家ですら、すべてを把握することが難しい。
IFRSが適用されると経営者は、世間の規則ではなく、自分の定めた規則にしたがって、株主への説明が求められる。なぜ、そのようなルールとしたのかを自らの言葉で伝えなければならない。経営者の事業理念と見識が問われることになる。
また、公正価値評価や包括利益という概念は、会計的テクニックによる業績操作の余地をほとんど無くしてしまう。つまり、経営の実態を正直に説明しなければならない。
たとえば、日本の利益は、当期純利益であって、その期の売り上げから、経費を差し引いたものとなる。ところが、IFRSは、その当期純利益に加え、株式や不動産、デリバティブなど金融商品の含み損益も加算されて、資産の時価も含めた利益として開示しなければならない。つまり、企業の正直な財務状況の説明が求められる。
経営者は、何を理念にこの会社を経営するのか、そして、企業会計の正直な実態をわかりやすく説明しなくてはならない。IFRSは、それを求めている。
日本や米国の規則主義は、それはそれで便利であるが、その規則の抜け穴を見つけ出し、エンロンやワールドコムの不正会計事件が、おきてしまった。そこで、それを防がなければと、また規則をつくり、SOX法も制定し、ますます厳しい規則で企業を縛った。その結果、上場をやめてしまったり、経営者のなり手がいないなどの事態を招いてしまったことは、ご存知のとおりだ。
西松建設事件に見られる政治献金の問題。関係者は、規則に従っていたのだから、問題はないと言い訳をする。たとえ法律的に正しくても、道徳としてはどうなのだろうか。ルールではなく、モラルや良識はどうなのか。当事者の見識が問われている。この事件は、そんな日本の社会風土をよく示しているように思う。
そんな日本の常識は、世界に通用しない。IFRSは、会計基準という形で、日本の企業経営者に、この常識を改め世界の常識に従うよう求めている。
自分の経営理念に従い、自ら定めた規則を合理的に、第三者が納得できるように、説明すること。そして、隠すことなく正直に企業実態を開示すること。まったく当たり前のことである。この当たり前を世界水準に引き上げるきっかけが、IFRSだと捉えてみるというのも、ひとつの考え方かもしれない。