「T Doesn’t Matter(もはやITに戦略的価値はない)」という論文で物議をかもしたニコラス・G・カー(Nicholas G. Carr)氏が、近著「The Big Switch: Rewiring the World, from Edison to Google」の中で、「クラウドが普及するとIT部門の仕事の大半が失われる」と再び過激な発言をしている。
まったくそのとおりとはいえないまでも、その可能性を無視することはできないだろう。
今のクラウドには、いろいろと課題があることについては、以前このブログでも書いたが、時間とともに回線の信頼性はあがり、システムの可用性が高まるだろうことは、容易に想像できる。
かつて、工場は、安定的な電力供給を受けるために自前で発電所を稼動させていたが、今では、電力会社から購入するのは、当たり前の時代となった。
コンピューティング・リソースが、同じような道を歩むことは大いに考えられる。また、SOA化の進展とともに、多くのシステム機能がサービス部品として流通するようになれば、独自の開発部分は、当然少なくなるだろう。
システムの導入、運用管理、システム開発といった、IT部門の多くの仕事が、クラウドに置き換わる時代は、さほど遠くないのかもしれない。
私が主宰する「ソリューション営業塾」では、IT営業として、これだけは知っておきたい12の常識をテーマとして取り上げて、毎週講義をしている。図らずも、そのテーマは、クラウドにつながっている。仮想化、SOA、リッチクライアント、Ajax、ネットワーク・セキュリティ・・・。昨日は、Google Chrom OSを取り上げた。
ひとつひとつを見れば、自前のシステムに供する技術でもある。しかし、それらを組み合わせたものが、クラウドのインフラやユーザー環境を実現している。
「クラウドは、バズワードにすぎない。」、「クラウド、クラウドと騒ぎすぎだ。」などという、意見もある。確かに、拙速にことを急ぐ必要はないだろう。しかし、その本質を正しく理解すれば、ひとつのトレンドとして、この流れを無視することはできない。
さて、改めて日本型クラウドとは何かを考えてみると、実は、正直なところ大いに悩んでいる。
このブログで「高信頼性・高可用性プラットフォームとしてのクラウド」はどうかと発言した。しかし、そのシステムの物理的リソースを国内に持つことは、コスト的に見合わないように思う。また、運用管理も自動化が進めば、人的リソースは、あまりかからないだろうし、窓口機能は別としても、国内に要員を配置する必然性はない。
ならば、プラットフォームではなく、アプリケーションあるいは、SOAによるサービスの部品化ビジネスに可能性を見出すべきなのだろうか。しかし、所詮はローカル色の強いものとなり、グローバルに資するものとなると、どうしても限られてしまうだろう。
このブログのタイトルをあえて「番外編」としたのは、改めて考えてみて、自分の中に描いていた答えに自信がもてなくなったからである。まあ、ブログなので、こんな変心もお許し願いたい。しかし、どこかでなんらかの整理はしてみたい。それまで、一旦このテーマから、離れさせていただこうと思う。ご容赦のほど。