「蒟蒻畑」が製造中止となった。メーカーの経営者、社員の方の心中を察するに、やりきれない思いがする。
報道によれば、
とある。一見すれば、至極当然なことのようにも思うが、どうもマスコミの話題作りのネタであり、それを政治家が利用したに過ぎないのではないかとも思えてくる。
こんなデータがある。
ここに上げた統計は、サンプル調査であって、食品窒息事故の一部を取り上げているに過ぎない。実数については明確ではないが、この報告の中に「食物による気道閉塞が原因で死亡する事例は、近年4000例を超え、年々増加傾向にある。」とある。
こんにゃくゼリーは、「カップ入りゼリー」に含まれるのではないかと思うが、この統計を見る限り事故の原因として、もちやご飯がはるかに多い。お粥さえも窒息の原因となっている。こんにゃくゼリーが、もちやご飯に比べて消費される量は少ないだろうから、単純に数字を比べてどちらが危険だと判断するわけにはゆかない。しかし、それにしてもなぜ「もち」については、何のおとがめもなく「こんにゃくゼリー」だけをやり玉に挙げるのか。そこには、話題のネタとして取り上げたマスコミ、それを宣伝の材料とした政治家の思惑を勘ぐってしまう。
「消費者行政」。現内閣の目玉でもある。それに如何に熱心に取り組んでいるかをアピールする絶好の材料が「こんにゃくゼリー」というわけだ。
安全を喚起すべきことに異論はない。また、事故で尊い命を失われたご遺族に心より哀悼の意を表したいと思います。
だからこそ、「こんにゃくゼリー」をひとつの例として、「食品による窒息事故には注意しましょう!」というべきであり、行政もそのための取り組みを進めるべきだと思う。しかし、大臣が特定メーカーの幹部を呼び出し改善を求める。しかもその様子をマスコミに報道させる。「自分は大臣としてしっかり仕事をしています。」とのパフォーマンス。まるで呼ばれた企業関係者は悪人扱いではないか。どうも話の本質がすり替わってしまったようだ。
「警告する外袋のマークの拡大やミニカップ容器にも警告を表示するなどの再発防止策を求めていた。」とあるが、実際現物を手に取ってみたが、十分に大きな警告であり、これ以上大きくしたところで、注意喚起が強まるとも思えない。まさに強い立場を利用した「恫喝」とも受け取れる。
ましてや、社民党が提出した「こんにゃくゼリーによる窒息死事故に関する緊急申し入れ」を見て開いた口がふさがらない。話題に乗り遅れまいとしたパフォーマンス。国民のためとの大義名分を掲げ、人の死、企業の苦労や経営者の思いを斟酌することなく自分たちの宣伝として利用する。その内容の現実感覚のなさにはあきれてしまう。
このブログは、本来こんなことを書く場所ではないと心得ている。しかし、仕事柄いろいろな経営者と会う機会もあり、彼らの心中をどうしても考えてしまう。
この会社もいろいろな苦難を乗り切り「蒟蒻畑」というヒット商品を生み出したのだろう。経営者の苦労が忍ばれる。そして、テレビCMや雑誌広告など人気が出て、ますます目立つようになる。それを叩けば、当然叩いた側の宣伝効果も大きい。利用された側は、たまったものではない。
企業側にまったくの非がないかどうか。どこまで安全性について議論して、製品作りをしてきたのか。安全性へのリスクがあきらかになった早い段階で、勇気を持って公表し、注意を喚起すべきだったの声もある。お客様の側に立つ姿勢が単なる理念だけではなく、行動の規範として活かされていたのだろうか。これについては、想像の域を出ない。
今回の事件は、会社の経営に携わるものとして大いに憤りを感じると共に、改めて自身の襟元をただす教訓とすべきではないだろうか。