「企業利益が、リーマンショック以前の水準に戻ったとの報道もあるが、どうも実感がわかない。みなさんは、どのようにお感じですか?」
毎週水曜日の夜に開催している「ITソリューション塾」で、ある大手ソリューション・ベンダーの営業の方から、そんな問いかけがあった。
この塾には、大手中小を問わず20名ほどのIT企業の営業関係者が参加をしているが、一同を同じような感触を持っているようだ。
いろいろと理由は考えられるが、そのひとつに企業が内部留保金の積み上げを拡大していることが考えられる。
資本金10億円以上の大企業を対象とした財務省の「法人企業統計」によると、内部留保金に該当する利益剰余金と資本剰余金は、合計227兆円となり、10年間で74%も増えている。つまり、投資できるはずの資金を投資に使わずため込んでいるわけで、空前の金余り状態と言っても過言ではない状況が生じている。*この内容が誤りであるとのコメントをいただきました。下記、ご参照ください。2010/11/17更新*
これでは、いくら利益が出てもそれが新規投資に向かないわけである。景気動向の先行き不安が未だ払拭されない中で、このような経営心理が働いているのだろう。当然のことながら、このような状況では、ITへの新規投資にも消極的にならざるを得ない。「景気がもどりつつあるという実感がわかない。」という背景には、このような理由があるのかもしれない。
また、「情報システム部門の予算の7割が保守や運用などのコストであり、新規開発投資は3割に過ぎない。」という話を前回のブログで紹介した。この高コスト体質の情報システムの現状を見直そうという動きが多くの企業ですすんでいる。これは、情報システムだけの問題ではないが、企業統合による経営の効率化と合わせ、情報システム統合プロジェクトが、大手金融機関を中心に盛んである。
この動きは、情報システム機器や開発要員と言ったIT企業への需要を拡大するが、一時的なものである。本質的には、標準化の推進、システムの統合、運用の自動化や簡素化といった、IT需要の拡大を抑制する取り組みである。
内部留保金の積み増しによる新規投資の抑制に加え、中長期的な情報システム需要の低減に向けた動きは、たとえ我国の経済指標が改善しても、ITの需要拡大には、ストレートに反映されることはないだろう。
もうひとつ考えておくべきは、我国企業の情報システム投資に関する目的意識が、対策投資を重視する傾向にあることだ。
情報システムに限った話ではないが、我国企業は、意志決定に際して「失敗をしてはいけない」という基準が、大きく影響している。失敗することは、減点であり、出世の妨げになる。これは、ある意味、日本の伝統文化のようなものでもある。この結果、リスクを伴う新たな事業分野への参入、利益拡大にむけた体質の強化や仕組作りなどの戦略投資に対しては、どうしても慎重になる。この傾向は、短期的な収益を優先しなくてはならない資金余力に乏しい中堅中小企業にとっては、なお一層のことである。
このメンタリティは、決してネガティブな側面ばかりでもない。高品質(時には過剰とも言える)を生み出す意識とも同根のものであろう。しかし、その反面、高コスト、機動力の低下などネガティブ側面も否めない。今のような社会的なパラダイムが大きな変革を求めている時代にあっては、これが、競争力の足かせになることもあるだろう。
日本の企業は、伝統的に組織としての団結力が強い。従って、組織内の縦のキャリアパスが正当なものと受け入れられている。米国のように他の企業に移って出世するなどという横のキャリアパスは、心情的に受け入れがたいものがある。従って、社内の縦組織の中で成功することを目指すことになるが、その条件は、「失敗しない」ことである。言い換えれば、「スモール・スタート」、「リスクは犯さない」ことが大切なのである。このようなメンタリティは、徐々には変わりつつあるとは思うが、簡単にはなくなるものではないだろう。
ここにおもしろい調査がある。「クラウドへの投資目的、日本は「コスト削減」、他国は「戦略的投資」」というものだが、なるほどと合点がゆく。クラウドの利用にも、同様の意識が働いているのかもしれない。
この記事にあるような「コスト削減」に加え、「法令・規制への対応」、「業務内容の変更への対応」などという対策投資は、取り組まざるを得ないことである。しかし、新しい事業分野への進出や事業構造の変革などの取り組みにITを積極的に活用するといったと戦略投資については、意志決定に大きなハードルが立ちふさがっているようだ。
ただ、我国企業が、グローバルな市場で競争力を取り戻すためには、この戦略投資が不可欠である。対策投資を重視するあまり、こちらへの投資を怠れば、競争力が相対的に低下することは避けられない。
私は、そんな戦略的投資を促すひとつの手段として「クラウド」は、有効ではないかと考えている。失敗しても、所詮「クラウド」である。初期投資は少なくてすむ。いつでも、手放すことができるし、リスクも限定される。大きな失敗は回避され、減点も少なくてすむだろう。「スモール・スタート」には、うってつけの手段である。ちょっと、へそ曲がりな提案かもしれないが、我国企業のメンタリティを考えれば、現実的なアプローチかもしれない。
クラウドを「コスト削減の手段」ととらえるだけではなく、戦略投資の武器として考える。ITベンダーは、そんな視点を持って、お客様にその価値を訴えてゆくというのはどうだろう。内部留保金という、巨大な金庫をこじ開けるきっけになるかもしれない。
*追加のコメント(2010/11/17更新)*
本記事に対して、知り合いの会計士の方から次のようなご指摘がありました。
このご指摘には、「内部留保金」についての、私の解釈が誤りであること。また、世間でも同様の解釈があることを指摘されています。
加えて、今の我国企業の経営努力の実態をこの「内部留保金」に絡めて説明されています。
このコメントは、大変示唆に富むものであり、一連のメールでのやりとりをそのまま転載させていただきます。
ご指摘のメール----------------------------
斎藤さん、
「資本金10億円以上の大企業を対象とした財務省の「法人企業統計」によると、内部留保金に該当する利益剰余金と資本剰余金は、合計227兆円となり、10年間で74%も増えている。つまり、投資できるはずの資金を投資に使わずため込んでいるわけで、空前の金余り状態と言っても過言ではない状況が生じている。」の部分は正しくないのではないでしょうか。
日本共産党も同じ間違いをし続けていて、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-02-09/2010020901_04_1.html
識者から指摘を受けても一向に主張を曲げないというか、正さない、政治家にあるまじき確信犯なのですが、内部留保は資金調達サイド(貸方)の数値であって、資金運用・資金投入サイド(借方)の数値ではありません。したがって、この数値の大小とIT投資の増減に直接の関係はありません。
原則として、利益剰余金は、これまでの稼ぎからこれまでの配当を差し引いた残余です。また、資本剰余金はこれまでの増資額(=資本取引)のおよそ半額です。(なお、通常、資本剰余金は内部留保に含まれないのじゃなかろうかという気もします。)これらの金額が積み上がっているということは、日本企業がより多く稼ぎ、より配当を増やさず、より増資による資金調達をし、あるいはM&Aで大きくなってきたか、の履歴です。で、その結果できた資金を、現金のままとってあるのか、投資あるいは費用として使ったかは、別問題です。
ちょっと古いデータですが、利益剰余金の積みあがり傾向とは関係なく、むしろ若干反比例的に、日本企業の現金残高は長期安定、微減傾向にありました。
http://bit.ly/94qZlo
あくまで推測ですが、背景として、より強い企業が生き残り、より稼げる環境を先行確保して内部留保を高める過程で、脱落企業が淘汰され、日本における企業数が減少傾向にあることや、個別企業でもメインバンクに無理やり多めに貸し付けられて余計な定期預金を組まされるような取引慣行がほぼなくなったこと、あるいは連結経営が進んで、グループキャッシュマネジメントがより効率的になってきたことなどが背景にあるのではないかと推測しています。
なお、リーマンショック後生き残った会社は現金をより積み上げる傾向にあるため、直近の統計であれば現金残高はやや上向き傾向にあるのではないかと思いますが、いずれにしても内部留保と同額の現金を「貯め込んで」いるようなことは決してありません。
返信のメール ----------------------------
Sさん
斎藤です
ご指摘感謝します
なるほど、勉強不足です お恥ずかしい限りです。
ありがとうございました。
ご指摘いただいたことに関連して、教えていだきたいのですが、IT投資意欲を抑制する何らかの経営的モチベーションが働くとすれば、どのような財務会計上、あるいは、管理会計上の指標が、効いてくると考えられるでしょうか。
もちろんこのような視点からだけで、投資抑制の要因を判断することはできないと承知しておりますが、お客様をデータで理解しようとするとき、何らかの目安になればと思うのですが、いかがでしょう。
回答のメール ----------------------------
斎藤さん、
財務会計または管理会計の指標でIT投資意思決定を左右するようなものがあるかと問われても、IT以外の投資意思決定と大きく異なる指標はちょっと思いつきません。
通常IT投資は本業をサポートするものであって、それ自体が売り物になるわけではないので、まずは本業が儲かっていて、その儲かりのスピードを上げる余地、あるいは競合他社に圧倒的な差をつける余地が、IT投資によって生まれるかどうか。または、本業は儲かるかどうかスレスレだが、IT投資を通じて本業のスピードや管理精度が向上することによりキチンと儲かる事業になるかどうかが大切で、これらが是となれば、お金があれば投資できるし、なくても借り入れて投資(またはリースで投資)することになります。お金がない、借入先もないとなれば、VCの扉を叩きます。それでもダメなら投資のしようがないということになりますが・・・。
日本企業の内部留保がたまっているのに、現金があまり増えていないということの一因は、内部留保を重要な資金調達源とし、借入の返済を優先するバランスシートの見直しが続いているためかもしれません。また、国内外の外注先を使いながらファブレス型経営を志向する会社が増えているためかもしれません。しかし、バランスシートを身軽にすることと、必要なIT投資を行って経営スピードの点で他社に負けないことは両立可能と思います(言い換えれば、IT投資は不動産投資や工場建設ほど巨額でない)ので、何らか特定の会計指標をもってIT投資が抑制されるというようなことはないのではないかと思います。
普段、こういった視点で数字を見ていないので、的確な回答になっていないかもしれません。すみません。
返信のメール ----------------------------
Sさん
斎藤です
貴重なご指摘感謝します
> バランスシート
> を身軽にすることと、必要なIT投資を行って経営スピードの点で他社に負けないこと
> は両立可能と思います(言い換えれば、IT投資は不動産投資や工場建設ほど巨額でな
> い)ので、何らか特定の会計指標をもってIT投資が抑制されるというようなことは
> ないのではないかと思います。
この点は、大変示唆に富むご指摘かと思います。
ITの戦略的投資によりバランスシートを改善する。
つまり、IT指標を見て、投資の意欲を判断するという視点ではなく、より積極的にIT投資が、バランスシートに貢献するという目線を持つ必要がありそうですね。
大変勉強になりました。
感謝いたします。
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いかがでしょうか?すこし突っ込んだ議論ですが、ご参考になれば幸いです。