バブル崩壊後の1990年代初頭から現在にいたる30年間、経済の低迷や景気の横ばいが続いています。この「失われた30年」から脱すべく、様々な手立てが繰り出されてはいますが、なかなか先行きが見えてきません。
その原因や解決策については、多くの専門家諸氏が語っているので、いまさら私が語る筋合いでもありません。ただ、1995年、失われた30年の始まりの頃、サラリーマンを卒業した私は、まさにこの30年間を、IT企業やユーザー企業のIT部門の人材育成や事業戦略の立案などに関わってきました。
そんな経験が見えてくるのは、「正解はどこかにあるはず」という、バブル時代以前の思考回路をそのまま引きずり、まだその幻想から抜けきれない企業や個人がたくさんいるという現実であり、それが「失われた30年」の負のスパイラルを生みだした元凶ではないかということです。
日本の伝統的思考法「正解主義」が生み出した「失われた30年」
日本は、明治維新はヨーロッパを見習い、戦後はアメリカを見習い、彼らの正解を積極的に取り入れ、同じ方向を目指すことで、社会を発展させてきました。それぞれの時代には、予め用意された正解があり、それを日本人の器用さでうまくアレンジして取り込み、変革を乗り切ってきました。しかし、将来が予測できない時代なり、世界が混迷の度を深める中、どこにも予め用意された正解を求めることができない時代になりました。
そんな時代であるにもかかわらず、過去のやり方が通用するかのように、自分の正解を創ることを怠り、どこかに正解があるのではないかと探し続けているように見えます。昨今のDXの喧騒も、そこに正解があるはずとの期待があるのでしょう。
自分たちで正解を創り出すことを怠り、「どこかにあるはずの正解」を期待するといった正解主義の風潮が、日本の30年に渡る負のスパイラルを生みだしてしまったのではないでしょうか。
本質を置き去りに正解のカタチにこだわり続けた日本企業
バブル崩壊が始まった1990年代初頭、多くの企業が危機感をいだき、早急な対策を求めていました。そんな1993年、マイケル・ハマーとジェームス・チャンピーの共著として発表された『リエンジニアリング革命』で語られた「BPR」は、まさに求めていた正解でした。
BPR(Business Process Reengineering)とは、業務本来の目的を達成するために、既存の組織や制度を抜本的に見直し、プロセスの視点で、職務、業務フロー、管理機構、情報システムを「デザインしなおす=リエンジニアリング」という考え方です。
BPRでは、業務プロセスを徹底して分析・可視化し、業務本来の目的から離れ形骸化したプロセスや部分最適化に陥ったプロセスを洗い出して、全体最適の観点から再構築します。
これは、なかなか容易なことでなく、そこで、この取り組みを加速する手段として、他社のベストプラクティスをもとに構築されたERPパッケージを導入し、その雛形に合わせて業務プロセスを変革することが、定石とされました。
ただ、ERPパッケージは「雛形に合わせて」これまでの業務のやり方を変更し、カスタマイズしないで導入することで、変革のスピードを加速し、システム投資を抑えることが狙いでした。しかし、業務プロセスが属人化され標準化が難しく、業務現場の発言力が強い日本企業では、「現場に合わせる」ための大規模なカスタマイズが行われるケースがほとんどでした。結果として、業務プロセスの変革は進まず、莫大な投資に見合った効果が得られませんでした。未だその禍根を引きずっている企業も多いような気がします。
自分たちで正解を考えるのではなく、出来合いの正解を持ち込み、その本質を突き詰めないままに、カタチばかりまねをして、成果をあげられないといったケースは、BPRやERPだけではありません。例えば、MA(Marketing Automation)は、「案件を発掘する」役割を担うデマンドセンターが案件を発掘し、これを育てて受注確度を高めた上で、「案件を受注に変える」役割を担う営業に引き渡す一連のプロセスの生産性を高めの手段です。そんなMAを導入しても、肝心要のデマンドセンターを置かず、広告宣伝自動化ツール程度にしか使っていない企業はすくなくありません。また、セルフサービスを前提に機能を充実させ続けているクラウド・サービスを導入しても、外注先のITベンダーに丸投げして、自分たちで使いこなすことをせず、多大なコストを流失させ、クラウドのもたらすコスト削減効果や俊敏性を損なっているケースもあります。
このように、出来合いの正解を持ち込んでも、それが生まれた背景やいかなるあるべき姿を目指しているのかと言った本質を突き詰めることなく、カタチだけを真似て「これで課題が解決できる」と勘違いをしているケースは、枚挙にいとまがありません。昨今では、デザイン思考やアジャイル開発が、このケースに該当するかも知れません。
「デザイン思考」は、リスクを冒してでもチャレンジし、失敗もまた成功のためのステップとして称賛されるシリコンバレーの気風があればこそ、うまく効果を発揮するメソドロジーです。リスクを徹底して排除し、失敗を汚点とする企業文化をそのままに、この手法を使ったところで、成果を出すことは難しいでしょう。
「アジャイル開発」は、エンジニアのひとり一人が、自分たちで考え判断し、進捗を管理し、品質を作り込んでいくことができるチームが前提です。そんなチームが、圧倒的なスピードでユーザーのニーズに応え、ビジネスの成果に貢献することを目指します。そのため、バグによる手戻りや使うかどうか分からないプログラム・コードを生成するなどのムダは徹底して排除します。つまり、バグフリーでビジネスの成果に貢献するコードだけに絞って開発するための考え方であり手法です。プロマネが進捗や品質を管理し、指示されたことをこなすことが求められてきた日本のこれまでの常識のままでは、取り組むことはできません。
正解を自分で創ることが失われた30年を40年にしないための方策
流行りの言葉に引きずられ、グローバル・スタンダードやベスト・プラクティスに直ぐ飛びつくのも、そこに正解があると考えるからでしょう。前提や本質を置き去りにして、カタチをだけを真似てもうまくいかないので、再び他の正解を探し、同じ過ちを繰り返しています。そんな負のスパイラルを続けているように見えます。DXもまた同じ匂いをただよわせています。
研修や講演で、「どういう方法があるのか」や「どんな本を読めばいいのか、どのサイトの情報を見ればいいのか」というご質問を頂くことも少なくありません。これもまた、どこかに正解があるはずとの前提があるように思います。
「方法や書籍、サイトをいくら探しても、あなたの正解はみつかりません。そういう情報はあくまで、自分で考え、自分の正解を創るきっかけに過ぎないのです。」
このような回答に、質問者は不満をいだくでしょう。講師なのに知らないなんてレベルが低いと思われるかも知れません。しかし、これは本当の気持ちです。
まずは、自分たちの課題を真摯に見つめ、徹底して議論し、何をしたいかをはっきりさせることです。そうすれば、必要な情報は自ずと見つかります。自分たちの正解を考えるきっかけを与えてくれるはずです。その前段を省いて、拙速に用意されている正解を求めても、期待通りの正解を得ることはできません。例え知識を得ることができても、行動に転換できる知恵を得ることはできません。
講義や講演で「他社事例」を沢山紹介してほしいと求められることもあります。その理由は、「講師の話しがつまらなくても、受講者は、事例があれば分かった気になるので、主催者としても面目が保てるから」と言うのが、本音ではないかと思います(笑)。
将来が予測のできないいまの世の中では、「他社でうまくいったこと=他社事例」は、自分たちの正解にはなりません。二番煎じであり、過去の成功事例でしかありません。自分たちの未来の正解は、そこにはありません。もし他社事例が参考になるとすれば、「他社が成功したこのやり方は、まねしないようにしよう」という気付きを与えてくれることくらいでしょうか。
ここにも「どこかに正解があるはず」との期待があるのでしょう。しかし、そんなうまい話はありません。他社の成功事例を話すだけでは、「凄いなぁ!でも、これができるのはあの会社だからで、うちはムリだよね。」という、ネガティブな意識を生みだすだけに終わってしまいます。
DX推進組織や新規事業開発チームなども、他社事例を集めることに終始して、自分の正解を創ることまで行き着くことなく失速するケースもあるようです。そんな残念な状況に陥らないためには、「正解主義」から脱しなくてはなりません。
情報->考える->情報->考える->・・・
これを繰り返して、自分の正解を創り出すことです。グローバル・スタンダードやベスト・プラクティス、デザイン思考やDXなどに自分たちの正解はありません。これらを学び、正しく理解する努力は怠るべきではありませんが、これをきっかけとして、自分たちの、あるいは、自分の正解を創り出すために自分のアタマで考えることです。世の中の正解や事例は、自分で考えるきっかけであり、考えるための素材です。世間で言われていることを鵜呑みして、カタチをまねても、それは自分たちの正解にはなりません。
失われた30年を40年にしないためにも、古き良き時代の軛を裁ち切り、自分達で考え、議論してオリジナルな答えを創り出すことが、いま求められているように思います。
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斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー