「VUCA:社会環境が複雑性を増し、将来の予測が困難」な時代に私たちは生きています。予め用意された正解はありません。ネットを探しても答えは見つかりません。いまうまくいっていることでも、それが明日の正解になる保証はないからです。
ならば、自分で考えて、アイデアが湧いたら、すぐにやってみて、確かめるしかありません。その結果が、うまくなければ改善し、うまくいったら磨きをかける。そんなやり方でなければ、現実的な解は見つけることができなくなりました。
ゆっくり時間をける余裕はありません。圧倒的なスピードで仮設・実践・検証のサイクルを繰り返し、変化に対処できる能力を持たなくてはなりません。DXとは、企業活動の基盤にこの価値観を据える取り組みといってもいいでしょう。
これからのエンジニアに求められるマインドセット
ITもまた、圧倒的なスピードが求められています。つまり、企画からユーザーへのリリースまでの総期間を短縮し、このサイクルを高速に回すことです。そのためには、方法論、あるいは知識やスキルを変えるだけではなく、カルチャーも変えなくてはなりません。
慣れ親しんだウオーターフォール開発では、もはや時代にニーズに対処できません。
「高品質(=バグフリー)で、無駄なく(=ビジネスの成果に直結するコードのみを)、変更要求に即応できる(=仕様書通りではなく、ビジネスの成功を優先し、予め決めた仕様に拘らない)ソフトウエアが実現できるアジャイル開発」が、求められるのは当然のことです。
そのためには、カルチャーやお作法も “モダンIT”にシフトしなくてはなりません。これに対応できるエンジニアは、「自律した個人」であることが前提です。
誰かの指示を待ち、組織の作法に従って、与えられた仕事をこなすのではなく、目的やビジョンをチームで共有し、最善のやり方を自ら考え、自らの意志と判断で行動できる能力を持つことです。
そんな「自律した個人」が、これからの「優れたエンジニア」の前提です。彼らは次のようなマインドセットを持っています。
- 客観価値の追求:主観に囚われることなく、客観的に物事の本質や原理原則を求める
- 技術の力(未来を創り出す力)を信じている。
- 特定の技術にこだわることなく、他の領域にも関心を持ち、自分の領域を広げることを楽しめる。
- 常識を疑い、ものごとの本質あるいは原理原則を捉えようとする。
- 利他の追求:利己を排除し、利他を追求する
- Don’t become a Heroすなわち、チームとしての価値を出すことを第一に考え、そこでの自分の役割を最大限に、かつ積極的に果たそうとする。
- HRT(Humility:謙虚な気持ちで常に自分を改善し、Respect:尊敬を持って相手の能力や功績を評価し、Trust:信頼して人に任せる)ことを心がけている。
- 社会の発展やお客様の幸せなど、世のため人のために貢献することを意識している。
- 至高の追求:現状に妥協せず、常に最高を追求する
- 頭で考えるだけではなく、自分で手を動かして、確かめながら体験的に理解を深めようとする。
- どんなに複雑なモノでも本質を見極め、何事もシンプルに捉えて設計できる(ゴールの法則注1の実践)。
- 何よりも品質を常に重視する。常にお客様目線(社内基準では無く)で品質を考え、自身の行動に反映させる(TQM注2の実践)。
注1 ゴールの法則:正常に動作する複雑なシステムは、例外なく正常に動作する単純なシステムから発展したものであるという法則。逆もまた真であり、ゼロから作り出された複雑なシステムが正常に動作することはなく、またそれを修正して動作させるようにもできない。正常に動作する単純なシステムから構築を始めなければならないとい。
注2 TQM:経営管理手法の一種。Total Quality Managementの頭文字を取ったもので、日本語では「総合的品質管理」と言われている。TQMは、企業活動における「品質」全般に対し、その維持・向上をはかっていくための考え方、取り組み、手法、しくみ、方法論などの集合体であり、それらの取り組みが、企業活動を経営目標の達成に向けて方向づける。
優れたエンジニアは、上記のようなマインドセットを持ち、会社や組織、上司に言われなくても、自分でこれを実践し、自分で育っていくことができます。
- 自らが目指す未来の自分を描く。
- それに向かって、オープンな場も含めて学び、切磋琢磨する。
- それを現業に活かして成果を出す。
- その成果が認められて、得意分野として新たな仕事を(社内であれ社外であれ)得ることができる。
- そんな実践を通じて更に技術が磨かれる。
このサイクルを自ら回せるのが、これからの「優れたエンジニア」です。
エンジニアに求められる要件が変わってしまう
ITビジネスに求められる技術が、「作る技術」から「作らない技術」へとシフトし始めています。
「作る技術」とは、「仕様書に定められた機能を実装することを目的に、プログラムを作る技術」です。「作らない技術」とは、「ビジネスの成果を達成することを目的に、既存のITサービスを駆使し、できるだけ作らずに短期間でITサービスを実現する技術」です。
その目的は、次のようになります。
- 作る技術を前提としたビジネス:工数を売る
- 組織力を駆使して、作る技術を持つエンジニアをできるだけ多く動員し、工数を最大化して、売上規模を拡大すること
- 作らない技術を前提としたビジネス:技術力を売る
- 個人とチームの自律と自発を促し、作らない技術力を磨くための環境を整え、作らない技術力を持つエンジニアをお客様の事業の成果に見合う金額で提供して、高い利益率を継続的に確保すること
また、求められるエンジニアのスキル要件も違います。
- 作る技術を前提としたエンジニア:お客様からインタビューして、要件を定義し、WBSに従って進捗を管理するPMや仕様書に従ってコードを書くエンジニア
- 作らない技術を前提としたエンジニア:お客様と事業の目的とビジョンを共有し、ITサービスを提供するための障害を排除しお膳立てを整えるスクラムマスターと、既存のサービスや技術を自分たちで目利きし、最速最短でビジネスの成果に供するITサービスを実現するエンジニア
後者の要件に見合うエンジニアが、いま求められています。
「まだ何とかなる」ことはない
ChatGPTが世間を賑わしています。その基盤となる新たな大規模言語モデルGPT-4もリリースされました。開発元であるOpenAIに対して、Microsoftは、向こう数年間で数十億ドルの出資を行うと発表しています。Microsoftは、この技術をOffice365製品に組み込むことも発表しました(Office 365 Copilot)。
- Wordでは書き始めが難しいドキュメント作成もドラフトを用意してくれます。
- Excelではデータから傾向を分析し、グラフなどのビジュアルデータを数秒で作成してくれます。
- PowerPointでは良いビジュアルのプレゼンテーションファイルを作成してくれます。
- Outlookではメールの文面を自動生成してくれます。
また、Power Automateに同様の機能を組み込んだ「Copilot in Power Apps」および「Copilot in Power Automate」を発表しました。いずれも作りたいアプリケーションの内容を自然言語で説明すると自動的にアプリケーションが生成される機能を備えています。
また、GitHub Copilotには、コメントや関数のシグネチャーから文脈を読み取り、プログラマーがこれから書こうとすることを予測して、代わりに書いてくれる機能も搭載しています。さらに、安全でないコードのパターンが生成された場合にはそれをリアルタイムでブロックしてくれます。
このようなテクノロジーの急速な発展を考えれば、ソフトウェア開発の常識が、根本的に変わってしまうのは、時間の問題です。例えば、仕様書に書かれた機能をプログラムにするという仕事が、置き換えられてしまうことは、火を見るより明らかです。
テクノロジーの進化は留まることはなく、スピードを加速しながら、その適用範囲は拡大し続けています。そして、それ以前の状態に戻ることはありません。そんな時代の変化を傍観していたら、あっという間に浦島太郎になってしまいます。これは、エンジニアだけの話しではありません。圧倒的なスピードで、自分のスキル・セットをアップデートし続けなければ、だれもが仕事を失ってしまいます。
問いを発し続けているか
「マシンは答えに特化し、人間はよりよい質問を長期的に生みだすことに力を傾けるべきだ。」
“これからインターネットに起こる『不可避な12の出来事』”の中で、ケビン・ケリーが述べた言葉です。
例えば、銀行の窓口で応対していた行員がATMに置き換わったように、駅の改札で切符を切っていた駅員がICカードのタッチに変わってしまったように、やり方が決まっている仕事は機械に置き換わってゆくのは歴史の必然です。それがテクノロジーの発展によって、より複雑な業務プロセスにも適用の範囲が拡がりつつあります。
一方で、「何に答えを出すべきか」を問うことは、これからも人間の役割です。プログラミングやテスト、運用管理などは機械に任せ、「どんなシステムを作ればビジネスの成果に貢献できるのか」、「どのようなビジネス・モデル、ビジネス・プロセスにすれば成功するのか」、「現場の要請にジャスト・イン・タイムでサービスを提供するにはどうすればいいのか」といった問いを発し続けることが人間の役割となります。
これをどのようにお金に換えるかを考えなくてはなりません。ただ、はっきりしていることは、工数や物販に頼れなくなることだけは確かです。だなら、経営や業務の源流に関わり、そこから生みだされた問いをいち早くビジネスの現場に投入するためのプラットフォームや方法論を手に入れなくてはなりません。
また、「時間をかけて積み上げた経験値」つまり「ベテラン」の不良資産化が加速することも覚悟しておくべきです。
「時間をかけて積み上げた経験値」があるという事実に満足するのではなく、その経験値を活かして、もっとお客様や自分たちの価値を高めるためには何をすればいいのかの新たなテーマを創り出し、問い続けることが、私たちには求められているのです。
テクノロジーの発展が既存の人間の仕事を奪うのは、いつの時代も同じです。だからこそ、自分で問いを見つけ、テーマを作る力が求められています。そして、テクノロジーを駆使していち早く最適解を求め、次のテーマを生みだし、その答えを導くことで、新しいビジネスが生まれ、新しい役割や仕事が生まれます。私たちは、そうやってテクノロジーと共存し、さらに豊かで魅力的な社会を作ってゆくことができるのです。
- 手段に翻弄されてはいないでしょうか?
- 新しいことに取り組んでいますか?
- 新しい問いを発していますか?
時代のスピードが加速度を増すなか、わずかな躊躇が圧倒的な社会的価値の格差となってしまうことを覚悟しておくべきです。この3つの問いは、エンジニアだけに向けたものではありません。誰もが、この3つを問い続けなければならない時代に生きているのです。
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2022年10月3日紙版発売
2022年9月30日電子版発売
斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー
神社の杜のワーキング・プレイス 8MATO
8MATOのご紹介は、こちらをご覧下さい。