企業は当然のこととして、売上や利益を伸ばすことを目指してきました。DXもまた、そのための取り組みであると考えている人たちも多いように思います。このように考えるのは、「経済成長は無際限に続く」という暗黙の了解が、あるからかも知れません。
2021年の世界経済フォーラム(通称、ダボス会議)のテーマは、「グレート・リセット(Great Reset)」でした。これまでの社会や経済の仕組みや常識を、いったんすべてリセットしようという宣言です。
この言葉が初めて登場したのは、リーマンショック後の不況の中で、アメリカの社会学者であるリチャード・フロリダが、同名のタイトルの著書を出版したことがきっかけで、その後注目されるようになりました。
それが、2021年のダボス会議で改めて取り上げられたのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行にあります。世界的な未曽有の危機の襲来に、これまでの社会や経済の仕組みや常識では対応しきれないとの危機感が、背景にあります。
「経済成長は無際限に続く」という考え方も、まさにグレート・リセットしなくてはならない幻想です。考えてみれば当たり前のことですが、資源の枯渇や環境破壊を無視した経済発展は、もはやあり得ません。事実、過去半世紀に遡って、OECD加盟国の経済成長率は、下降トレンドにあり、G7各国の労働生産性も同様の傾向を示しています。
1990年代のインターネット、2000年代のクラウド、2010年代の第3次AIブームといったイノベーションが登場しているにもかかわらず、この下降トレンドが逆転することには、寄与していないのです。
これらイノベーションを巧みに事業に活かし、自らもイノベーションを生みだして、時代を牽引しているのが、GAFAMなどのBig Techやデジタル・ネイティブ企業です。彼らの華々しい業績が注目されますが、だからと言って経済成長の下降トレンドが上昇に転じたわけではありません。彼らは、デジタル・ディスラプター(デジタルを武器にした破壊者)となって、既存の業界や企業を破壊し、プレーヤーを入れ替えているに過ぎません。
彼らは、デジタルで既存事業の制約を解消し、圧倒的なスピードでアップデートを繰り返すことで、顧客の体験価値を高め続けています。そんな彼らのスピードに追従できず、旧態依然とした価値から抜け出せずにいる企業が、顧客から見放され、置き換えられているのです。
もちろん既存の事業を抱える企業が、手をこまねいているわけではありません。DXなどと言う言葉が注目されるのも、そんな変化を感じ取っているからでしょう。しかし、そのアプローチの仕方やスピードには、大きな違いがあります。
既存の事業を抱える企業は、自分たちがいまやっていることをデジタルに適用させようと考え、しっかりと計画を立てて失敗しないように慎重に対応を進めています。しかし、デジタル・ネイティブ企業は、デジタルを前提に既存事業を再定義し、作り変えようとしています。それも、圧倒的なスピードで試行錯誤しながらです。当然、失敗前提で、市場と対話しながら、改善を繰り返しています。
既存市場の成長に頼れないわけですから、「既存事業を活かしてデジタルに適用させること」ができても、事業を成長させることは難しいでしょう。デジタル・ネイティブには、前提となる既存事業がありませんから、何の気兼ねもなく、「デジタル前提に既存事業を再定義し、作り変えること」をめざし、圧倒的なスピードで、既存のプレーヤーを置き換えているわけです。
DXに取り組むことを多くの企業が標榜していますが、その多くは、しっかりと計画を立てて、「既存事業を活かしてデジタルに適用させること」を目指しているように見えます。そんなことでは、デジタル・ネイティブに取って代わられます。圧倒的なスピードで試行錯誤を繰り返しながら、「デジタル前提に既存事業を再定義し、作り変えること」をめざすべきです。そうやってデジタル・ネイティブたちと互して戦える能力を獲得することが、DXの目指す「あるべき姿」ではないでしょうか。
「経済成長は無際限に続く」という前提が崩れてしまった以上、企業がまず目指すべきは、生き残ることではないかと思います。破壊的な競争力を持つデジタル・ネイティブに置き換えられることがないように、彼らと同等のスピードで、自分たちのビジネスを再定義し、作り変えることです。DXとは、そのための取り組みと考えるべきでしょう。そうやって生き残ることができて、結果として、成長することができると考えるべきでしょう。
しかし、これは、多くの日本企業にとっては、これまでの常識の転換を迫られる一大事です。その背景にあるのは、「失敗を許容しない文化」と「正解はあるものとの思いこみ」ではないかと考えています。
「社会環境が複雑性を増し将来の予測が困難な状況」すなわちVUCAの時代は、「正解がない時代」とも言われています。これをもう少し正確に言えば、「予め用意しされた正解はなく、自分たちで創らなくてはならない」ということです。しかし、日本の企業は、明治の文明開化と戦後の復興の両方に言えることですが、先行した欧米諸国を真似て、彼ら以上に巧みにそれを実践し、成功を積み上げてきた歴史を背負っています。つまり「予め正解があって、それをまねして改善すればうまくいく」という成功体験があるのです。
VUCAの時代になり、社会の変化が速く、しかも、テクノロジーの進化によって、いままでの常識が通用しない時代になったにもかかわらず、いまだこの成功体験に引きずられているのが、日本企業の現実のように見えます。自分で正解を創るのではなく、「先行する他社の事例を真似て自分たちに合わせて改良する」ことで、なんとかなると考えているように見えるのです。「失われた20年」は、こんな過去の成功体験から抜け出せなかった20年だったのかも知れませんし、このままでは、「失われた30年」になってしまうかも知れません。
事実、こういうことを講演や講義で話をしたあとで、受講者から、他社の成功事例を教えて欲しいと聞かれることがよくあります。自分の話力の至らなさに、反省しきりですが、「正解はあるものとの思いこみ」は、実に根深いことを思い知らされます。
正解は、自分たちで創らなければなりません。それが正解かどうかは、実際にやってみなければ、分かりません。当然失敗の確率は高くなります。しかし、失敗をすればペナルティを化せられるような企業では、チャレンジは容易なことではありません。
予め正解が用意されてた時代は、先行事例をよく研究し、失敗しないようにリスクを排除することもできました。それができる人、つまり失敗せずに業績を伸ばしてきた人が評価され、高い地位を得てきました。一方で、失敗は能力のなさを意味し、失敗しないように、慎重に取り組むことが、美徳であるとされてきたのです。
このような過去の価値観を引きずったままでは、新しいことに取り組むことを躊躇し、スピードを加速することもできません。そうやって、デジタル・ネイティブたちに差を広げられていくわけです。
DXは、企業文化の変革だと言われていますが、まさにこのような、過去の成功体験に裏打ちされた企業の文化や組織の風土を変革しなければ、いくら最先端のデジタル・テクノロジーを駆使しても、生き残るために必要な新しい取り組みは容易ではないでしょうし、なによりも時代が求める圧倒的なスピードが得られません。
デジタルが前提の社会になり、ビジネスの主役がモノからサービスへと変わりつつあります。かつてのように、均質な労働力を集め、規律や規則によって統率し、同じ方向に向かわせることでは、事業価値を産み出せなくなりました。従業員個々人の多彩な能力を最大限に引き出し、失敗を許容しつつ現場に大幅に権限を委譲して、圧倒的なスピードで試行錯誤を繰り返すことが、生き残るための前提です。
そのためには、企業は売上や利益の成長を優先させるのではなく、環境や社会に貢献し従業員の多様な才能を発揮できる労働環境の実現を優先し、社会からも、従業員からも必要とされる企業を目指すべきではないでしょうか。
このような企業に変わることが、DXの目的です。デジタル・テクノロジーを使うことは、そのための手段であり、目的ではありません。
DXというお題目を掲げ、デジタルで、何か新しいことを始めることに囚われすぎてはいないでしょうか。以前、このブログで紹介しましたが、新しいことを始めるためには、まずは『いま』を終わらせなくてはなりません。そのための取り組み無くして、変革などあり得ないのです。
DXとは、成長のための施策ではなく、生き残るための施策である
そんな前提に立って、自分たちのDXを改めて見直してはどうでしょうか。もちろん、そのことを十分に分かって取り組んでいる企業もありますが、もしそうでないとしたら、自分たちの取り組むDXの目的を改めて問い、実践のあり方を見直すことをおすすめします。
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斎藤昌義 著
A5判/384ページ
定価2,200円(本体2,000円+税10%)
ISBN 978-4-297-13054-1
目次
- 第1章 コロナ禍が加速した社会の変化とITトレンド
- 第2章 最新のITトレンドを理解するためのデジタルとITの基本
- 第3章 ビジネスに変革を迫るデジタル・トランスフォーメーション
- 第4章 DXを支えるITインフラストラクチャー
- 第5章 コンピューターの使い方の新しい常識となったクラウド・コンピューティング
- 第6章 デジタル前提の社会に適応するためのサイバー・セキュリティ
- 第7章 あらゆるものごとやできごとをデータでつなぐIoTと5G
- 第8章 複雑化する社会を理解し適応するためのAIとデータ・サイエンス
- 第9章 圧倒的なスピードが求められる開発と運用
- 第10章 いま注目しておきたいテクノロジー