私が、教育学を学んでいた大学時代、著名な児童教育の研究家である金沢嘉市(かなざわ かいち、1908年10月2日 – 1986年10月10日)氏の講演を伺った。
何を話されたのかは記憶にないが、私が次のような質問をしたことは覚えている。
「そんな理想論で、現実の教育など、できるのでしょうか?」
頭でっかちな学生だった。いま思えば、赤面モノだ。そんな質問に、彼が次のように答えてくれたことを、いまも鮮明に覚えている。
「理想を目指さずに、教育は、何を目指せて言うのですか?」
いまでも、この言葉が脳裏に焼き付いている。私は教師にはならなかったが、この言葉は、私の人生において、何かに迷ったときに行き先を示してくれる言葉になったように思う。
あれから40年の歳月が流れた。未だ理想を描けてはいないが、ふり返れば、「理想」を「あるべき姿」と読み替えて、それを考え、人前で語っている自分がいる。これは、何かの因縁なのかも知れない。
「理想」と「現実」とのギャップが拡がった歴史的背景
大学を出てからこの方、ずっとITに関わる仕事をしてきたが、いま「理想」と「現実」とのギャップが、かつてないほどに拡がっていると感じている。その歴史的経緯について、整理すると次のようになるだろう。
1980年代のIT(当時、ITという言葉なく、コンピューターが同様の意味を担っていた)は、ユーザーのニーズに先行していた。新製品が登場する度に、「そこまでは必要ない」や「まだ先の話だ」という顧客の抵抗を翻意させ、高額の大型コンピューター(いまのメインフレーム)を買ってもらうのが、当時の私の仕事だった。当時の情報システム部門は、それだけのお金を動かせる力と新しいことに取り組んでいるという自負を持っていたように思う。
この状況が変わり始めたのは、1980年代の半ばを過ぎたあたりからであろうか。ミニコンやオフコン、エンジニアリング・ワークステーション、パソコンなどの小型で安価なコンピューターが事業部門の判断で導入されるようになった頃だろう。
「小型で安いコンピューター」という新興宗教のご神体が、「高額な大型コンピューター」という伝統宗教のご神体の御利益に疑問を投げかけるようになった。そして、「ダウンサイジング」というムーブメントが、時代の流れとなり、何でも「大型コンピューター」から、「小型コンピューター」との役割分担が急速に進む。
結果として、情報システム部門は、全社で共通して使う基幹業務やネットワーク基盤に専従し、各事業部門は、自分たちの業務で必要とするコンピューターを、自分たちの事業投資として切り離して導入するようになった。現場の業務と情報システム部門の間に、溝ができはじめたのは、この頃に遡れるかも知れない。そんな時代を背景に、コンピューターを独占していた情報システム部門の存在感は弱まり、コンピューターの民主化とでも言うべき、広がりを見せることになる。
このような変化の中で、ユーザー・ニーズやアプリケーションは多様化し、さらに高い機能や性能のコンピューターを求めるようになり、その発展が加速される。つまり、ユーザーのニーズが、コンピューター技術の発展を追い越すようになった。
この変化をさらに加速したのが、「コンピューター」を「IT」と言い始めた頃、たぶん2000年代にさしかかる頃ではなかっただろうか。インターネットの普及をきっかけに、ITの民主化はさらに進み、その用途は、爆発的に多様化し、ハードウェアやソフトウェアもまた、劇的な発展を遂げる。
さらに、インターネットの上の「サイバー・スペース」という新しい社会や経済の基盤が影響力を持ち始めるようになった。ITは、企業やユーザーのニーズに応えるだけではなく、このITの進化をうまく活かせるビジネスはなにかという、異なる入口の議論が増えてゆく。
つまり、既存のユーザー・ニーズに応えるITと、新たなユーザー・ニーズを生みだすITという2つの入口が、明確に意識されるようになる。2007年のiPhoneの登場は、後者の象徴的な出来事であろう。
これは、何も対立する関係ではない。ユーザー・ニーズとITが、相互に影響を与えながら、適用範囲を拡げ、技術も発展するという好循環を生みだす原動力となった。
インターネットが時代の変化を加速する
インターネットのさらなる普及は、この循環のスピードに、これまでとは桁が違う加速度を与える。それは、情報の伝達速度が速まったことだけではない。「集合知」、あるいは、「集団的知性(Collective Intelligence、CI)」が、大きな力を持つようになったことだろう。
「集団的知性」とは、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見えることを表す言葉だ。巨大なインターネット・コミュニティが作る集合知が、技術の進化や多様性の拡大を、これまでにない速さで拡大させた。オープンソースやクラウド・サービスの急速な普及や発展は、この「集合知」の賜であろう。
昨今、「VUCA(社会が複雑になり、不確実性が高く将来の予測が困難な状況)」や「不確実な時代」、「正解のない時代」などと言う言葉が盛んに使われるようになったが、「集合知」そのものの多様化が、社会の多様性を推し進め、変化を加速していることも、背景のひとつであろう。
加速する変化に対応すべく進化するITトレンドと内製化
いまのITに関わる様々なテクノロジーやメソドロジーは、こんな時代に対処すべく製品やサービスを発展、普及させている。つまり、「多様性と変化の加速」が、「計画通り」は困難という現実を生みだし、ならば「変化を積極的に受け入れ、その結果から直ちに学び、高速に改善を繰り返し、最適を維持するIT」という「理想」を掲げているわけだ。アジャイル開発やDevOps、コンテナやサーバーレス、マイクロサービス・アーキテクチャーなどは、その典型であろう。
また、「内製化」の広がりも、これに揆を一にしている。インターネットやIoTの普及により、ビジネスの主役がモノからサービスへとシフトする時代となった。そんなサービスは、ソフトウエアで実装される。つまり、ソフトウエアがビジネスの価値を生みだす時代となった。これは、事業部門が、ソフトウエアの開発や運用、改善を高速に繰り返すことができる能力を持たなければ、競争に勝ち残ることはできないことを意味する。つまり、ソフトウエアは、事業の実態であり、競争力の源泉であると認識されている。内製化の原動力は、そんな事業現場のニーズに支えられている。
「理想」と「現実」のギャップが人材の流動化を加速する
この変化を日本では、極めて特異で唐突と受け取る人たちもいる。しかし、米国では、ユーザー企業が内製するのは普通のことで、この変化はとても自然なものと受けいれられている。一方、日本では、ITは効率化の手段、システムの開発や運用は外注という、常識がひろく定着している。
ただ、インターネットの影響力が、拡大する中で、ビジネスはかつてなくグローバル化し、日本ローカルな価値観や慣習の中で、ビジネスを閉じ込めておけなくなったいま、ITもまた、そんな時代の常識に晒されている。
コロナ禍は、そんなITの自然の潮流をはっきりと浮かび上がらせた。例えば、リモートワークやクラウド・サービスの利用拡大、これを支えるゼロトラスト・ネットワークは、コロナ禍以前からの潮流であり、目新しい話しではない。しかし、日本では、そんなITの「あるべき姿」よりも、枯れた「現状」を維持しようとするモーメントが強く働いていたので、結果として、先送りにされてきたわけだ。
その背景にあるのは、先にも述べた、情報システム部門が、ビジネスの最前線から離れてしまい、基幹業務やシステム基盤に専従するようになったことだろう。彼らのミッションは、「高品質×安定稼働」であり、新しいことは、大きなリスクになるから、どうしても慎重になる。しかも、「高品質×安定稼働」がデフォルトであり、それがどれほど大変なことであっても評価されることはなく、トラブルが起これば直ちに減点評価されてしまう。結果として、枯れた「現状」を維持しようとするモーメントが強く働くのは、仕方がないとも言える。
本来ITは、新しいほどコスパがいい。これは、機能や性能、セキュリティなど、新たなユーザー・ニーズに対応して、まずは外付けで様々な製品やサービスが登場するが、やがてはそれらがビルド・インされて、製品やサービスに組み込まれ、ユーザー・ニーズに応えようとするからだ。つまり新しいほど、追加投資を必要とせずに、より高いスペックを使えるようになるわけだ。
情報システム部門やCIOは、このようなITのDNAに組み込まれているメカニズムを事業に活かすことが、本来的な役割であろう。しかし、日本の場合、ITの専門集団であるはずの情報システム部門は新しいことには消極的であり、事業部門との壁も高いので、このメカニズムがうまく機能しない。そのことが、IT利用の後進性を生みだす背景にあるのだと思う。
ITベンダーやSI事業者は、情報システム部門が主な顧客である場合が多い。そうなれば、自ずと同じ価値観や思考プロセスを共有するようになるのは、必然であろう。
コロナ禍は、この現実が、時代の潮流から大きくずれていることを際立たせた。ただ、見方を変えれば、新しい常識に取り組むことに、お墨付きを与えたわけだから、大いに歓迎すべきことだ。しかし、既にしっかりと上記のような感性が染みついてしまった組織にとっては、かなりのストレスとなっているのではなかろうか。
優秀な人材は、そんな時代の変化をいち早く察知し、他の人たち以上に自社と世間のギャップを強いストレスと感じ、いたたまれなくなるだろう。優秀な人材の流出は、そんな理由があるように思う。ただ、これは、社会の変化に適応して、企業の淘汰がすすむことでもあり、決して悪いことではないように思う。ただ、経営者としてみれば、優秀な人材が流出する側か流入する側かは、経営の根幹を左右する大きな問題となるだろう。
「理想」と「現実」のギャップを埋める3つの実践
このような状況から抜け出すために、次の3つを実践してはどうだろう。
言葉遊びに終始せず本質に向きあう
「既存のユーザー・ニーズに応えるITと、新たなユーザー・ニーズを生みだすIT」
先にも述べたが、ITの役割は、この2つに帰すると思う。ところが、新しい言葉が登場すると、この2つの原理原則が棚上げされて、新しい言葉を使って自分たちを修飾することで、自己満足というか、自己アピールというか、カタチを作る、見せることに翻弄されてしまう。
例えば、あるSI事業者は、「お客様のDXに貢献します」と世間には宣言するのだけれど、DXの解釈は現場に委ね、しかも「DX事業」や「DX案件」を受注せよと一定割合の達成目標を設定する。
何がDXかが示されないわけだから、それぞれの現場が都合よく解釈し、既存の案件の中から「DXぽい」事業や案件を選び出し、「DXやってます」と宣言する。そんな言葉遊びに余計な負担を強いられている企業もあると聞く。
「DXとは何か」や「DXの定義」を知りたいという人も多い。新しい言葉への知的好奇心は、大切なことだが、「自分たちにとっての何のため」という自分事を突き詰めることなく、言葉の解釈が与えられただけで満足してしまう人も多い。
DXに限った話しではない。クラウドやAIといった言葉も、その解釈を知ったところで、「自分たちにとっての何のため」といった、自分たちの目的や価値、あるいは本質を突き詰めないままに、「言葉を使うこと」に終始してしまってはいないだろうか。
言葉はとても大切だが、それは、本質を極めるための入口にすぎない。入口だけで、奥に入ろうとせず、それで分かった気になっただけでは、成果は得られない。
「理想」というのは、誰かが与えてくれるものではなく、自分が描くものだ。そして、その「理想」は、「ビジネスの成果」という「現実」に立脚していなくてはならない。
「既存のユーザー・ニーズに応えるITと、新たなユーザー・ニーズを生みだすIT」
DXであろうが、AIであろうが、そんな言葉に拘りすぎず、この原点に立ち返って、いかなる成果を達成しうるかを考えるべきだろう。
結果として、うまくいけば、それにDXとかAIとかの冠を掲げればいいではないか。どうも、現実はこれが逆転していて、先に冠を掲げようとする。それにふさわしくなろうと取り組むのであればいいが、言葉を掲げて満足しているようにも見える。これでは、ITの「理想」と「現実」のギャップを埋めることは難しい。事実、お客様の「DXに貢献します」といいながら、いまだPPAPやVDI、VPNが標準というのは、その典型であろう。
新しい情報を実践して手に入れる
「集合知」という言葉について紹介したが、これを活かしているだろうか。
「集合知」を手に入れる、あるいは、うまく使うためには、自分で手を動かして「試してみる」ことだ。例えば、新しいクラウド・サービスがリリースされると、好奇心旺盛な連中が、実際に使って、ああでもない、こうでもないとコミュニティが盛り上がる。こうすればうまくいく、この点については注意が必要だと、自分の仕事でもないのにお節介を焼き始める。そういう仲間のひとりとして参加することが、集合知を手に入れる最善の手段だ。
エンジニアに限った話しではない。ブログで発信する、社内外のイベントで発表する、お客様に提案するなど、行動に移せば、それが起点となって、まわりが賑やかになり、規模はいろいろあるだろうが、「集合知」が生みだされていく。
自分がアクションを起こし、失敗も成功も積極的に発信・共有すれば、人のつながりがうまれ、たくさんの新しい情報が、人づてに手に入る。検索して探しても手に入らない「実践知」だ。
新しい情報は、直ぐには「役に立たない」ものがほとんどだ。しかし、そういうことに、興味を持ち、かかわり続けることで、世の中の大きな潮流が見えてくる。それこそが、新しい情報を手に入れる醍醐味であろう。
これが日常の習慣となれば、ITの目指す「理想」など、意識することなしに自分に染み込んでいく。そんな常識力で世の中を眺めれば、「理想」と「現実」のギャップは自ずと見えてくる。これをどう埋めるかが、ビジネスのチャンスを生みだす原動力になる。
個人の学びを組織の学びにする
ITの理想、あるいは、時代の変化を機敏に感じ、実践を通して学んでいる人たちは、どこの組織にも少なからずいる。しかし、そういう「個人の学び」が、なかなか「組織の学び」にならない。それは、心理的安全性が欠如しているからではないか。
正しいこと、あるいは、世間の常識を主張すると「罰」を与えられる組織では、学びは個人に留まってしまう。例えば、「君の言うことも分かるけど」や「そんなことを言い出すと困るひとたちもいるからなぁ」と、優しく咎めることも立派な「罰」であろう。これでは、積極的に発言することを躊躇させてしまう空気が生みだされてしまう。これもまた、心理的安全性を低下させている。
こんな空気が蔓延すると、組織として議論し、切磋琢磨し、組織力を改善、向上させるといった動きは起きにくい。つまり「個人の学び」が「組織の学び」にならない。これが「理想」と「現実」の乖離を生みだす原因となる。
例えば、PPAPが、どれほどセキュリティ・リスクを高める行為であるかが分かっている個人は沢山いても、それは、自分の担当ではないからと黙っている人たちが多いのも、心理的安全性の低さであろう。個人では分かっていても、それを言えない雰囲気が、組織の学びを停滞させる。
こんなことを放置しておくと、「学ぶ個人」は、「学ばない組織」に見切りをつけて、転職してしまう。結果として、「学ばない個人」と「学ばない組織」が温存され、ますます「理想」と「現実」の乖離が拡がる悪循環を生みだす。
「心理的安全性」は、決して所与のものではない。意識して、努力して、育ててゆくものだ。そういう自覚が、まずは大切であるように思う。
いまの常識に近づくことにひたむきになる
「既存のユーザー・ニーズに応えるITと、新たなユーザー・ニーズを生みだすIT」
このITの目的は変わらなくても、手段としてのテクニカルな「理想」は、時代とともに変わり続ける。つまり、「理想」を追い求めるとは、時代の求める「理想」に適応するために変化し続けることだとも言える。
いま「理想」と「現実」とのギャップが、かつてないほどに拡がっている
冒頭でこのように述べたのは、変化のスピードが速くなったことが背景にある。それにもかかわらず、時代の変化に無頓着、あるいは、意識的に避けているのかは分からないが、そういう企業が、ますます「理想」と「現実」とのギャップを拡げてしまう。
そんな現実を棚上げし、「DX」を看板に掲げて、自分たちは、時代を先取りしているとアピールしても、張り子の虎のように見えてしまう。
そろそろDXの大騒ぎは辞めようではないか。そんな化粧まわしで飾り立てるのではなく、いまの時代にふさわしい「理想」を真っ当にできる企業になることだ。
難しいことではない。自分たちの非常識を世間の常識に近づければいいだけのことだ。できない理由を並べる前に、まずは、この「現実」を受け入れることだろう。
変化のスピードはますます加速する。そのスピードに追いつくことだ。DXとは、そんないまの時代のスピードに同期できる行動様式や企業の風土を手に入れるための変革である。自分たちができもしないのに、「お客様のDXに貢献します」などと言うのは、あまりにもプライドがなさすぎる。
「理想」と「現実」とのギャップに真摯に向きあうこと、そして、世の中の常識に近づくことだ。そんな基本に立ち返ることから、自分たちのビジネスを見つめ直してはどうだろう。次のシナリオが、そこから見えてくるのではないか。
次期・ITソリューション塾・第40期(2022年5月18日 開講)の募集を始めました。
コロナ禍は、デジタルへの世間の関心を高め、ITへの投資気運も高まっています。しかし、その一方で、ITに求められる技術は、「作る技術」から「作らない技術」へと、急速にシフトしはじめています。
この変化に対処するには、単に知識やスキルをアップデートするだけでは困難です。ITに取り組む働き方、あるいは考え方といったカルチャーを変革しなくてはなりません。DXとは、そんなカルチャーの変革なしでは進みません。
ITソリューション塾は、ITのトレンドを体系的に分かりやすくお伝えすることに留まらず、そんなITに関わるカルチャーが、いまどのように変わろうとしているのか、そして、ビジネスとの関係が、どう変わるのか、それにどう向きあえばいいのかを、考えるきっかけになるはずです。
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そんな彼らに、いまのITやデジタルの常識を、体系的にわかりやすく解説し、これから取り組む自分の仕事に自信とやり甲斐を持ってもらおうというものです。
【前提知識は不要】
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コロナ禍で、ビジネス環境が大きく変わってしまい、営業のやり方は、これまでのままでは、うまくいきません。案件のきっかけをつかむには、そして、クローズに持ち込むには、お客様の課題に的確に切り込み、いまの時代にふさわしい解決策を提示し、最適解を教えることができる営業になることが、これまでにも増して求められています。
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未来を担う若い人たちに道を示す
新入社員以外の若手にも参加してもらいたいと思い、3年目以降の人たちの参加費も低額に抑えました。改めて、いまの自分とこれからを考える機会にして下さい。また、人材育成のご担当者様にとっては、研修のノウハウを学ぶ機会となるはずです。教材は全て差し上げますので、自社のプログラムを開発するための参考にしてください。