「来年度からDX事業を推進する組織を立ち上げる予定です。」
ある、中堅SI事業者の方からそんな話を伺った。そこで、どんな取り組みをするのかを尋ねてみた。
「AIベンチャーと組んで、新しい事業を始められないか、考えています。」
このような残念な「DX推進組織」の話しは、この会社だけではない。取っ付き易いことでカタチばかりの「DX事業」なるものを、世間体、あるいは、経営者の体面のために、行おうとしているように思えてならない。
これまでも何度も述べてきたが、「DX」とは、「ビジネスの変革」に他ならない。サーバーレスやコンテナ、ローコードやノーコードなどの開発に関わる工数を減らす手段が普及し、構築や運用そのものをなくすクラウド・サービスやOSSも充実しつつある。
つまり、工数をかけずに事業の目的を達成するためのITサービスを実現できる環境が、整いつつある。これは、工数需要に頼る事業モデルが危機に瀕していることを意味している。この危機的な事業モデルを変革することこそが、SI事業者の生き残りの鍵であり、それこそが、SI事業者の取り組むべきDXではないのか。
内製化の拡がりは、このような「工数や手間をかけなくてもITサービスを実現できる技術やサービス」、すなわち「作らない技術」が、充実してきたことが背景にある。
「SI事業者に頼らずとも自分たちでできるのだから、工数の提供は不要です。私たちにできないことがありましたら、助けてくださいね。」
こういうことになっているわけだ。しかし、ユーザー企業に「私たちにできないこと」があっても、SI事業者もまたそれができないので、ビジネスの機会を逸している。
「AIベンチャーと組んで、新規案件を開拓したい。」
SI事業者の立場で考えれば、情報システム部門にしか顧客チャネルを持たず、このままでは、ビジネスの伸び代がない。ならば事業部門に直接のチャネルを持っている、AIベンチャーに、新たな顧客チャネル開拓を頼ろうというわけだ。
これは、AIベンチャーにとっては、迷惑な話しだろう。SI事業者に頼らなくても、十分に仕事になっている。SI事業者のために、なぜ自分たちのリソースを割かなくてはならないのかと思うだろう。しかも、契約や手続きに多大の手間をかけ、しかもマージンも取られる。もし彼らと組むことに、然るべきメリットがあるのならばそれを示して欲しいが、そんなものはなく、あくまで彼らの都合である。果たして、そんなSI事業者と組むことに価値があるだろうか。
加えて、「時間感覚」の違いは、決定的だ。根回しをして、稟議を通して、1ヶ月、あるいは数ヶ月かけなければ何も決められない時間感覚の企業と組む余裕など彼らにはない。限られた優秀な人材を効率よく回さなくては生き残ることができない彼らが、そんな時間感覚に合わせている体力も資金もないのである。
彼らは、「下請け」ではない。むしろ、自分たちにないところを補ってくれるパートナーである。それにもかかわらず、自分たちに比べて歴史も浅いベンチャーを「格下」とみなし、こちらのやり方に従えといった態度を彼らはどう思うだろうか。そういうのが嫌だから議業したり、転職したりした連中が集まっているのがベンチャーなのだと言うことを、理解しておく必要があるだろう。
では、SI事業者の「DX事業推進」組織は何をすればいいのだろうか。そこには、2つの役割があるだろう。ひとつは、「お客様のDXの実践を支援する」ことであり、もうひとつは、「自社のDXの実践を推進する」ことだ。この両者は、目指すべきゴールは違うにしても、結局は同じことをやらなくてはならない。
「お客様のDXの実践を支援する」ことは、ひと言で言えば、「内製化支援」であろう。DXとは、ビジネスを変革することであるとすれば、その担い手は事業部門である。事業部門は、自分たちのビジネスの変革、すなわち、「デジタルを武器に競争優位を確立する」ために、ビジネス・モデルやビジネス・プロセスの変革に取り組んでいる。その取り組みは、予測できない社会環境や顧客ニーズの変化に俊敏に対処するための圧倒的なビジネス・スピードを要求される。このような取り組みは、外注に頼ることはできないから、内製にするしかない。そんな取り組みを支援することが、「内製化支援」である。
そのためにITの専門家に期待するのは、「作らない技術」の専門家だ。圧倒的なビジネス・スピードを手に入れるためには、できるだけコードを書かずにビジネス目的をいち早く達成することにある。そのための専門家はいくらでも欲しいはずだ。ここに、「内製化支援」ビジネスのチャンスがある。
そのためには、そういう人材を社内で育てる必要がある。これが、「自社のDXの実践を推進する」ことだ。そのために先ず取り組むべきは、「自社の非常識な仕事のやり方を世の中の常識に合わせる」ことだ。
前述したSI事業者であるが、書類をPPAP(zip暗号化して添付し後でパスワードを送る)で送ってきたのだが、それは、セキュリティ・リスクを高める行為なので受信できないと断ると、基本的には自動的にPPAPにされてしまうので、普通はこれでやっているという。ならば、このファイル共有サービスを使って欲しいということで、受信することになったのだが、それが会社独自の仕組みで、なんとも使い勝手が悪い。
こちらから、ファイルを送るときDropboxを使ったら、それは受け取れないという。Box、Google Drive、One Driveのいずれかではどうかと聞くとそれもできないという。自社の仕組みを使ってくれと言う。これがまた使い勝手が悪いので、仕方なく、こちらで自社のサイトにダウンロード用のページを立ち上げてそれでダウンロードしてもらった。
本来セキュリティ対策とは、「安全や安心を担保しながらITの利便性を最大限に享受するための対策」であろう。それを利用者に意識させ、負担を強いるセキュリティ対策で「やってますよ」をアピールするだけになっている。ダウンロード・ページを第三者が作り、そこからなら自由にダウンロードできるという危険極まりないことを許しておいて、真っ当なセキュリティ対策をやっているとは到底思えない。
たぶん、この会社にも、素人の私以上に常識をわきまえている人たちがいるはずだ。しかし、組織の壁を越えて余計なことを言えば、波風が立ち調和を乱す。だから、正しいと分かっていても、それを呑み込んでしまう組織の風土があるのだろう。つまり、「心理的安全性」が担保されていないということだ。
「自社のDXの実践を推進する」とは、まさにこのような企業の文化や風土を変えることだ。そのためには、「自社の非常識な仕事のやり方を世の中の常識に合わせる」こと、つまり、世間が当たり前に使っていて、その利便性を享受しているサービスやツールを、自分たちも使えるようにすることだ。また、そういう意見を聞く耳持ちを、「心理的安全性」を醸成することだろう。それこそが、「DX推進組織」の役割である。
ソースコードの管理を、自社独自のシステムに頼っているのなら、GitHubやGitLabなどのデファクト・ツールを使えるようにすることだ。コミュニケーションを電子メールに頼っているのならSlackやTeamsに変えるべきだろう。プロジェクト管理をExcelに頼っているのなら、TrelloやRedmineなどを使うべきだ。
当然、お客様の内製化チームは、このような「常識」を“使っている”のだから、彼らと仕事をしたければ、自分たちもその常識に従うべきだ。しかし、現実には、社内ネットワークからは、プロキシーに阻まれて使えない。
また、「圧倒的なスピード」のためには、どこからでもこのようなサービスを利用でき、お客様と一緒に仕事ができなくてはならない。しかし、社内ネットからは利用できないし、ガバナンスのために個人PCもつかえないとなるとどうすればいいのだろう。
ならば、許可されたひとだけが、VPN+FW+VDI経由で使えるようにしている企業もあるが、この使い勝手の悪さは、言うまでもない。これがエンジニアたちの生産性やモチベーションを下げている。
自分のお気に入りのPCで、社内外に関わりなく、どこからでも利用でき、様々なサービスを自由に使えるようにすることだ。そのためには、VPN+FW+VDIを使わなくても、ガバナンスやセキュリティが担保できるゼロトラスト・ネットワークあるいは、それを前提としたセキュリティ対策を行うべきは必然だ。
このような「常識」を使いこなすことは、それらが作られた背景、すなわち、いまの開発や運用の前提となっている思想や文化を体験的に知ることにもなる。それがきっかけとなって、企業の風土や文化にも変えることに寄与するだろう。
「新車が出ました。良いクルマなんですよ。是非、ご購入を検討頂けませんか?」
自動車ディーラーの営業が、笑顔で売り込みにやって来た。
「それはいい!丁度、乗り換えようかと考えていたところなんだ。ところで、実際に乗ってみての感想を聞かせてくれないだろうか。」
「すいません。私は免許がなくて、車を運転でないので・・・でも、良いクルマなんですよ。本当です。」
そんな営業から、クルマを買おうとは思わない。
自らが世の中の常識を使いこなせず、お客様に何を提供できるのだろう。それは単に、製品やサービスの知識やスキルだけではない。その背景にある思想や文化も、併せ持っていなければ、まるで説得力がない。何よりも、お客様のビジネスの変革に、貢献などできないだろう。
SI事業者として、「DX事業」を推進したいのであれば、まずは自分たちの常識を世間の常識に合わせることだ。それこそが、「自社のDXの実践を推進する」こととなる。その体験を通して、身体にすり込んだ文化や風土ともに、「お客様のDXの実践を支援する」ことが、SI事業者のDX推進ではないのか。