自分で学べる人たちと、そうでない人たちの社会的格差が、ますます広がってゆく。
いまさらの話しであるけれど、コロナ禍は、この状況をさらに加速することになるのだろう。
かつて、新卒一括採用で、規律やルールによって均質な「労働力」に育て上げてゆくことが、企業を成長させる基盤だった。組織階層による統制で、そんな彼らをうまく使いこなしてゆくことが、管理者の役割でもあった。
「労働力」を事業価値に転換することが、事業価値の源泉だったわけで、SIビジネスは、まさに、そんなこれまでのビジネス・スタイルの、ひとつの完成形と言えるかもしれない。
しかし、クラウド・サービスの充実やテクノロジーの進化は、「労働力」よりも「知識力」が、事業価値を生みだす時代へと変えつつある。「組織力」を動員し、人手をかけなくても、ITシステムを実現できるようになったからだ。
「知識力」を身につけた人たちは、そうでない人たちに比べ、何倍も、あるいは何十倍も生産性が高い。なぜ、そうなるかと言えば、彼らには、「できるだけ少ないコードでビジネスの目的を達成する」という確固たる信念があり、それを実践しているからだ。
彼らは、先ず図書館に行って、読みたい本を探す。それでも見つからなければ、本屋に行って新著を探す。それらを使って、自分の本棚を満たし、どうしても捜しものが見つからなければ、そこだけは自分で執筆して、理想の本棚を完成させる。
図書館とはOSS、本屋とはクラウド・サービス、それらを駆使して大枠を組み立て、差別化の要となる独自性の高い部分だけは、開発生産性の高いツールやサービス、手法を駆使して、自分独自の本棚であるシステムを仕上げる。
このようなことは、人数を揃えればできることではない。むしろ、それぞれに得意領域を持った、多彩な人たちが、チームでそれぞれの「知識力」を発揮してこそ、「できるだけ少ないコードでビジネスの目的を達成する」ことができる。変化が早く将来が予測できない時代であるいま、そんな高い生産性と圧倒的なスピードなくして、ITはビジネスに貢献することはできない。
「職場は「猛獣園」である」
クレディセゾンのCTOとCIOを兼務する小野和俊さんの著書、「その仕事、全部やめてみよう」に、こんな一節がある。
「チームは2つに分けられる。1つは、同質な人たち「だけ」で構成されるチーム。もう1つは、異質な人たちで構成されるチームだ。」
「前者は、歴史ある日本の大企業でよく見かける。一方で、後者はいつもカオスで環境がめまぐるしく変っていく状況に強い。ITベンチャーは典型だ。」
彼は、多様性に満ち、突き抜けた人材のいるチームを「猛獣園」と呼んでいる。そんなチームが成果を上げるために、褒めあう文化を醸成し、お互いが尊重し合って役割に応じて進めていけばチーム全体が気持ちよく働けるとしている。
彼はよくHRTという言葉を使う。HRTとは、Humility:謙虚な気持ちで常に自分を改善し、Respect:尊敬を持って相手の能力や功績を評価し、Trust:信頼して人に任せることを言う。まさにこれを実践することで、「猛獣園」を事業価値に転換しているのだ。
言うまでもないが、そんな「猛獣園」の猛獣たちは、「知識力」が高いからこそ、猛獣なのであって、型にはまらずクセもある。そういう人たちを許容し、チームとして活き活きと働けるHRTな組織文化があって、彼らはその力を発揮できるのだろう。
あなたの会社や組織は、そんな組織文化を許容できるだろうか。お客様の「DXに貢献する」ためには、まずは、こんなチームを作ることが必要だと思う。
「均質な労働力を提供するための組織力から、多様性に富むハイレベルな専門スキルを持つ個人力へと、ユーザー企業が求める価値は変わっていくだろう。そうなれば、そういう個人をつなぎ止めるだけの魅力を持たなければ、彼らは独立/転職(主には、内製を拡大しようとするユーザー企業へ)してしまう。
そういう人材をつなぎ止め、自分たちの事業資産に変えるためには、ハイレベルなITタレントのマネージメント企業を目指すのは、現実的なアプローチのように思う。」
以前のブログで、このようなことを述べたが、ユーザー企業の内製化が拡大する中、まさに、お客様は、「猛獣」あるいは「猛獣園」の助けを求めている。そんな期待に応えることが、お客様の「DXに貢献する」ことに他ならない。
イノベーションもまた、「猛獣園」から生まれる可能性は高い。「イノベーション」とは、「新しい組合せ」であり、一人の天才が作り出す「インベンション(発明)」と同義ではない。誰もが思いつかなかった、新しい組合せで、新たな価値を創出することだ。つまり、インベンションで生まれた要素も、既に存在している要素も、いろいろと組み合わせることだ。つまり、「知識」と「知識」に新しい結びつきを与えることでもある。
「猛獣園」には、多彩な知識があふれている。その多様性こそが、イノベーションを生みだす環境を整える。
「猛獣」たちは、社内で用意された研修で、知識を身につけたわけではないだろう。あるいは、与えられた仕事の範囲で、スキルを磨いたわけでもないだろう。知的好奇心、あるいは、「面白そうだから」始めたことが、彼らの「知識力」を自ら育ててきたのではないか。
彼らは、会社や組織、上司に言われなくても、自分で実践し、自分で育つ。
- 自らが目指す未来の自分を描く。
- それに向かって、オープンな場も含めて学び、切磋琢磨する。
- それを現業に活かして成果を出す。
- その成果が認められて、得意分野として新たな仕事を(社内であれ社外であれ)得ることができる。
- そんな実践を通じて更に知識が磨かれる。
このサイクルを自ら回せるのが、「猛獣」であろう。
誰もが「猛獣」を目指す必要などないと思うし、そういうのは性に合わないと言う人たちもいるだろう。むしろ、従来のやり方を極め、顧客のニーズに確実に応えるというやり方も、間違っているとは思わない。そんな「達人」の需要が、なくなることはない。
ただ、「達人」になるためにも、与えられた仕事の範囲や会社が与えてくれる研修の範囲で、できるものではない。「自分で実践し、自分で育つ」マインドセットが必要であることは、「猛獣」たちと同じだ。
変化が早く、将来が予測できない社会にあって、もはや企業は、新卒一括採用、年功序列/終身雇用、退職金といった「当たり前」を放棄せざるを得なくなった。企業が社員を雇用するのではなく、企業が自分たちの事業に必要な能力を持った個人に業務を委託するといった雇用形態に変わらざるを得ない。そんな「ジョブ型雇用」の流れは、もはや必然であろう。
そうなると、「長年会社に尽くした」から「出世する」や「昇給する」ことはなく、会社が用意した「ジョブ」すなわち、「仕事の内容と求められる成果、それに対する報酬」に自分でオファーし、「ジョブ」を変えることで、収入や役割を自分で選択することになる。もはや、会社が社会人としての人生コースをお膳立てして、与えてくれることはない。
「なんとも世知辛い世の中になったものだ。しかし、もはや高度経済成長の世の中ではないのだし、ビジネスがグローバルになったいま、世界の常識である「ジョブ型雇用」を受け入れざるを得ないと諦めるしかない。」
多くの人は、そう考えるかも知れないが、たぶん「猛獣」たちは、働きやすい時代になったと、大喜びであろう。そんな彼らの感性こそが、これからの時代にはふさわしいのだと思う。
自分で学べる人たちと、そうでない人たちの社会的格差が、ますます広がってゆく。
冒頭に申し上げたのは、このような社会構造の変化が、進みつつあるからだ。コロナ禍は、あきらかにこの変化を加速している。
こんな社会が、良いとか、悪いとかという話しではない。社会の尺度が変わってしまったのだからしかたがない。つまり、これまでは、「長さ」や「大きさ」で価値を測っていたことを、「重さ」で量りますというようなものだ。100円=1mではなく、100円=1kgにかわるということであり、当然、自分の社会的な価値や成長の評価尺度を変えなくてはならない。これを受け入れるしかない。
個人的なことになるが、最近バイクに再び乗り始めた。学生時代には、それなりに乗り回していたが、それから30年以上、乗ったことがなかった。世間の流行に乗ってのリターンライダーであり、先日久しぶりに乗ったときには、緊張して、肩が突っ張って、1kmごとにエンストする始末である。初日は、極度のストレスと疲労困憊で、もう二度と乗りたくないと思ったほどだ。
しかし、何度か乗っているうちに、エンストは10kmに1回くらいになり、緊張感も薄らぎ、バイク用品ショップのお姉さんに「上手になりましたね」と褒められて、いい気持ちになって、買う気のなかったバイクブーツを買う羽目になった。
新しいことを始めることは、とても楽しいことだと実感している。たぶんこういうのが学びの原動力なのだと思う。
私は、ITが大好きだ。新しいテクノロジーやサービスが話題になると興味をそそられ、情報を探る。私はエンジニアではないが、エンジニアと話をするのが大好きだ。自分にはない感性に触れて、ワクワクするし、もっと知りたいと思う。
頑張って、努力して、情報を収集しているわけではない。仕事に役立ちそうだからと、本を呼んでいるわけではない。楽しいからやっている。そして、それが結果として、仕事になっている。
一方で、そうしないと食べていけないという不安や恐怖もある。だから、情報収集し、資料を作り、発信している。アウトプットをすればするほど、自分の不足に気づき、ヤバいと思い、インプットを増やしているうちに、また好奇心が刺激され、のめり込んで楽しくなっていく。そしてまたアウトプットして、不安になってというサイクルを、日常的に回している。
「イタチごっこ」とも言うし、「鶏が先か卵が先か」でもある。ただ、どちらにせよ、「始めること」だ。バイクに興味を持っても手に入れて乗ってみなければ分からない。クラウドやアジャイル開発だってそうだろう。始めるから「沼にはまる」のだ。
そんな学びが、日常になったら、将来を不安に思うことはない。例え選択したことが、将来価値を失っても、また新しいことを始めることができるからだ。何を学ぶかではなく、学ぶことを楽しめる生き方を身につけることだ。そうすれば、将来の不安などなくなってしまう。