「社員のデジタル・リテラシーを向上させたい。」
そんな趣旨で、事業企業の方から研修のご相談を頂く機会が増えている。そこで、どんな研修を期待されているのかを伺うと、「AIやクラウドとは何か」を教えて欲しいという。あるいは、「セキュリティ」についても話して欲しいという。
私は、このようなご相談を頂くと、次のような問いかけを返すようにしている。
「どのような”あるべき姿”を期待されるのでしょうか。受講者が、AIやクラウド、あるいは、セキュリティについての知識を得て、どんな行動を起こして欲しいですか?」
真っ当な答えが返ってくることは、なかなかない。
世間では、DXが喧伝され、デジタルが分からない人間は、社会人失格であるかのような風潮だ。経営者は、デジタル人材を育成すべしと、現場に発破をかける。人事部門やDX推進を任された組織は、社員のデジタル・リテラシーを向上させなければと、躍起になっている。
「恥ずかしながら、我が社のITについての知識レベルは低く、何も分かっていません。だから、そういう人にも分かるような、研修をお願いしたい。」
これもなかなか難しいご要望だ。ITについての知識が乏しいだけならならまだしも、ITが怖い、あるいは、オレには関係ないと言う人たちまで、救えというのは不可能に近い。
「例えば、”5分で分かるITトレンド”のような動画コンテンツを作って、ヒマなときに見てもらうようにすれば、いいのではないかと思っています。」
こんな話しには、次のような問いを返すことがある。
「誰も“うんこ”を触りたくはないですよね。ITを“うんこ”だと思っている人に、“うんこ”の大切さを説いたところで、そもそも触れたくも見たくもないわけで、いくら“手に取りやすく”なるようにお膳立てしても、きっとそのような動画コンテンツを真剣に見てはくれないでしょう。本当に、そんな人まで、勉強をしてもらう必要があるのでしょうか。彼らに、何を期待されるのですか。」
日本の企業は、伝統的に、悪しき平等主義をよしとする文化がある。もう、そんなことをやっているときではない。スピードとイノベーションを求められるいま、「みんな一緒に手をつないで、ゆっくりと前に向かって歩いていきましょう」なんて、時代遅れも甚だしい。
デジタルが前提の社会になり、企業もまたそんな社会に適応できなければ、生き残ることはできない。ならば、自らも積極的にデジタル技術を駆使して、ビジネス・モデルを変革しなくてはならない。だからDXに取り組むべきだ、ならば全社員のデジタル・リテラシーを底上げしなくちゃいけない。そんな空気が蔓延しているが、本当にそうなのだろうか。
例えば、自社が抱える最重要課題は、営業利益率の低迷にあるとしよう。ならば、この課題を解決する最善の策は何だろうか。ひとつは、AIやクラウド・サービスを使って、業務の効率化を図り、原価率を低減させてはどうだろうか。あるいは、デジタル技術を駆使して、新規事業を立ち上げ、新たな収益源を作るというのもあるだろう。
しかし、もっと手っ取り早いやり方がある。それは、赤字を垂れ流している事業から撤退することだ。そうすれば、容易に利益率を改善できる。
まずは、そんな当たり前の発想ができなくてはならない。デジタルありきで考える必要はない。
こんな話もある。ある地方自治体から、高齢者のためのサービスを充実したいとの相談を頂いた。慢性的な人手不足で、残業は日常のことになっている。これ以上、業務負担を増やすことはできない。だから、高齢者にデジタル・サービスを使ってもらい、自分たちの負担を増やさずに、サービスの向上を図りたいというわけだ。
私は、次のように答えた。
「多くの高齢者は、デジタルは怖いと考えています。間違って操作して、壊してしまうと大変だという人もいるでしょう。いまさら新しいことなど覚えたくないという人もいます。使いたくないと頑なに決心している人たちに、デジタル・サービスを使わせるなど、無理な話しです。」
「ならば、彼らにデジタルサービスを使ってもらうのではなく、職員の事務処理を見直して、不要な業務、重複する業務などを徹底して減らし、簡素化してはどうでしょう。それでも残る業務は、徹底してクラウドサービスに移行して、さらに負担を軽減させることもできます。そうすれば、職員の時間的な余裕が生まれますから、それを使って、高齢者に個別に対応すれば、サービスの充実を図ることができるはずです。」
使いたくない人のためのデジタルサービスにお金を掛けなくても、職員の業務負担を減らせば、空いた時間を使って高齢者に丁寧に向きあい、サービスの充実を図れるだろう。そうすれば、高齢者の満足度も上がるはずだ。デジタルありきで考える必要はない。まずは、既存の仕事を見直すべきだ。こんな段取りを踏んだ後で、残った業務をデジタル化すれば、その効果は、ずっと高まる。
AIやクラウド、あるいは、セキュリティについて、知っているに越したことはない。しかし、それより大切なことは、ビジネスの課題を見つけ出し、課題を解決するための物語を描く能力を身につけることだ。もっと大切なことは、自分たちの課題を何とかしたいという、熱い想いだろう。デジタルありきではない。
日本には、改善の文化がある。徹底して無駄をなくし、効率をあげ、コストを下げるためにはどうすればいいのかと、日々考えているはずだ。そういう日常の取り組みに、デジタルが分かる人間を同席させてはどうだろう。外部から専門家を招いてもいいだろう。的確なアドバイスを得ることができる。付け焼き刃の中途半端なデジタル知識で、誤った判断を下すことや、現実感のない不毛な議論をすべきではない。
全ての人のデジタル・リテラシーを底上げするために、底辺に合わせて施策を考えるのは、不毛な行為だ。そんなことをするより、自分事として問題意識を持ち、このままではマズイ、何とかしなければと思っている人たちに、必要な教育を受けさせたほうがいい。
「啐琢同時」という禅のことばがある。雛が卵から生まれようとするとき、雛は殻の内側から卵の殻をつついて外に出ようとする。これを「啐」という。そのとき、親鳥もまた同時に外側から卵の殻を破るためにつつきはじめる。これを「琢」という。親鳥と雛が、同時に殻をつつき合うことで、雛は生まれ出ることができるという禅のたとえ話だ。人材の育成とは、まさに「啐琢同時」でなくてはならない。
自分事として課題を捉えている人であれば、それを解決するための良い手段はないだろうかと考えながら、前のめりで学ぼうとするはずだ。デジタル技術で何ができるかではなく、課題解決には、どのような手段がいいのだろうかと考える。そんな手段のひとつとして、このデジタル技術が使えそうだとなれば、それを使えばいい。一般論としての知識習得ではなく、個別論として捉えれば、実効性も高い。
そういう志と意欲のある人に手を挙げてもらい、デジタルとビジネスを紐付けて、学べる機会を作るといい。そういう精鋭を社内に育て、彼らの取り組みを支援し、彼らの成功を公に評価する。そうすれば、デジタルには懐疑的だった人たちも、それを見て、心を入れ替え、奮起する人も出てくるだろう。彼らに続けという人たちも、出てくるに違いない。
そんな連鎖をつくるための「デジタル・リテラシー研修」であれば、それにふさわしい内容にすべきだ。例えば、次のような問いに答えられる知識やスキルを磨く内容にするといい。
- 自分たちの事業環境は、デジタルの発展によってどんな影響を受けるのか
- なぜアナログなこれまでのやり方ではなく、デジタルなのか
- 自分たちの課題をどのように見極めるべきか
- 最善の解決策は、どのように導けばいいのか
- 課題解決に、いかなるデジタル技術が有効か
そんな人たちから、さらに選りすぐりを集め、トップガン・チームを作ってはどうだろう。もちろん、社内だけに拘らず、圧倒的な技術力を持つ新たな人材の採用やITベンダーとのパートナーシップをすすめ、CoE(Center of Excellence/トップレベルの人材やノウハウ、ツールなどが集結した組織・グループ)を組成するのもいいだろう。
底辺の底上げのためのデジタル・リテラシー教育で、DXを停滞させてはいけない。やる気のある人たちのパワーを急速充電し、スピードを加速しなければ、時代の変化に取り残されてしまう。
そろそろ、そんな分別のある、そして実効性のある「デジタル・リテラシー教育」をしてはどうだろう。「全員にデジタルの知識を持たせる」なんて、できもしない目標を掲げて、DXを停滞させるべきではない。もっと現実に即し、やりたい人を引き上げ、できる人を最大限に活かす、そんな人材育成を目指すべきだ。