若者たちよ、蜂起せよ!
先週は、こんなタイトルのブログを投稿した。
おじさんたちは、彼らが築いた過去の遺産で、現役を去るまでは、何とか食いつなぐことができるだろう。しかし、いまの20〜30歳代の人たちには、それは無理だと気付くべきだ。ならば自分たちで何とかするしかない。
このブログでは、この厳しい現実にどのように向きあえばいいのかを、エンジニア、営業、経営者について、より具体的な行動に踏み込んで、提言しようと思う。
エンジニアの蜂起
圧倒的な技術力を磨くこと
先のブログで述べたとおり、ITの役割が、効率化の手段から、差別化や競争力を高める手段へと、その重心をシフトし始めている。あらゆる企業が、ITサービス・プロバイダーになろうとしているわけだ。そうなれば、ITサービスが自分たちの収益に直結する商品であって、その設計や開発、運用を外部に丸投げするなどあり得ない。必然的に、事業部門が主導して内製するのが筋である。
そんな動きを後押しするかのように、クラウド・サービスやノーコード/ローコード開発ツールも充実度を増している。これまでなら人手と手間を掛けてコードを書いて実装しなければならなかったが、もはや少人数で容易に組み立てられるようになった。そんな時代の流れを考えれば、内製化の動きは、ますます加速してゆくだろう。
しかし、ITの基本、例えば、データベースやトランザクション、ネットワークなどの設計の常識、プログラムやプロジェクトの管理などを知らないままでは、まともなシステムなどできるはずはない。カタチは作れるかも知れないが、ビジネスの目的を達するために、使用に耐えうるシステムができるかどうかは別の話だ。
確かに、ツールの進化と普及によって、かつてとは比べものにならないほどに、開発の生産性が向上した。できあがったUIも見事なものだ。しかし、その前提となる思想やアーキテクチャーを正しく理解し、それを活かしたデザイン/設計ができなければ、砂の土台に鉄筋コンクリートの建物を建てるようなもので、見た目は立派だが、危なくて使えない。
また、アジャイル開発やDevOpsといった開発や運用に関わる方法論も、その前提にある思想や哲学、さらには、心理学やコンピューター・サイエンスの理解なくして、まともには成果をあげることはできない。
内製化の流れは、時代の必然であるから、止めようはないが、たぶん、このようなITについての基本を持たないままの「内製化」は挫折する。そうなれば、「やはり内製は無理」と旧来の外注への丸投げへと揺り戻しが起きるだろう。
しかし、これはどう考えても健全ではない。収益に責任を持つ現場が、圧倒的なビジネス・スピードでITサービスを実装し、改善し続けることこそが、これからのビジネスの「あるべき姿」であろう。
まさに、この点に於いて、ITベンダーのエンジニアにとって、活躍の場がある。つまり、与えられた仕様に従い、プログラム・コードを書き上げるスキルではなく、次のようなITの専門的な知識やスキルを前提に、お客様の内製化の取り組みを支える存在になることだ。
- コンピューター・サイエンスあるいはシステム・アーキテクチャーについての専門的な知識
- アジャイル開発やDevOpsなどの開発や運用に関わる知識や、その実践スキル
- クラウド・サービスやOSSなどを目利きし、実践の現場で使えるようにするスキル など
これからのエンジニアに求められる技術力は、「少ないコードでビジネスの目的を達成する」ことにある。短時間で沢山のコードが書けることは、もちろん優れた才能ではある。ただ、それができるのは、ITあるいはコンピューター・サイエンスに関する広範な知識と、それをどのようにビジネスに結びつけるかの洞察力があるからで、その能力を活かせば、「少ないコードでビジネスの目的を達成する」ことにも大いに貢献するはずだ。
ITベンダーにとっては、今後、「内製化支援」は、ビジネスの1つの柱になるだろう。内製化支援とは、お客様の事業部門が主導する内製チームのメンバーに迎えられ、ITの専門家として、そのチームのエンジニアリングの指導的立場でプロジェクトを主導し、あるいは、教師として、お客様にそのスキルをトランスファーするエンジニアを送り込む事業だ。
エンジニアの価値は技術力である。技術力とは、「少ないコードでビジネスの目的を達成する」力である。そんな、お客様に「是非お願いします」と言わせる圧倒的な技術力を磨いてゆくことが、エンジニアとしての「蜂起」の実践であろう。
営業の蜂起
知識や見識を磨き、お客様の教師/最初の相談相手になること
私たちはいま、正解のない時代に生きている。しかし、正解がなければ、私たちは何を頼りに判断し、行動を起こせばいいのだろう。お客様もまた、そんな状況に置かれている。そんなお客様への配慮もなく、次のようなことを平気で言っているとすれば、お客様も困ってしまうだろう。いや、頭にくるに違いない。
「課題を教えてください。何をすればいいのかを教えください。そうすれば、最適なソリューションを提案します。」
お客様は、それが分からないから困っている。
「なるほど、確かに大変ですね。ならば、まずはRPAの導入からはじめてはどうでしょう。業務の効率化、省力化ができますから、そこで実績を上げて、次のステップへ進みましょう。」
発熱して頭も痛く、咳も止まらない相手に、まずは「かゆみ止め」で、虫に刺されたところの痒みを取りましょうといっているようなものだ。
正解がないからと言って何もできないわけではない。DXやデジタル化などと耳障りのいい流行言葉でごまかすのではなく、まずは、私心なく、お客様と対話することから初めるべきだ。
対話とは、相手への敬意と共感から始まる。これまでの彼らの歴史を否定するのではなく、その苦労に思いを馳せ、いまの状況や悩みを聞き、それに頭を垂れる。次に、自分の中に浮かんだ疑問をぶつけ、それについて、整理し、また問いかける。そして、最後に、ならばこうしてはどうかと、自分の正解(の仮説)を相手に投げかけ、さらに議論を深めてゆく。
「正解」とは、「お客様にとっての正解」であり、「自分たちのビジネスにとっての正解」を優先させてはいけない。
「過去」に共感し、「現在」を冷静に見つめ、「未来」を提言する。それが対話だ。
DXやデジタル化ありきではない。自分たちの商材ありきではない。業務手順や組織体制、業績評価制度や雇用制度、現行システムや自分たちへの不満や期待など、お客様の幸せのために、一緒になって、正解を探すために対話する。
そんな対話から得られた「お客様にとっての正解」のほとんどは、案件に結びつくことはないだろう。それでも、お客様を一番に考えて向きあえば、まずは、仲間に入れてもらえる。お客様と一緒のチームになれる。お客様からの信頼は、こういう関係を積み上げることで、相手から与えられるものであり、こちらから求めるものではない。
こんな信頼関係を土台に、お客様と一緒になって、正解を作る。
正解のない時代に、お客様が求めているのは、こういう営業だと思う。DXやデジタル化の看板など、どうでもいい。こういうことができる人間力こそが、最強の看板になる。
そんな人間力の本質は、誠実さだけではない。知識と見識、そして胆識が必要だ。
知識とは理解と記憶力の問題で、本を読んだり、お話を聞いたりすれば知ることのできる大脳皮質の作用によるものです。
知識は、その人の人格や体験あるいは直観を通じて見識となります。
見識は現実の複雑な事態に直面した場合、いかに判断するかという判断力の問題だと思います。
胆識は肝っ玉を伴った実践的判断力とでも言うべきものです。
困難な現実の事態にぶつかった場合、あらゆる抵抗を排除して、断乎として自分の所信を実践に移していく力が胆識ではないかと思います。
(山口勝朗著『安岡正篤に学ぶ人間学』より)
リーダーシップを発揮し、お客様の教師として、お客様のために、お客様と一緒に、厳しい現実に毅然と向き合える能力を磨くことが、営業の「蜂起」の実践だ。
先週のブログでも述べたように、製品やサービス、あるいは工数を売ることは、難しくなってゆく。ここで稼げるうちに、稼いでおくことは何も間違ってはいない。一方で、お客様は、正解のない時代に、正解を探している。結果として、何がビジネスになるのかは、依然、残るテーマではある。だからこそ、ITについての知識や見識を持ち、お客様にとってのかけがえのない相談相手になることが、これからの営業が目指すべき「あるべき姿」ではないだろうか。
最初に相談される相手
こう表現することもできるだろう。そうなれば、もはや競合は存在しない。自分たちができることとできないことを自分で仕訳すればいい。必要とあれば、お客様の取り組みを差配すればいい。
もちろん、たとえ案件にはならなくても、次の機会には、また「最初に相談される相手」になる。そんなお客様を沢山持てば、案件が、枯渇することはない。
経営者の蜂起
事業の土台を変えること
経営者の役割は、若者たちの「蜂起」を促すことだ。それが、会社を成長させる。どうすればそれができるかを、3つの観点から考えてみたい。
経営者自身が最新のITトレンドに精通せよ
経営者自身が、最新のITトレンドに関心を持ち、積極的に学ぶ努力を惜しまないことだ。
若者たちが活躍できていないITベンダーには、経営者の「常識の劣化」が、障害になっているケースが、多々見受けられる。
若くて優秀な人材が、アジャイル開発やDevOps、サーバーレスやコンテナ、マイクロサービスといったいまの常識を使うことを提案しても、その意味や価値を理解できず、せっかくのチャンスを逃してはいないだろうか。そんなことが度重なれば、彼らの意欲を削ぐだけではなく、彼らは、経営者や会社へのエンゲージメントを失い、優秀な人材の流出を助長する。
もちろん、経営の視点に立てば、事業の継続と成長が重要であるから、大きなリスクを冒したくないのは当然であって、むやみに新しいことに飛びつくリスクを冒したくないというのは、理解できる。しかし、ITに求められるテクノロジーの土台が、大きく変わりつつある現実と真摯に向き合わなくてもいいということにはならない。
直ちに取り組むにしろ、あるいは、すこし時間を置くにしろ、いまの常識を踏まえて、自分たちの経営の筋道を描くことが、経営者の役割であろう。
従来のテクノロジーを前提にした工数需要に頼る仕事は、顧客の事情や景気の変動に大きく左右される。つまり、経営者が自分で自分の未来を描くことができないことを意味している。そういう企業の事業計画は、エンジニアのいまの頭数と採用/退職に伴う変動から、来期の工数を算出し単金をかけ算することでしか、導き出すことはできない。それは「捕らぬ狸の皮算用」であって、お客様や景気に左右されるわけで、自らの努力で付加価値を高め、あるいは、新たな事業で新たな収益の源泉を確保することとは違う。
いまのテクノロジーの動向を見れば、「作らない技術」へと確実に向かっている。また、この「作らない技術」を土台に、お客様の内製化も広がりつつある。これは確実に工数需要を減退させる動きであり、いまの経営の基盤を揺るがす動きだ。だからこそ、この現実をテクノロジーの動向から客観視し、自分で自分の「未来をつくる物語=戦略」を描くことが、経営者の役割であろう。
そのためにも、経営者自身が、最新のITトレンドに関心を持ち、積極的に学ぶ努力を惜しまないことだ。「新しいことが分からない」のならは、分かる人に経営を譲るべきだ。あるいは、分かる人を腹心に持ち、役割を分担すべきだ。
事業区分を明確に分ける
新しい時代に合わせた事業戦略を進めようとすれば、自ずと旧来のやり方に拘る人の抵抗に遭う。もちろん、彼らの経験値とお客様との積年の信頼関係は、大切な経営資産ではある。従って、旧来のやり方で収益を上げる事業部門はそのまま維持し、そこで活躍してもらうのが、良いかもしれない。そして、新たな事業戦略は、それとは切り離して、別事業部あるいは別会社として自律させ、採算性を高めるべきだ。
旧来のやり方と新しいやり方を同じ組織に置いて、事業目標の達成をその組織に任せれば、手慣れたやり方で何とかしようとするのが、人の常である。特に、その事業部門を担う責任者が、「旧来のやり方のベテラン」あるいは、「旧来のやり方に拘り新しいことを学ぼうとしない人」であれば、ますます新しいことへの取り組みが、後回しにされてしまう。だから、明確に事業区分を分けることが、実効性のあるやり方ではないか。
人材の流動性を高めること
上記のようなやり方ではやっていけない人たちは、自ずと別の道を探して、会社を去って行くかも知れない。それは仕方のないことだし、まだまだ、旧来のやり方で収益を上げている企業もあるから、そういう企業で活躍してもらうことも、そういう人たちの幸せであろう。
一方で、新しいことに果敢にチャレンジする事業に取り組みを発信することはとても大切なことだ。新たな人材を呼び込むきっかけになるだろう。
ただ、「こんな事業をやっています」という宣伝であってはいけない。新しい技術やノウハウの勉強会であってあったり、コミュニティ活動であったり、参加する人たちに、自発的な成長の機会を与える取り組みが望ましい。
当然ながら、そういう人材が集まり、こういうところで仕事をしたいと思う人たちが出てくるだろう。人材のポートフォリオを変えるためには、参加者の自発を促す取り組みが良いだろう。
また、そういう取り組みを、社員自身に企画、運営させることだ。そういう機会を社員に与えることにより、自発的に自らの能力を磨き、社員自身の成長の機会になる。社員にとっては、自らを成長させてくれる企業であるとの想いが高まり、会社へのエンゲージメントも高まるだろうし、そういう想いが外部へも伝わり、同類の人たちが集まり、新しい取り組みを支える基盤が、厚くなっていくはずだ。
このようにして人材の流動性を高め、結果として、未来を支える人材を中心に、会社全体の体質が変われば、会社としての成長の基盤が積み上がっていくのではないだろうか。
最後に
世の中の常識は、大きく変わろうとしている。コロナ禍は、この動きを確実に加速している。
こんな話しは、都合の良い妄想に過ぎないと思われるかも知れない。ただ、妄想であるとしても、これからを考えるきっかけになるのではないか。
蜂起:[名詞]ハチが巣から一斉に飛びたつように、大勢が一時に暴動・反乱などの行動を起こすこと。
正しいことをしようとすれば、きっと共感者は集まってくる。だから、正しいこととは何かを学ばなくちゃいけない。そして、そのそんな仲間と一緒に、旧態依然の現状をぶち壊せ!
いまのエライ人たちは、このままでも何とかなるが、若い人たちは何とかならない。この現実を、自覚しなくちゃいけない。ならば「蜂起」するしかない。それは会社のためでもあり、何よりも自分のためなのだ。
その通りだと思います。
ありがとうございます。若い人たちの力を活かしてこそ、未来があると思います。