デジタル・トランスフォーメーションがなぜいまこれほどまでに注目されるのでしょうか。もちろん、「世間の話題になっているから」注目するという人たちも少なくはないでしょう。しかし、火のないところに煙が立つことはありません。「世間の話題」になるほどにDXが注目される社会環境の根源的な変化があるのです。そんな「デジタル・トランスフォーメーション」が注目されるようになった、背景について、整理しておきましょう。
デジタル・トランスフォーメーションが注目される背景にある「不確実性の増大」
米コロンビア大学ビジネス・スクール教授、リタ・マグレイスは、自著「The End of Competitive Advantage(邦訳:競争優位の終焉)」中で、ビジネスにおける2つの基本的な想定が、大きく変わってしまったと論じています。
ひとつは「業界という枠組みが存在する」ということです。かつて業界は変化の少ない競争要因に支配されており、その動向を見極め、適切な戦略を構築できれば、長期安定的なビジネス・モデルを描けるという考え方が常識でした。業界が囲い込む市場はある程度予測可能であり、それに基づき5年計画を立案すれば、修正はあるにしても、計画を遂行できると考えられてきたのです。
もうひとつは、「一旦確立された競争優位は継続する」というものです。ある業界で確固たる地位を築けば、業績は維持されます。その競争優位性を中心に据えて従業員を育て、組織に配置すれば良かったのです。ひとつの優位性が持続する世界では当然ながらその枠組みの中で仕事の効率を上げ、コストを削る一方で、既存の優位性を維持できる人材が昇進します。このような観点から人材を振り向ける事業構造は好業績をもたらしました。この優位性を中心に置いて、組織や業務プロセスを常に最適化すれば事業の成長と持続は保証されていたのです。
この2つの基本想定がもはや成り立たなくなってしまったというのです。事実、業界を越えた異業種の企業が、業界の既存の競争原理を破壊しています。例えば、Uberはタクシーやレンタカー業界を破壊し、airbnbはホテルや旅館業界を破壊しつつあります。NetflixやSpotifyはレンタル・ビデオ業界やエンターテイメント産業を破壊しつつあります。それもあっという間のことです。
「市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける」
そうしなければ、企業のもつ競争優位性が、あっという間に消えてしまうこのような市場の特性を「ハイパーコンペティション」として紹介しています。いまビジネスは、このような状況に置かれているのです。
業界に突如として現れる破壊者たち、予測不可能な市場環境、めまぐるしく変わる顧客ニーズの変化など、ビジネス環境は、これまでになく不確実性が高まっています。このような環境にあっても事業を継続させなくては、企業の存続はあり得ません。
しかし、不確実性の高い世の中で「長期計画的にPDCAサイクルを回す」といった従来のやり方では、成長はおろか、生き残ることさえできなくなりました。ビジネス・チャンスは長居することはなく、激しく変化する時代にあってチャンスを掴むにはタイミングを逃さないスピードが必要です。顧客ニーズもどんどん変わり、状況に応じ変化する顧客やニーズへの対応スピードが企業の価値を左右します。競合もまた入れ代わり立ち代わりやって来ます。決断と行動が遅れると致命的な結果を招きかねません。
時間感覚の変化がビジネスを変えようとしている
- 3年間の中長期計画
- 1年に一度の年度計画
- 半年に一度の設備投資
- 月例の定例役員会
- 週次の部門会議
多くの企業は、階層的な組織構造を前提に、このような時間軸で、意思決定をしてきました。確かに、中長期的な見通しを持たなければならない経営・財務・投資計画などでは、このような大枠での意志決定はいまも必要です。しかし、新規事業開発・共創・トラブル対応などの現場の最前線での活動では、高速な試行錯誤と意志決定が求められ、同じ時間軸で動いていていては、うまくいきません。
明確なミッションの提示と大幅な権限委譲を前提に、現場の判断力を信じて、その時々の最善を直ちに見極め迅速に意志決定を下し、行動を変化させなくてはなりません。つまり「圧倒的なビジネス・スピード」を手に入れるしかないのです。
そのためには、ビジネス・プロセスをデジタル化して現場をリアルタイムに「見える化」し、データに基づいて的確、迅速に「判断」し、直ちに「行動」できる仕組みを持つことです。
- 設備を投資から経費へ変更(クラウドなど)
- リアルタイムかつオープンなデータ共有(ERPなど)
- リアルタイムかつオープンなコミュニケーション(チャットなど)
このようなデジタル化されたビジネス・プロセスを前提に、現場の行動を変えなくてはなりません。
- 戦略を動かし続ける
- 現場に権限委譲する
- 現場での判断を重視
- 結果を迅速に事後報告
- 対話の頻度を増やす
事前に十分に準備し、根回しをして全員の合意を取り付けてから行動するというかつての時間感覚では、いまのビジネス環境に対処することなどできません。
そんないまの時代の時間感覚にビジネスも合わせなくてはなりません。ビジネス・モデルやお客様との関係、働き方は当然ですが、これらを支える情報システムの開発や運用もまた変革が求められます。
VUCAへ対処するには圧倒的スピードを獲得するしかない
社会環境が複雑性を増し将来の予測が困難な状況
まさに私たちが置かれているこのような状況を「VUCA(ブーカ)」と呼びます。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つのキーワードの頭文字から取った言葉で、2016年のダボス会議(世界経済フォーラム)で使われ、注目されるようになりました。昨今は、ビジネスシーンでも一般的に使用されており、コロナ禍によって我々は身をもって体験していると言えるでしょう。いまや働き方や組織のあり方、経営などの方針に関わる考え方の前提にもなっています。
Volatility(変動性)
テクノロジーの進化や社会常識の変化など、価値観や社会の仕組みなどが猛烈なスピードで変化し、先の見通しを立てることが困難。変化の度合いや割合も大きく、変動性を予想するのは難しくなっている。Uncertainty(不確実性)
イギリスのEU離脱、米中貿易戦、民族間紛争など、現代を取り巻く情勢は、予断を許さなない状況であって、さまざまなリスクに対応しなければならない状況に置かれている。Complexity(複雑性)
一つの企業、一つの国で解決できる問題が極端に少なくなった。地球規模でパラメータが複雑に絡み合っているため、問題解決は単純ではなく、より一層困難なものになりつつある。Ambiguity(曖昧性)
変動性、不確実性、複雑性がり、因果関係が不明、かつ前例のない出来事が増え、過去の実績や成功例に基づいた方法が通用しない時代となりつつある。
見通すことのできない未来に対して、あるいは、理解できない現状に対して、事業を継続していくには、古き良き時代の時間感覚では対処できません。予測不可能な変化に俊敏に対処できる圧倒的スピードを獲得するしかないのです。
デジタル・トランスフォーメーションとは、デジタル技術を使って既存を改善することや、デジタル技術を使って新しい事業を立ち上げることではありません。このような時間感覚の変化に対処するために、本質的に、あるいは根本的に、「圧倒的なビジネス・スピード」を駆使できる企業の文化や風土へと、自らが変革することを意味する言葉なのです。
ITビジネスもまた時間感覚の変化に向きあわなくてはならない
ITビジネスもまた、このような時間感覚の変化と不可分ではありません。サーバーレスやコンテナ、アジャイル開発やDevOpsなど、DXとともに語られることが多くなったこれらキーワードも、この時間感覚の変化が背景にあります。
どのようなスキルを身につければいいのか、どのような技術を知っておけばいいのかも、大いにけっこうなことではあるのですが、求められるスキルや技術は、直ぐに変わってしまいます。しかし、時間感覚の変化は、根本的であり、直ぐに変わることはありません。スキルや技術を追いかけることを優先するのではなく、この時間感覚の変化に対応する努力をすべきです。
- 戦略を動かし続ける
- 現場に権限委譲する
- 現場での判断を重視
- 結果を迅速に事後報告
- 対話の頻度を増やす
先に述べた5つの項目を実践することです。それができれば、スキルや技術は、その時代の最適・最善を必要とします。結果として、時代のニーズにふさわしいビジネスが展開できるはずです。何よりも、そのような現場で働く人たちは、自律的に育つでしょう。そして、優秀な人材も集まってくるはずです。