“徹底した”ペーパーレス化をすすめている
ドイツの大手製造業がインダストリー4.0の実現に向けて、まずは取り組んでいることだという。これにはなるほどと思わずにはいられない。
「デジタル・トランスフォーメーション」という言葉が世間を賑わしているが、そのための前提となるのがビジネス・プロセスのデジタル化だ。この本質は、インダストリー4.0と何も変わらない。その意味で、ペーパーレス化という取り組みは、一見地味ではあるが、トランスフォーメーション、すなわち変革を実現するための基本の「き」であると言える。
残念なことに「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」を、新しいテクノロジーを駆使した情報システムを作ることである、あるいはIoTやAIを駆使した新しいビジネスを立ち上げることだと、未だ考えている人たちもいる。しかし、その原点を掘り下げれば、「ビジネスのやり方や組織の振る舞いを変化させるための企業の文化や体質の変革」であることが分かる。
<DXの原点となった論文> INFORMATION TECHNOLOGY AND THE GOOD LIFE Erik Stolterman & Anna Croon Fors Umeå University /2004
しかし、「デジタル」という手段が目的化してしまい、いかなる変革を実現するのかといった目的が置き去りにされている感も否めない。その意味で、「“徹底した”ペーパーレス化」という土台を築き、その上に変革を進めていこうという考え方は、ドイツらしい手堅い進め方であるようにも思う。
少々もったいぶった導入となってしまったが、なぜ「“徹底した”ペーパーレス化」がDXの土台になるかについて、私なりの考え方をご紹介しよう。
まず、そもそもDXとは何かについてだが、私は次のように定義している。
デジタル・テクノロジーを駆使した変化に俊敏に対応できる企業文化や体質への変革
業界に突如として現れる破壊者たち、予測不可能な市場環境、めまぐるしく変わる顧客ニーズの変化など、ビジネス環境は、これまでになく不確実性が高まっている。このような時代にあっては、「長期計画的にPDCAサイクルを回す」といったやり方では、成長はおろか、生き残ることさえできない。
ビジネス・チャンスは長居することはなく、激しく変化する時代にあってチャンスを掴むにはタイミングを逃さないスピードが絶対的に必要だ。顧客ニーズもどんどん変わり、状況に応じ変化する顧客やニーズへの対応スピードが企業の価値を左右する。競合もまた入れ代わり立ち代わりやって来くる。決断と行動が遅れると致命的な結果を招きかねない。
こんな時代に事業を継続するには、その時々の最善を直ちに見極め迅速に意志決定し、行動を変化させなくてはならない。つまり圧倒的なビジネス・スピードを手に入れるしかない。
そのためには、IoTやインターネット、ビジネス・チャットを駆使して現場を「見える化」し、機械学習を使いデータに基づく的確な判断を迅速に行い、ビジネス・プロセスをデジタル化して事業活動をダイナミックに変化させ続けなくてはならない。
加えて、意志決定のやり方を根本的に見直して現場への大幅な権限委譲をおこなうこと、組織の役割や権限の与え方を変えること、働く場所や時間に縛られ、会議や事務処理に多大な時間を使わなくてはならない働き方から社員を解放することで、働く人の能力を最大限に発揮できるようなワークスタイルを実現することも必要となるだろう。
さらに、ビジネス・プロセス個別の効率化や最適化に留まらず、全体最適の観点からプロセス間の相互連携を停滞させることなく、水が流れるように仕事が進んでゆく、ビジネス・プロセスの流水化も必要となる。
このような仕組みをアナログな人間系に頼るビジネス・プロセスで実現することはできない。デジタル・テクノロジーを駆使して変化に俊敏に対応できるビジネス・プロセスを実現しなくてはならない。
そのことはとりもなおさず、ビジネスを全て確実にデジタル・データで捉えることであり、「“徹底した”ペーパーレス化」は前提となる。業務のこと、顧客のこと、製品のこと、経営のことなど、全てがデータで捉えられてこそ、ビジネス・プロセスの高速化が実現する。
紙の書類がなければ仕事が進まないでは、その紙を作りハンコを押し、それを手渡すためにオフィスに出社しなければならない。なんらビジネス価値を生みださない人の移動や紙の送付に多大な時間を費やしてしまう。ビジネス・スピードのボトルネックになることは言うまでもない。
加えて、紙は一人歩きするので完全なトレーサビリティは担保できない。これは、ガバナンスの観点からも問題がある。全てがデジタル・データ化されていれば、データを全て資産として把握し管理することができる。さらに組織やプロセスが完全に見える化され透明になる。徹底したガバナンスが実現する。そうなれば、現場への指示命令、あるいは意思疎通も高速化し、「圧倒的なビジネス・スピード」を手に入れることができる。
では、そのデータをどのように管理すればいいのか。その受け皿がERPだ。ERPを本来のカタチで実装することが必要となる。
デジタル・データが生みだされても、それをただ無秩序に倉庫に投げ入れ溜め込んでも使いようがない。ビジネス・プロセスとデータを関連付けて管理できなくては、利用することはできない。ERPはそのための手段だ。
ERPを、業務を標準化するツールであると捉えるのは正確ではない。業務を標準化することは手段であって、目的はデータに基づく迅速な意志決定とデジタル・プロセスを活かして高速にアクションできるようにすることだ。これをリアルタイム経営という言葉で表現することもあるが、そのためのツールがERPであり、デジタル・トランスフォーメーションの基盤となる。
また、ビジネス環境の変化を先取りし、デジタル・テクノロジーを駆使してITサービスを実現し、UIやUXを高速にアップデートすることも必要になるだろう。そのための手段として、アジャイル開発やDevOps、クラウドは前提となるだろう。
ところで、もうひとつ外すことのできない大切な要件がある。それは「心理的安全性」だ。「心理的安全性」とは、他者の反応に身構えたり、不安になったりすることがなく、自然体の自分を曝け出すことのできる環境や雰囲気のことだ。このような組織の状況があればこそ、円滑なコミュニケーションができるようになり、圧倒的なビジネス・スピードを生みだすことができる。
お互いに相手の多様性を認め、敬意を払い、信頼を分かち合えることが、「心理的安全性」の前提だ。そんな組織で働く人たちは、自発的に自分の意見を述べ、忖度なく議論し、自律的に改善してゆく。その結果、より付加価値の高い仕事へと時間も意識もシフトする「働き方改革」が実現する。また、失敗を繰り返しながら高速で試行錯誤を繰り返すことが許容される雰囲気が、「新規事業」がどんどんと生みだす。さらには、建前ではなく本音で語り合えるからこそ、ビジネス・モデルを転換してゆくことも自然なこととして受け入れられるだろう。
「“徹底した”ペーパーレス化」は、このようなDXを実現する取り組みの土台になる。
デジタル・テクノロジーを駆使することはDXの本質であるが、それは手段に過ぎない。目的は「問題を解決すること」だ。そして、いま企業が抱える最大の問題は「ビジネス・スピード」である。つまり、DXとは、デジタル・テクノロジーという手段を駆使して、「圧倒的なビジネス・スピードを手に入れる」という目的を達成することに他ならない。
昨今、「DX推進室」であるとか、「DX事業本部」であるとか、「DX」を冠した組織を起ち上げ、さて何をすればいいのかと模索している人たちもいるだろう。そういう人たちに次の5つに取り組むことを提言したい。
- “徹底した”ペーパーレス化を実現すること
- ERPの本来のあるいは正しい使い方を実践すること
- アジャイル開発やDevOps、クラウドを駆使してITサービスを実装すること
- 「心理的安全性」を組織に根付かせること
- DXとは何かを自らの言葉で語り、その意義を社員や経営者に理解させること
そして、何よりも大切なことがある。それは、何が問題なのか、何を解決するのかを徹底して議論し、目的を定めることだ。AIで何ができるか、IoTビジネスを始めようなど論外だ。
DXとは、ビジネスのやり方や組織の振る舞いを高速に変化させ続けることができるように、企業の文化や体質を変革することだ。そんなDXの実現をお客様にもたらし、新しい顧客価値を創出することで、ビジネスのチャンスを生みだすことがDX事業であり、DXビジネスと言えるだろう。新しいデジタル・テクノロジーを使った新規事業を立ち上げるなどというトンチンカンなことを言っているようでは何も成果はあげられない。
そもそも新規事業は手段にすぎない。目的は、お客様や社会が抱える様々な問題を解決することだ。「新規事業を始める」ことを目的にすべきではない。まずは問題をあきらかにして、お客様やそこに関わる人たちに向き合い、一緒に考えることだ。その手段として、新規事業を立ち上げることがふさわしいのであれば、結果として、それはビジネスの成果に結びつくだろう。
どんな技術やサービスを自分たちは提供できるかといった「自分たちにできること」から考えてはいけない。何が問題かをしっかりと見極め、それを解決するために「自分たちは何をすべきか」から考えるべきだ。自分たちの製品やサービスを提供することでも、新規事業を立ち上げることでもない。手段と目的を取り違えてはいけない。
DX実現への取り組みには、このような態度で臨む必要がある。そのためには、まずは自分たちの頭の中のDXに取り組むことから始めるべきかも知れない。
【参考】
<追記>——————–
本プログをご覧になった方から次のようなご指摘を頂きました。ご指摘の通りであり、また「心理的安全性」についての理解を正すべきであると考え、ご本人の了解を得て、転記させて頂きます。
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斎藤様のブログ内の「心理的安全性」という言葉の文脈がどうしても気になりご連絡差し上げました。
DXについてのブログの記事内では『「心理的安全性」とは、他者の反応に身構えたり、不安になったりすることがなく、自然体の自分を曝け出すことのできる環境や雰囲気のことだ。』と記述されています。
「心理的安全性」については原典には『対人関係においてリスクのある行動をしてもこのチームでは安全であるという、チームに共有された信念』と述べられています。
私はブログ内の記述には原典「リスクのある行動をしても」の部分のニュアンスが欠けているように感じたのですが、このあたりいかがでしょうか?
先日「チームの心理的安全性」の概念を最初に提唱したエイミー・エドモンソン氏の著作を読む機会があり、私個人としては「心理的安全性」が実現される環境ではメンバーのプロフェッショナルとしての意識やチームへの高いコミットが求められる厳しい環境下での言葉であると理解しており、その部分も含めて心理的安全性という言葉が正しく伝わってほしいと考えています。
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まったくご指摘の通りです。説明が不十分であり、また、私自身の認識も足りなかったと反省しています。
ご指摘の通り、確かに、この文脈では、ただの仲良しクラブと受け取られかねません。前提として、セルフマネージメント、すなわちプロとしての自覚と自律ができていることが前提であると理解すべきです。プロとしての自分の判断への圧倒的自信、それをプロどおしがぶつけあっても、お互いにプロとして認めあっているからこその信頼があるから、他者の反応に身構えたり、不安になったりすることがなく、自然体の自分を曝け出すことのできるのだということが、「心理的安全性」の本意です。
このようなご指摘を頂けたことを感謝しています。
ITビジネス・プレゼンテーション・ライブラリー/LiBRA
【10月度のコンテンツを更新しました】
・”デジタル・トランスフォーメーションの本質と「共創」戦略”を改訂しました。
・RPAプレゼンテーションを改訂しました。
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総集編
【改訂】総集編 2019年10月版・最新の資料を反映しました。
パッケージ編
【新規】デジタル・トランスフォーメーション ビジネスガイド(PDF版)
【新規】デジタル・トランスフォーメーション プレゼンテーション
ビジネス戦略編
【新規】デジタル・トランスフォーメーションとは p.12
【新規】DXによってもたらせる2つの力 p.22
【新規】競争環境の変化とDX p.34
【新規】前提となるITビジネスの環境変化(〜5年)p.36
【新規】デジタル・トランスフォーメーションのBefore/After p.54
【新規】デジタル・トランスフォーメーションの実践 p.56
【新規】共創ビジネスの実践 p.58
【新規】DX事業の類型 p.77
サービス&アプリケーション・先進技術編/AI
【新規】「自動化」と「自律化」の違い p.32
【新規】機械翻訳の現状とそのプロセス p.85
【新規】機械翻訳の限界 p.86
ITインフラとプラットフォーム編
【新規】ゼロ・トラスト・セキュリティ p.110
【新規】Microsoft 365 Security Center での対応 p.111
【新規】ユーザーに意識させない・負担をかけないセキュリティ p.112
【新規】ローカル5G p.254
テクノロジー・トピックス編
【改訂】RPAプレゼンテーション
下記につきましては、変更はありません。
・サービス&アプリケーション・先進技術編/IoT
・クラウド・コンピューティング編
・サービス&アプリケーション・基本編
・開発と運用編
・ITの歴史と最新のトレンド編
7月に天城でお世話になったダイフクの池田です。
心理的安全性について、最近思うところがありコメントいたします。
10年以上前、オンラインゲームをかじったことがあり、その際の海外ユーザーの行動が「何でも教えあう」、日本人は「グループ内でのみ共有」でした。 この頃から心理的安全性確保はグローバルスタンダードだったのでしょう。
これを最近別の形で実感しました。
息子が最近スプラトゥーンにハマっており、ご褒美に拡張コンテンツを買う事となり調べてみますと、Amazon上評価が完全に二分されています。
どちらかというと年嵩の方々は「難しすぎる」「無理ゲー」、
ところが一方で、小学生が難しいけど楽しいとの書き込みも多数あります。
最初は訳がわからなかったのですが、これ、上記オンゲーの海外と日本の差と同じでした。
年嵩組は「全部自分で考える」なのですが、最近の小学生組は「難しいとこはYOUTUBEで確認」なのです。当然海外ユーザーは「YOUTUBEで確認」です。
つまり、大多数のユーザー行動が「YOUTUBEで確認」になった結果、作り手側は「集団知」に対して、どうにかして寿命の長いコンテンツを提供する必要があり、かなり難易度の高い設定になったようです。
それを知らない年嵩組は「難易度設定が間違っている」と時代錯誤な遠吠えをしている訳です。
思えばニンテンドーは現在のSWITCHの前のモデル WII-Uからゲームプレイ画面の録画と共有の機能を装備していましたので、10年位前からこのパターンが「世界標準」なのです。
それを知らずに遠吠えしている年嵩組と時流に乗れる小学生組。
外部との交流でより広く羽ばたく会社と、外を見ずにしぼむ会社 という構図と思わず比べてしまった次第です。(我々ももっと外を見ないと、という自戒を込めて。)
駄文失礼しました。